第12話 禍津神、異世界に現れた妖と対峙する

 神獣とはなにか。

 白龍とはなにか。

 依り代とは何か。

 ツクミで77体目とはどういう事か。

 この儀式の末に、一体何が起こるのか。


「う、う……」


 そんな疑問すら浮かぶ余地もなく、ツクミは座り込んでいた。

 重力が何倍にも増したかのように、立てないでいた。

 76つの首と、肉体粘土を前にして、何もできないでいた。


「魔族は、私たち魔族は、こんな、こんな……うっ……」


 魔族には、命として生まれた尊厳すら、最早ないのか。

 76体分の残酷な【芸術】は、その答えだった。

 不条理な世界を前にして、しかしツクミはなお立ち上がる。

 

「だ、だい、大丈夫」


 小鹿のような二つの足で立ち上がり、混乱を残す瞳で睨みつける。


「私は、あなたの神官だから……悲しんでる場合じゃ……」

月魔モノクローム、悲しむ必要はありません。月魔モノクロームであれば、77体目の――最後の生贄に不足なし。君がこの龍頭を飾ることで、【白龍】は神の世界から顕現し、人々は忘れかけたオネスト様の奇跡を仰ぎ見る!」


 ミーダスが迫る。

 76個分の魔族で濡れた赤き長剣を引っ提げて。

 神獣【白龍】復活に胸を躍らせた、恍惚な笑みを浮かべて。


「第18騎士団団長の剣舞、御身に捧げる!!」


 数十メートルは、離れていた。

 それが、一瞬で零距離へ圧縮される。

 【縮地】。


 加えて神々しく光る剣。

 すなわち、【聖剣】への昇華。

 それは聖職者として祈り続けたが故に、オネストから受けた【恩恵】。

 ミーダスが振るう剣は、いかなる鎧とて両断する必勝の刃と化していた。


 ツクミのがら空きの首へ、聖剣は振り下ろされる。

 嗚咽で精一杯になっているツクミに、避けられるはずもなく――。


「我が神官に何をする」


 聖剣が止まる。

 神が、握りしめていた。

 連動してミーダスの笑みも固まる。


 【縮地】に順応し、かつ【聖剣】を素手で掴んでいたのだから。


「……我が剣を見切り、しかも斬れぬ……だと」

「ほう。足運びと剣術が自慢か? 

「……っ!?」


 神が常に纏わりついているような、柔和な笑みが一瞬で吹き飛んだ。

 第18騎士団の連中を屈服させた禍津神の威圧。

 ——否、それよりも重い、禍津神の憤怒。


 結果身体が勝手に、聖剣を置いて離れた。


「神に身命を捧げている割には臆病だな。そのような精神では、武士もののふと出くわせば瞬殺ぞ」

「も、モノノフ……!?」


(なんだこの男は……! この私が、死を恐れている……!?)


 ミーダスの体が、勝手に離れた。

 信仰心すら貫く恐怖が、ミーダスを襲っていたからだ。


「武士とは信仰の塊よ。貴様と比類するまでもなくな」

「なんだと」

「義を経典に、勇敢と堅忍の精神を纏い、測陰の心で、礼を貴ぶ。誠を背に、名誉を自覚し、忠義に命を捧ぐ。それが武士たちの信仰、武士道ぞ」


 イトの脳裏にあったのは、人里へ降りた時に見た武士たちの歴史。


 例えば源氏と平氏が熾烈に死合った壇ノ浦。

 例えば宮本武蔵と佐々木小次郎が鍔迫り合った巌流島。

 例えば『御用改め』と新選組が渦中で咆哮した池田屋。


 ミーダスの聖剣には、魂は宿っていなかった。

 オネストへの壊れた片思いだけが、淋しく空転していた。

 そんな獣畜生を間引いた禍津神——それこそが、イトの所業である。


「その武士達に等しき魂をツクミは持っておる。貴様が汚してよい魂ではないわ」

「私が……?」

「ツクミよ。悲しんではならぬなど、何を言うか」


 不条理の中で彷徨う少女へ、腕組をしながらイトが続ける。


「同胞の肉体が恥辱の極みを受け、尚平然としているようならば、それは神官としても魔王としても在ってはならぬ存在だ」

「……」

「無理矢理目を逸らすでない。精一杯悲しめ。心に従え。そして倒すべき敵を、救うべき友を見定めるのだ」


 直後だった。

 白龍を象った76体分の肉塊が、突如咆哮しながら動き出した。


「ふ、はは!! 自らの頭となる月魔モノクロームを見て、我が白龍がついに動き出したぞ!! これが我が信仰心の結晶也!!」


 神からの恐怖を上回る歓喜に舞うミーダスの前で、巨塊はその欠けた頭部でツクミに突進してきた。確かにツクミを本能で求めている。

 白龍として、完成したい。

 命として、蘇りたい。

 そんな無念が、怨霊の残滓となって迫ってくる。


 だから、ミーダスの歓喜を見て溜息をつく。


「ミーダス、盲目の貴様に一つ教えてやる」


 ツクミを抱えて、跳んで躱す。

 地下室の一部が崩壊し、地上の陽が差し込む。



「それは神獣などではない。ただのぞ」



 陽が当たった途端、肉塊は爛れ、溶けていった。

 悍ましい溶解劇の果てに、白龍は骨だけの姿となった。

 骨だけになろうとも、その健在な膂力で地下室を破壊しながら、地上に出たイトとツクミを追ってくる。


「馬鹿な、そんな馬鹿な……!! かような御姿が、白龍だとお!?」


 地下室から這い出たミーダスを、屋根の上からツクミと共に見下ろすイト。

 だが屋根の上にいても尚、頭は白龍の方が高い位置にある。

 ……白龍、ではあるが。


「間違ってはいない。聖書に間違いがある筈などおおお!! そうだ、これが白龍なのだ!! 骨だけの姿、ありのままの姿、我ら平々凡々な人間などには到底理解しえぬ姿、これこそが神でなくて何だというのだ!!」

「だから言うたろう。と」


 現実逃避を繰り返すミーダスと会話しているだけでも疲れる。

 結果76体の魔族を無駄死にさせた罪を自覚させてもよいが、そんな義理はイトにはない。


「そもそも神獣【白龍】なら、我が既に仆した」

「……は、はは、何を言うかと思えば」

「故にこの依り代に白龍が宿る訳がないのだ」


 ミーダスは、狂信を見開いた眼で表現する。たとえ真実だったとしても、どんな声はも届かないだろう。

 だが隣のツクミに話す意義は高い。彼女はこの先も、を相手にしなければならないからだ。

 

「イト様。あやかしってなに?」

「神が願いの縁で参った存在とすれば、妖は呪いの腸から生み堕とされた化物。下手すれば神すら喰らう異物よ」

「イト様は、見たことあるの」

「ああ。かような【】は、死骸が積まれた鎌倉から室町に良く見たわ。まさかこの異世界で相見あいまみえるとは思わんかったがの」


 説明を繰り返している間も、骨だけの龍がしゃどくろは破壊を繰り返していった。

 広大な屋敷が、次々と削られ、吹き飛んでいく。


「なんだあの魔物はぁ!!」


 やがて近くにいた第18騎士団の騎士達が、魔術や弓矢を飛ばす。だがまったく効き目がない。火の玉を軽々と弾き、氷の矢を悠々と割り、風の刃を易々と耐えてみせた。

 尚も骸骨を曝け出し、蹂躙を繰り返す様に悲鳴が増えていく。

 

 命を失い、体を弄ばれ、ただ咽び泣くことしか出来ない躯に、ツクミはようやく泣く。


「あの【がしゃどくろ】というのは、呪いによって生み出された妖なんだよね」

「左様だ」

「……魔族が世界を呪った無念で出来てるんだよね」

「それも、左様だ」

「じゃあ、私が止めなきゃ。私が止めたい。私が止める」


 理由などない。ただ同じ魔族という共通点しかない。

 だが、それもで泣くのがツクミという魔王候補であり、そして神官である。

 気高い月魔モノクロームの出陣に、横槍を差すことはしない。


「持って行け」


 と言いながら自らの腰に拳を充てると、を引き抜く。

 自らの魂が宿った神器を、ツクミに託す。


「三種の神器が一つ、【線絶刀イタチノカタナ】だ」

「これは……?」

「斬りたいものを斬り、斬りたくないものを斬らぬ。妖刀にも化けるし、勇者の剣にもなる。斬ってこい」


 受け取ったツクミは頷きながら、線絶刀イタチノカタナを引っ提げる。

 その背中は、魔王とは程遠い。

 人によっては、魔王を倒す勇者と見えただろう。


 だが、イトは違った背中を見ていた。


「やはりお主は、武士の魂を持っておる」


 まるで神とて斬り伏せる源頼光の土蜘蛛退治ではないか、と。

 愉しくなり、現人神イトもつい節介を焼きたくなる。

 だから、を掌から生み出す。


「【三種の神器】が一つ、【火縄銃ホムスビ】」


 同じく神の魂から出来上がった、炎の神器——火縄式の銃を象った武具を掲げ、ツクミと共に征く。


「征くぞ。ツクミ、我が神官」

「うん、わかった!」


 それは、決して魔物退治などではない。

 聳えるは、骸骨の龍。がしゃどくろ。

 現人神と、現人神を信仰する神官武士は、異世界で初めての退治をする。



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