第26話 禍津神、少女に光を灯す

「確かにお主には大義があったはずぞ。虐げられる痛みを知るからこそ、お主は家を出た。父のように世界を変えたいと、家を出た。お主の根底には確かにその大義があったはずだ」


 世界は、寒かった。冬には、まだちょっとだけ早いのに。

 偽りの光が反射する世界の中心で、まるで親が子を諭すような光景があった。

 先程まで酔っていた筈のイトは、真剣な眼差しでステラを見つめていた。


 煌めく世界で、イトは殊更輝いていた。

 見失える訳がないくらいに。


「お主は裏切られた。それは残念ぞ。弁明しなかったジバールも悪い。パズスは最悪だ。国立魔術学院とて教育機関を放棄しておるな」


 そうよ。だから私は被害者ぶっていいのよ。

 なんて言う力も残っていなかった。

 全ての剣も術も、体積させた努力も、酒を飲みながら往なされた今となっては。


「しかしのう。だからといって光を見失う事は許さぬ」


 座り込むステラに、イトは手を差し伸べない。

 ただ、「そっちは違う」と。標を見よと。

 砂漠の一番星のように、大海原の灯台のように輝き続けるだけだ。


「ましてや光を見失っておる事にさえ気付かぬまま、遮二無二剣を振るい続けるなど愚の骨頂ぞ。手当たり次第に、訳も分からず突き進むなど犬の所業だ。そやつに待ち受ける運命は、首輪を着けられるか、間引かれるだけぞ」


 あの雌犬、オネストのようにな。とイトは言いかけたが、流石にその時ではないなと揶揄うのを止めた。


「闇の中で振るう剣では、神を斬るなど出来ぬ。ただ無実の人間を刻むだけぞ」

「じゃあ、私はどうしたらいいというの」

「知らん。本人が見えぬものを、神が見えると思うな」


 小さく笑うステラ。呆れたような眉だった。


「……修道女達に聞いた通りね。貴方は何も答えを出さない。でもね、人間は答えなしで生きていける程、強くない。私達エミシの人間は欲しかった。ロックドアの横暴の中で、どう生きれば幸せになれるのかを」


 悔しそうに、ステラが土を掴む。

 藁にもすがる思いで。


「誰も不幸にならない、誰も虐げられない、そんな夢のような世界を取り戻したかった。私は見たくないのよ。エミシの人達も、ロックドアの人達も、悲しむのを」

「知っておる。それだけ優しいから、お主はツクミを救ったのだろう」

「……」

「我はその夢は否定せぬぞ。『誰も不幸にならない、誰も虐げられない』——それを目指して少しでも理想に近づけた者達だっていた筈じゃ。歴史なんて舞台がすべてではない」


 涼風が気持ちよいな、とグラスを口に運ぶイト。

 だが「おぉ、そうか。もう酒が切れておったか」と残念そうに呟く。

 次に、立ち並ぶ山々の夕焼けを見上げる。


「ここの自然は良い。一度故郷の山々を眺めながら、足を止めよ。お主の神もそう言うとるぞ」


 と言った先に、オネストがいるわけではない。

 ステラの神。それはマナである。


 葉の集合体。

 擦れあう音が、心配する声の代わり。

 僅かに振動する空気が、依りそう感情の代わり。


「マナは言うておる。お主が一人で無茶していないか、心配と」


 言われなくても、ステラには分かった。

 イトよりも、何万倍も一緒に生きてきたのだから。

 子供のころから、マナという神が母代わりだったのだから。


 そのマナを子供のころから内奥に抱き、ロックドアを改革してきたアマスがいたのだから。


「かかっ。しかしのう、心配するほどでもないぞ。マナ。まだ酒も味わえぬ年齢というのは、割とみんなこうじゃ。けれどお主がおれば、ステラは道を引き返す事だってできるだろう」


 マナの風が僅かに止んだ。

 葉の動きが落ち着いた。


「さてと、じゃあ、させようかの」

「ぐ、おおおおおお!?」


 と言うや否や、イトをジバールの腕に巻き付けると、そのままステラの方まで引きずったのだった。

 特にイトは威圧をかけていない。ひとまずここに連れてきただけだ。土下座というワードは使ったが。

 しかし空気を読んだのか、あるいは本心かは傍目からでは分からないが、ジバールは素直に土下座をした。


 ただ、イトは信じていた。

 ジバールもどこか、喩え本人が悪くなくても、ステラに罪悪感を抱いていた事を。


「……賄賂は、本当に済まなかった。俺は、知らなかった。だけど、あの時、国立魔術学院に立ち向かうとか、やりようは――」

「信じない」


 ジバールの言葉が止まる。


「あなたがさっき言っていた当主としての言葉も、私には信じられない。それは、変わらない」


 ジバールの後頭部を見つめるステラだったが、それ以上食って掛かる様子もなかった。先程までならこの後頭部を踏み潰すくらいの事はしそうだったのに、どこか落ち着いてジバールの土下座を眺めていた。

 それを見て「かかっ」とイトが笑う。


「落着とはいかぬか」

「え……」

「土下座など所詮は自己満足よ。礼儀を尽くして謝ったとて、許されぬことは実は多い。ジバールよ。左様であれば、どうすれば良いかわかるな」

「は、はい。ロックドア当主として、やるべきことを、やります」

「言葉を濁すな。先程お主は当主として何がしたいと言った」

「その……子供たちが、笑っていられるような、『ありがとう』とまた言われるような、当主になると……」

「かかっ、精進せよ」


 最後にステラに言葉を投げる。


「お主はちゃんとジバールを見ておれ。そして、やはり道を踏み外すようであれば斬るがよい」

「……やっぱり、あなたの神官になれという事?」

「左様だ。まあ、急くものでもない。ゆっくり酒でも飲みながら考えよ」

「私はまだ酒飲めないわ」

「かかっ、左様だったな」


 高笑いをしながら「ツクミ、帰るぞ」とツクミを引き連れつつ、アマスの横を通ろうとする。


「今度は、ジバール一人で俺に説得させてみろ」


 ずっと娘の必死な藻掻きを見続けたアマスは、どこか反省するような顔でイトに物申す。

 

「そうさな、ここは人の国だ。政治に神が介入すれば、大体決まって碌なことにならぬ」

「でも、俺も人の事言ったり、酒を飲んでいる場合じゃないんだよな」

「よい機会じゃ。お主も足を止めて、娘と一緒に考えてみよ」


 空になった日本酒の瓶を示しながら、イトが続ける。


「また酒を持ってくるぞ、アマス。次に友が飲む酒が、美味たる事を願う」


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 すっかり日が暮れ、イトとジバールとツクミも中心街へ帰って久しくなった頃、ステラは実家の庭から月夜を見つめていた。

 隣には崇める神たるマナが浮かんでいて、反対側に父親たるアマスが座り込んでいた。


「俺はお前に、失望する背中ばかり見せちまっていたようだな」

「……違うよ」


 ステラは疲れ切っていた。

 言い換えれば、全てを出し切った。そんな顔をしていた。


「でも家出するとき、国立魔術学院に行くとき、お父さんが止めた理由、ちょっとだけ分かり始めたかもしれない」

「別に理由なんてないさ」

「なかったんだ」

「ただ、俺と同じ失敗をするんじゃないかって、怖かった。結局、俺よりひどい目にあっちまった」

「父さんの方がつらい思いしたでしょ。追放された時、殺されかけたって聞いたよ」

「まあ、それでも生きてんだから儲けものだわな」


 溜息をしながらも続けるアマス。


「けど、じゃああの時止めたとて、お前が幸せになれたかって保証はどこにもねえんだけどな」

「たぶん、成れなかったと思う。ロックドア家のせいで四苦八苦するお父さんたち見てる事になるんだもん」

「そうか」

「でも、本当は言いたかったんだ。ロックドア家の中にも、一緒に戦えるジバールって奴がいたって。本当は言いたかったんだ……」

「今も、言えそうにないか」

「……だめ。今でもジバールの事は許せない」


 ステラがマナに触れる。

 家族のような神であり、満月よりも輝いて見えたマナに触れる。


「マナ様。私、どうしたらいいかな」


 マナは答えない。ふふ、とステラは笑う。

 マナの中の空気が、暖かったからだ。


「私が、どうしたらいいかって考えたら、マナ様に言うね。その時、聞いて――」



 光線が、マナを貫いた。

 マナが、弾けた。



「えっ」


 ステラも、アマスも、思考の一切が消えた。

 生まれた時から一緒だった神の消失と共に、思考の一切が消えた。

 本能に従って、光のあった方向を見る。


「……戦神、コンチネント」


 オネストの忠実なる従神にして、忠臣。

 オネストを信奉する者として、その神々しい陽炎を見間違えることはない。

 その陽炎の下には、三人の少年少女が佇んでいた。


「ああ、俺は出来る。今、役立たずとはいえ神さえも殺せた」


 【戦神コンチネント】の真下では、銀髪の少年が薄ら笑みを浮かべていた。


「俺は、神になった。おい、そこのお前ら、崇めてみろよ」


 怒りで我を忘れる一秒前に、ステラは理解した。

 マナを消滅させたのは、異世界から来た【勇者】——太郎だった。


「貴様ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」




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 ――ほぼ同時刻。

 ロックドア中心街でも、大事件が起きていた。



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