第16話 禍津神、祭りの果てにまた女神を雌犬にする

 現人神へ天変地異の災害が降り注いだ。


「何をしているのです!! もっともっと攻撃しなさいっ!! これほどの屈辱を受けた事があって!?」


 オネストの怒号で、ワン王国の聖書に名を連ねる神々が、全身全霊で神威を解放する。


 白き炎に包まれた隕石。

 緑の雷が混ざった濁流。

 黒い氷に覆われた刺突。

 純粋無垢の巨大な正拳。


「かかっ」


 すべて、一つの都市が吹き飛ぶほどの、奇跡。

 にも関わらず超新星の如き爆発から、紙一重で吹き飛ぶ影があった。

 あまねく全てを祭りに変える、心躍る高笑いが木霊した。


「かーっかっかっかっ!! かーっかっかっかっ!!」


 天罰の隙間を、泥まみれで駆け抜ける。

 夏の少年のように、無邪気に走り回る。

 ミサイルのように、無鉄砲に飛び回る。


「これぞ祭りぞ、まさに神々の祭りぞ!!」


 彼こそは混沌の【語らずの神】。

 かつて百万の武神を相手に、笑って生き延びた禍津神、イトである。

 

「どうした、もう終わりか? まだ遊びは始まったばかりぞ?」

「はぁ、はぁ……」


 オネストを初めとした主神たちから上がる息。

 イトとは対称的に、疲労と苛立ちに満ちていた。


「わ、私の天上界が……!!」


 楽園。聖園——最早、そのイメージとは程遠い。

 神の世界は、地獄と化していた。

 人の国なら滅んでもおかしくない規模で、天上界は炎上している。


 イトを消滅させようと神々が全力を出した結果、天上界が類を見ない程傷ついた。


「こ、この禍津神!!」

「八つ当たりは止せ。お主らの方がよっぽど禍津神だろうに」


 その中心、白き炎も鎮火した隕石の上で、イトは胡坐をかいていた。


「あんなちっぽけな神如き、何故消せませんの……?」

「説明するまでも無かろう。いい加減現実を見るとよい」


 未だ空いていた孔に垣間見える、混乱の面影。

 人間達が、次々に神々への信仰を失っている。


 たった一人の現人神さえ倒せない。

 悪戯に天上界を地獄へと燃やしている。

 そんな女神たちを見れば、価値観も揺らぐ。


「最早ロックドアにおいては、貴様らの信仰は崩れ去った。貴様らは我と同じ目線にまで堕ちている。人間へ堕ちた、我とな」


 

 信仰という空気を失ったオネスト達が、力を出し切れないのも無理からぬことである。

 ……たった一人の信仰で、ここまで立ち振る舞えるイトが特殊とも言えるが。


「さて、今度は我から攻めてみようかの」


 両手に二振りの神器を出現させる。


「ここまで愉しませてくれたお礼だ。【三種の神器】が一つ、【線絶刀イタチノカタナ】をせてやろう」


 と豪語した直後だった。

 打って変わって、静寂が荒廃した神の世界を包んでいた。


「……ま、待て」

「ど、どこにもあの男がいない……!?」


 さっきまで、全神の憤怒の渦中にあったはずなのに――

 高笑いも無い。祭りの音楽もない。

 ただ、無。

 無。

 漣の立たぬ水面。


「……っ」


 しかし音無き世界で、何故か神々は唇を震わせていた。

 周り全てが暗黒に包まれ、その夜闇に喰われるようなイメージを――。


「がぁっ!?」


 まずは、魔獣を打倒した戦神ケテテロス。

 いつの間にか零距離にいたイトに、真正面から斬られた。


「いぐっ!?」

「ああっ」


 次々に、神々が【線絶刀イタチノカタナ】の餌食になっていく。

 先程まで愉しかった祭りが一転。

 血塗られた殺劇へと変貌する。


 あっさりイトに接近を許しては、次々に斬られていく従神達を、オネストもただ見ているだけしか出来なかった。


「何が、何が起こっているんですの!?」


 気付いたら、イトはいなくて。

 気付いたら、イトに斬られて。

 まるで、


「いやっ!?」


 海の女神テスタロッテンマリアも、豊満な乳房から刃が生えた。

 女神であろうと容赦なく下すイトが、胡乱な視線を向けたのはオネストだった。

 二振りの刀が、天上界の太陽に反射する。


 次は、オネストだった。


「ひっ」


 戦えば、オネストが圧勝する筈だ。

 なのに、何故か神としての体が動かない。

 本能的に、逃げるという選択肢しか選べない!!


「あっ、あっ」


 神々を縛っていたもの。

 それは、イトという異形への怖れ。


「た、たすけて」


 怖れ故に、意識が出来なくなっていた。

 そこにいても、気づかないように防衛本能が働いてしまう。

 意識すれば、【語らずの神】の底知れぬ恐怖と向き合うことになるから――。


「だだだだ誰か私を助けなさい!!」


 しかし、それこそがイトが狙う隙間。

 オネストの剥き出しな背中へ、飢えた獣の如き禍津神が近づく。

 涙目で、オネストが振り返る。


「誰か、私を、アッ」


 凶刃が、オネストの首を両断した。




「あれ?」


 オネストは生きていた。

 首を飛ばされたはずなのに。

 真正面から斬られたケテテロスも、胸を貫かれたテスタロッテンマリアも、何事もなかった。


「今の我では、線絶刀イタチノカタナもナマクラよの」


 すべての従神が無傷である事を自覚しながら、その中心で神器たる刀を眺めるイトへ視線が集まる。


「……は、え?」


 肩やたった1人の信者しか持たぬ、新進気鋭の現人神。

 肩やロックドアの信者が揺らいだとはいえ、他地方の国民で1億人の信者を誇るオネスト達。

 神器でさえ神を全く傷つけられない程、イトと神々の間に聳え立つ信仰者ランクの壁は厚かった。


 普通に戦えば、イトに即勝利できたのだ。

 しかしその事実を確信しても、戦いを挑もうとする神は現れなかった。

 その光景は傍から見れば――孔から見上げる人間達から見れば、神々は平伏し、イトが君臨しているようにさえ見えた。


 純然たる差が、そこにはあった。


「やはり貴様は、その雌犬の姿がお似合いぞ」

「えっ、あっ、ひぃん!?」


 オネストもまた、四つん這いになっていた。


(だめ、腰が抜けて……)


 断頭の衝撃がまだ頭に残っていて、立ち上がる事さえ満足に行かない。

 つまり、土下座の姿勢で、雌犬オネストになっていた。


「しかし……たった一人の信仰で、この体たらくか? 我に信仰が根付いたら、さてどうなるかの?」

「くっ……」


 屈辱めいた顔で、オネストが目を瞑った。


「ぐ、偶然信仰を失ったロックドアの天上で戦ったからこうなったのです!! 王都の天上で戦えば――」

「——ああ、恐らく我は一瞬で粉微塵じゃろう」


 あっさりと言いのけたイトは、鬱憤を晴らすような目つきで、未だ雌犬で在り続けるオネストを見下ろした。

 

「というか、我にだけ集中していてよいのか?」

「どういう事です」

「天上界がこの有様では?」

「……っ」


 それが、オネストが一番恐れている事。従神も、即座に表情が凍り付いた。


「あなた、どこまで知って……」

「ジバールが持ってた歴史書を読んだだけじゃ。それだけで大体のことは分かる」


 セカン帝国が主神、トゥワイス。

 スリード共和国が主神、トライ。

 三国で同盟を結んではいるものの、水面下で天下統一に向けて動きつつある。


「土地と、神を奪い合う戦国の世。要は三國志のようなものじゃろ。。図星だろう?」

「……あなたには関係ありませんわ」

「だがな。其の大きい胸をなでおろせ、オネスト。この我が、【三柱】すべてを従神ペットにしてやろう」


 【三柱】を全て足元に跪かせる。

 これが最高神という一番星へ駆け抜けるイトの、ゴール地点だ。

 だがオネストも従神達も、荒唐無稽な野望に酷くざわつく。


「勿論、貴様は雌犬として我へと永遠に服従し続けるのだがな」

「畏れ多い畏れ多い畏れ多いいいっ!! あなたのような人間に、一体何が出来るというのですか!?」

「少なくともお主らを平伏させられると、先程証明したばかりぞ?」


 燃え上がる天上界。

 完全に心が打ち砕かれた神々。

 そして雌犬のようなみっともない格好をする自分。


 これら三拍子がそろっていては、オネストも反論できなかった。


「今回は挨拶宣戦布告だけに参ったのでな。我はこれで失礼する――オネストよ、引き続き天上界、温めて待っておれ。早くに雌犬として傅きたいなら、いつでも大歓迎じゃぞ」


 【蜘蛛の糸】から人間界へと落ちていったイトへ、オネストも暫く沈黙するしかなかった。


「歩くわざわいだ」

「紛れもなく、アレは禍津神だ」

「誰も語ってはならない。【語らずの神】か……」


 ダン!! と天上界を揺らす一撃があった。

 オネストが存在を沸騰させるほどの憤怒に身を焦がし、右手を天上界へぶつけたのだ。


「お、おのれ……かくなる上は……!! 勇者を動かすしか……」


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