第17話 禍津神、神を失った羊達へ送るミサンガ

「ふー、今回本気で消滅を覚悟したがの」


 天上界から降りてくるなり、額の汗を拭うイト。

 とはいえ2000年間、日本の武神達相手にこんな鬼ごっこは日常茶飯事だった。


「イト様すごい、神様を圧倒してた!」


 真っ先にツクミが駆け寄ってくる。


「かかかっ、当然ぞ。我は神さえ喰らう神なるぞ」

「でもさっき神を食べてなかったよね。お腹空いた?」

「食べ足りぬが節制も必要じゃな。今は人の食事が恋しい」


 一通りイトが高笑いするが、天上界と違って空しく響くだけだった。


「……なんか雌犬を躾にいった時よりも、陰鬱さが増したのう」


 街を巡れば、ロックドアの人間達は魂を抜かれたような顔をしていた。


「あ、あれは……」

「神が仰られていた、禍津神……」

「いや、神なんて……」


 主神オネストという寄る辺を失った領民たちが、幽霊のようにイトへとついていく。それ見て、遂にイトは声をかけることにする。


 高い屋根で胡坐をかくイトを、全員が素直に見上げた。

 それは、神と熾烈な戦いを繰り広げたことによって、イトが少なくとも普通の人間ではないと、嫌でも理解したからだろう。





 誰かが言ったその独白が、今日のハイライトだった。

 この街の人間は、神の正体を見た。

 そして理解した。

 神なんて、いなかった。

 救いなんて、なかった。 


「特に、全存在をかけて祈り善行を重ねてきた者達は、今にも死にたそうな顔をしておるのう」


 例えば、修道服を纏った少女がそれだ。

 例えば、十字架を胸に赤き甲冑を着ていた騎士がそれだ。

 例えば、毎日聖書に従い生活ルーチンを築いてきた老婆がそれだ。


 神のために生きる者もいた。

 神のために死ぬる者もいた。

 彼らにとっては、地面の底が抜けたような感覚だろう。


 彼らを一通り見て、イトは顎をついたまま、容赦なく真顔で言ってのける。


「まずはしかと受け止めよ。これが神でさえ退かせぬ【不条理】だ」

「不条理……?」

「人は神に救いを求める。しかし神は人を救わぬ。それが真実ぞ」

「いやあああっ!!」


 それを聞いて、ある修道服の一団から悲鳴が上がった。現実の不条理を容赦なく見せつけられ、絶望が始まったのだ。

 それを皮切りに、飢えと渇望の呻きがあちこちから響いた。

 イトの隣で見守るツクミでさえ、同調しそうな惨憺たる光景が広がっていた。


「聞けえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええいいい!!!!!!!」


 巨雷の咆哮。

 それだけで、涙声も、喘ぎも、呻きも、全てが失せた。

 夕焼けに照らされた人々の歪んだ顔が、これでクリアになった。


「で? お主らは明日からどうする?」

「どうするって……」

「神は見守っておらぬ。それが事実だ。さて、明日からどうする?」

「どうしたらいいの……?」


 領民の一人が苦しそうに吐き出す。


「あんなヤツらのこと、もう祈れない。私たちはこれから何に祈ればいいの、あなたにでも祈ればいいの!?」

「知らん」

「知らんって……じゃあ俺たちはどう生きればいいんだ」

「知らん」

「神が役割を与えないなら、オイラは何の為に生まれたんだ!!」

「知らん」

「あんた、神様じゃないのか……」

「まだ神に縋るのか!!」


 怒号に、逆に沈黙する一同。

 ただでさえ神への失望に打ちひしがれる領民へ、イトは容赦しない。


「存在しないのだ。お主らが望む神と同じように、どう生きるべきかの道標も、人生の意味も……その答えはお主らが創り出すしかないのだ!! 自立せぬ者にその答えは訪れぬわ!!」


 そんなこと言われたって。

 と、寒空の砂漠に放り出された羊達は顔を伏せる。

 聖書の【答え神様】に縋ってきた人間には、重すぎる事実だった。


「だから、我の教義はただ一つだ」


 そう言うと、ツクミに目をやった。

 だがツクミは既に、何を言うべきか分かっている。

 阿吽の呼吸で前に出る。


「——お主の心を見つめ、為すべきことを為せ、だよね」


 神官の言葉は、届いたかは分からない。

 だが月魔モノクロームと分かっていても、誰も反発しない。そんな力はもう残ってない。

 何の邪魔もなく、ツクミは神官としての役割を果たすことができた。


「そうだ。そして、我の教義の下では人も魔族も区別はない」

「な……」

「その区別を最初に齎したのはオネスト教の聖書だからな」

「だが、魔族は危険な存在だ……」

「それとこれとは別の話だ。攻めてきたら大いに戦うといい」


 まるで汚れでも見つめるような目で、場にいた魔族へ視線を送る人々。居たたまれぬ魔族達の目線は、月魔モノクロームであるツクミに向いた。そのツクミも、今すぐに解放できないもどかしさで顔を曇らせる。


「でも、奴隷から抜け出したかったり、日陰者の生活から逃れたい人は、私のところにきて」


 最終的に、ツクミはそうやって魔族達に言葉を投げかけた。


「私も、どうすればいいかは分からない。でも、考える事さえしなかったら、今の状況は何も変わらない。いつかは今日死んだ76人の魔族みたいに、酷い生贄にされる日を待つだけ。私はそれは、いやだ」 


 記憶喪失で、言葉もどこかたどたどしいツクミの口調。

 だが、その言葉に彼女の心は籠っていた。

 自分の心を見つめ、言うべき事を言った結果だ。


 そんな神官を、誇らしく思うイト。


「さてお主ら、もう一度聞くぞ。


 それでも、神を見失った直後に創れる答えではない。

 神を見失った信者達は、今ここで歩き始める事さえ臆している。


 だから、イトがすべきことはまず背中を押すことだった。

 背中で語る前に、横に仲間がいるよと、前に進ませることだった。



「神威解放【深参我みさんが】」



 だから、神の裏技を使った。

 全員の手首に、ミサンガを出現させた。


 修道女の傷だらけの手首にも。

 貴族の傷無き手首にも。

 魔族の泥だらけの手首にも。


 皆、一人一人色も形も違うミサンガが、巻き付いた。

 

「……」


 驚きこそすれ、人も魔族も嫌悪感を示さなかった。

 ツクミもジバールも、突如現れた束の輪を自然と受け入れていた。


 神威解放【深参我みさんが】によって生み出されたミサンガを、イトもまた黄昏時の茜空へ掲げる。


「我はお主らを救う事はできぬ。だが一番星になら、なれる」


 その右手のミサンガの真上、天上界すら突き抜けた茜空に、うっすらと一番星が見えた。


「道に迷わば我を思い浮かべよ。我という一番星は常にそこにある。その時、我はお主らと共にある。我はお主らの中にある」


 一番星を差した指が鳴る。


「そしてここに生誕を宣言する! 我は現人神イト! このロックドアより不条理の権化たる神と闘い、驕りきった神々を土下座平伏させ、最高神として人々の標になる存在ぞ!!」


 その宣言には、魔術では測れない力があった。

 見上げていたロックドアの人間も魔族も、無意識のうちに理解した。

 ここに、神が生まれたと。標となる一番星が生まれたと。

 その感想だけは、人も魔族も連帯感を持って納得するところだった。


 ……実のところ、これが神威解放【深参我みさんが】の力である。

 ミサンガの付与と同時に、恩恵も付与した。

 内奥深くに、一番星となるイトという神を、宿させた。

 宿った神を通して、人々はイトで繋がる。


 ロックドア中心街にいる、千人強の人間達。


「う、うおおおおおおおおおおおおおお!!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 熱狂が、始まった。

 神の喪失を、神の誕生によって穴埋めした。

 神への呪いを、神への祝いで打ち消した。


 勿論、まだ迷う者もいた。

 修道女、貴族、騎士。

 イトとしては、それでも構わなかったし、寧ろそれでよかった。

 迷うという事は、考えているという事だ。


 そもそも信仰を、一日で根付かせようなんて考えていない。

 この神威解放【深参我みさんが】は、あくまで切欠に過ぎない。


「では我、現人神イトの生誕祭を始めようかの。一緒にバカ騒ぎしようではないか」


 と言って、目を付けたのが少し呆気に取られているジバールだった。


「ジバール、祭りを行う。我が考える故、急ぎ形にせい。この街を呑み込む祭りとするぞ。一週間で執り行う」

「いや、一週間でこの規模はちょっと……」

「いや、一週間が限界だ。それを超えたら、本来のロックドア当主お主の血父親が帰ってくるからのう」

「……いや、それは……」

「あと、がその内ここを攻めてくる」


 えっ、とジバールは絶句した。

 イトもオネストから、その意図を聞いたわけではない。

 だが、オネストがこれから何をするのかなど、考えなくても分かる。


「その前に、やることはやっておかねばならぬ。幸いにして資金ならある訳だしな」

「資金って、まさか……」

「屋敷の地下に眠っておったぞ。重税でお主の父親が買い叩いた金銀財宝がのう」

「それ使ったら父上に殺されるんですけど……!!」

「断ったら我がお主を滅ぼす」

「……」

「毒を人に与えるくらいじゃ。毒を飲む覚悟もせい。

「……はい、わかりました」


 更に民衆の期待の目線を受けて、遂にジバールは折れる。

 ここから一週間、胃腸が捻じれる様な不眠不休の大仕事をする事となり、流石にツクミからも同情されるジバールの背を見ながら、イトは考えを張り巡らせる。

 

(さて、次はこのジバールを、現人神たる我を推す統治者として自覚させねばの……オネストが勇者たちを差し向けてくる前に、そして現ロックドア当主が帰ってくる前に、このロックドアの力を付けさせねば)


 なおジバールにも、ミサンガはついている。



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