第7話 禍津神、奴隷店主をタオす

「まずは外へ出ようかの――神威解放【格子】」


 瓦礫で交差するイトが、細かな格子状へ変貌する。

 そのまま、全ての瓦礫を砂のサイズにまで粉砕した。

 吹き付ける砂嵐も、事前に引いた【一線結界】に阻まれイトとツクミには届かない。


 ……後には、何も残らなかった。

 そこに地下室を有する建物があったであろう穴と、店だった砂が堆積するのみとなった。

 その中心で現人神と月魔モノクロームは、真っ暗な夜空を見上げていた。


「星、奇麗。もう見れないかと思った」

「そうだな。どの世界においても、星空ほど酒の肴になるものはない」

「あなたは別の世界の神様なの?」

「元々は日本というクニで禍津神をやっていた。今は違う。最高神へと上り詰めるため、ゼロからやり直しだ。お主が一歩目だ」

「マガツ……」


 禍津神が分からないらしい。それなら好都合だと、説明はしない。

 本物の望月満月の下、現人神は続ける。


「ツクミ。お主は我の神官となれ」

「神官……」

「我の教義を体現し、神事を取り扱い、信者たちの道標となる者のことぞ」


 奴隷ではなく、神官というワードにツクミは目を見開く。


「私は魔王になるかもしれない月魔モノクロームだよ」

「魔王になれば良い。神官と両立するものだ。我にとっては人も魔王も変わらぬ」


 小さく笑いながら、後押しするようにイトが言った。

 もちろん、魔族と人間の壁はあまりにも厚い。記憶の浅いツクミといえど、人間への敵対心は未だ垣間見える。


「神官になってもお主がやることは変わらん。魔族を救え。そして人間との懸け橋となれ」

「人間との懸け橋……?」


 僅かにツクミの目が泳いだ。


「人間が憎いか? お主が憎んでいるのは、魔族に生まれただけで後ろ指差される不条理だった筈だ」

「……」

「お主なら気付けよう。人も魔族も、互いに睨み合うことしか知らんからこそ、無用な血が流れる」


 ツクミは人間を怨敵と見定めていない。精々自分を捕まえた奴隷商人くらいにしか殺意を抱いていない。それをイトは見通していた。

 しかし、「じゃあ明日から人間と仲良く」なんて単純な話でもない。


「……私は人間を許すことは難しい。あなたみたいな神様でもない限り」

「遠道を、重荷を背負うて急ぐでない」


 迷うツクミへ、一等星のように優しく照らすイト。


「ゆっくりお主の心に向き合うがよい。何をすればよいか、立ち止まって考えるがよい。我は一等星。標に迷わば、我を見上げるがよい」


 ツクミは、記憶がない。魔族としての遺伝子が、人間への憎悪を掻き立てているに過ぎない。

 記憶がない故に、純白なのだ。

 だから為すべきと感じたら、根拠もなく為す。その逆もしかりだ。


 仮にツクミが、本当にステレオタイプの魔王だとしたら――今頃ツクミはロックドアを燃やしていただろう。

 でも、今日も街は平和だ。

 街を焼く魔王なんて、いなかった。


 それは、ツクミが元来の優しさを持っていたからだ。

 だからこそ、囚われの魔族を逃がすために殿にも立った。

 故に、相手が魔族であろうが人間であろうが、神官としてより多くの心を救うだろう。イトはそう信じていた。


「あなたは本当に、神様なんだね」


 一方、依るべき大樹を見つけた嘘偽りない笑みを、ツクミは浮かべた。


「分かった。あなたを、私の神として信仰する」

「良い。我が神官として力の限りを尽くせ」


 直後、ぎゅるるるとお腹の成る音。ぺたん、とツクミは座り込んでしまう。


「力が出ない……」

「かかかっ、魔王も腹が減っては戦が出来ぬか」


 一通り大笑いした後で、イトは店(があった場所)の前で腰を抜かしていたジバールを片腕で拾い上げる。


「ジバール、帰るぞ。良き神官を見つけた」

「うわ、ちょっと!」


 呆けるジバールを雑に引きずり、ツクミは優しく背負う。

 二人を連れて帰ろうとすると、店主が恨み骨髄の血走った眼差しが見えた。


「ま、て……」

「おお、生きておったか。もうお主に用は無いから去って良いぞ」


 自らの店を物理的に失い再起不能な店主にできることは、ただただ憎悪のまま暴走する他は無い。


「ジバール様が奴隷反対の立場とは……父上は黙っていませんよ」

「いや待て、俺は……」


 ロックドア当主の存在が話題に上がった途端、ジバールの顔が強張る。

 トイの記憶では、ロックドア当主は魔術師としても相当の実力者であった。その実力が逆に、悪政に拍車を掛けてしまっていたようだが。

 父が帰ってきたら――そんな想像だけで、ジバールは息苦しくなる。


「お主、ずっと勘違いしておるな。商才がまるでない」


 でもそんな事、神には関係ない。


「確かに我は奴隷は良しとせぬ。かといって奴隷解放も望んでおらぬ。自ら助かろうとせぬ者を助けたとて、徒労に終わるだけだからな」

「じゃあ、なんでこんな事を……俺の店が消えなければならない……!!」

「天罰でも下ったのだろう。知らんが」

「知るか!! 俺の店を返せええええ!! その商品を、奴隷を返せええええ!!」


 突進してくる店主に、イトは空いていた指を向ける。


「神威解放【一線】」


 地面に描かれた直線。その上を店主が跨いだ直後、結界が発動した。

 どさ、と店主が地面に這いつくばる。

 境界にあった店主の左足が、千切れて消えていた。


「が、ああああああああああ!?」

「オイ下郎。我の神官を商品などと宣ったか? 奴隷などと蔑んだか?」


 神の面持ちは、月光の陰となって見えない。

 否、店主の脳は表情を読み取ることも出来ない。

 読み取れば、それ即ち死神の鎌を受けるような気がして――。


「ぎ、あ……」

たお


 威圧。

 ただそれだけで、左足を失った身体の痛みも、店を失った精神の痛みも平らげてしまうほどの恐怖が、店主の全身を貫いた。


 禍津神を目前にしてまた一人、廃人となった。


「……」


 死人同然となり、髪が真っ白になった店主を置いて、イトは跳ぶ。

 「ひいぃぃ」と唸る左手のジバールを無視して、背に抱き着く月魔モノクロームツクミを感じながら、屋根伝いに屋敷へと駆けるのだった。


「イト様。ありがとう」

「む? 我は何もしておらんぞ」

「あの奴隷店主に、やり返してくれて」

「当然ぞ。娘を貶されたようなものだ」

「娘? あなたは、私の父じゃないよ」

「神と人の関係なぞ、親子同然に決まっておる」

「私は魔族」

「ああ、そうだったのう。まあ我からすれば何も変わらん」


 するとツクミは、そ主人にじゃれつく子犬のように、あるいは父親に甘える娘のように、ぴたりと背中に頬をくっつける。

 その顔からは、緊張は一切解けていた。


「イト様の背中、人間なのに暖かい」

「当然だ。我は神なるぞ」


 一方、空中を闊歩する神に付き合わされ、いつ落ちるかもしれぬ恐怖と闘っていたジバールへイトは命令する。


「ジバール。帰ったら直ぐ夕食だ」

「へ、へえ!」

マズいものを喰わせてみろ。我のハリ千本飲ますぞ」

「め、滅相もない!」


 こうしてイトは魔王候補たる月魔モノクロームを神官とし、いずれは神社となる屋敷へと帰還したのだった。


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