第4話 禍津神、虐げていた弟を土下座させる

 帰ってきたジバールは、呆気にとられていた。

 何故か庭にある当主の椅子に、見覚えのない青年が座っていたのだから。

 しかも執事と給仕の二人が、跪きながら煽いでいる。


「誰だ貴様!!」


 まるでロックドア家の当主の如く、膝を組んでいたイトに叫ぶ。


「おお、ようやく帰ったか我が弟よ」

「弟……いや、馬鹿な、トイ……!? ……ありえない」


 【筋骨龍々】でも整形しきれなかったトイの面影を見て、僅かにジバールが目を細める。


「我はイト。やがてオネストを雌犬ペットとし、この世界の最高神に君臨する現人神だ」

「……ああ、確かに貴様はトイだ。くくく、どうやら毒が変な方向に回ったらしい」


 唐突な現人神宣言を聞いて、ジバールが高笑いを始める。

 完全に次元の違う精神だと揶揄する嘲笑だった。


「いつも突拍子のない事を喋る。自らの魔力を高めることも無く、自らの血筋も自覚しない。そんな貴様はな!! 部屋でくたばっていれば良かったんだ!! 俺が弟という馬鹿な理由で家を継ぐこともなくな!!」

「だから兄を迫害し続けてきたのか」


 聞くまでもなく、トイの記憶の中に残っている。

 そもそもトイが引きこもった原因は、ジバールの存在が大きい。

 魔術がまったく放てず、周りからの評価が絶無だったトイの隣で、魔力、身体能力に恵まれたジバールは日の目を浴びていた。


 しかし、しきたり故にジバールはロックドア家を継ぐことができない。長男であるトイが存命である限りは。


 それを理不尽と感じ、ある時からジバールはトイを攻撃し続けた。ジバールを精神的に追い詰めた。執事たちもジバールに正当性があると思っていたのか、あるいはジバールに付いた方が得と感じたのか、トイに嫌がらせをし続けた。

 ついには、毒を盛るところまで来た。 


「何をやっている貴様ら! 早くその馬鹿を殺せ!!」


 痺れを切らしたジバールが、未だ跪いている執事たちに命令を下す。

 しかし立ち上がるも、何もしない。ただ空っぽになった瞳で佇むだけだ。


「我がイトに繋がれている。傀儡に話しかけても暖簾に腕押しだ」

「ぐ、え、衛兵はいないのか……!」

「ほかの衛兵についても同様ぞ」


 ぞろぞろと、武装した屋敷の衛兵が歩いてくる。

 しかし皆傀儡に成り果てており、イトの盾になるような位置で立ち止まる。

 不気味に顔を引きつらせるジバール。無能なはずの兄が何をしたのか、それが分からない。


「操られている……な、何の魔術だ……」

「魔術ではない。神術だ。とはいえ」


 プツン、と傀儡のイトが切れた。

 解放されたように執事や衛兵がよろけると、その瞳に光が灯る。


「この程度の人数で千切れたか……やはり人の身での神威には限界があるらしい」


 人間故の不自由さに溜息をつくイトに、傀儡から解放された執事と衛兵は顔を引きつらせていた。傀儡にされた悍ましい感触が残っているせいだろう。


「ば、化け物……う、うわあああああああ!!」


 執事も護衛も、散り散りになって逃げてしまった。

 ロックドア家の跡取りたる兄弟を残して。


「許さないぞ……絶対に許さないぞ、トイ」

「ほう?」


 震えるジバールには憤怒が垣間見えた。


「貴様が、貴様さえいなければ、俺はスムーズにこのロックドアを継ぐことができた……この広大な土地を、爵位を、地位を、権力を、俺の思うがままにできた……」

「そうか。お主、ただこの地で好き放題したかっただけか」


 ジバールの青筋が際立つ。


「お主が先程まで何をしていたかは知っている。他貴族とのパーティーにあけくれ、奴隷商売にも顔を出した。更には途上で通行人に跪かせているそうだな?」

「……それは持つものとして当然の権利だ」

「同感だ。しかしそれは、治世者としての義務を果たしていれば、だ。ただ欲望に忠実な犬が納める国は、大概破滅しておる」


 ジバールが強張る。ロックドア家が長年してきた横暴のせいで、領民が疲弊している事は分かっているらしい。

 だが、分かっているだけだ。

 その悪環境を是正したいという使命感は見えない。


「お主は父親から家を引継ぐだけでなく、その悪政まで引き継ぐつもりか。お主は亡国の誹りを受けたいのか。悪徳城主の末路は決まって惨めだぞ? 市中引き回しの上、皆が万歳三唱する中、磔獄門の末、四条河原へ晒し首だ」

「……っ!」


 イトの異様な気配に、ジバールの中で地獄の末路イメージが連続する。

 払拭するようにジバールが叫ぶ。


「黙れ無能があああああああああ!!」


 ジバールの右手に火の玉が出現する。


「ファイヤーボー……」

「神威解放【一線】」


 しかし放たれる直前、ジバールの足元に直線が張られるや否や、結界が空へと伸びた。

 突如目前に現れた半透明の長方形に火の玉が炸裂する。

 結果、暴発する形でジバールが吹き飛んだ。


「それが魔術か、やはり陰陽道に近いものがあるな。人ながら神のような事をする。しかし心が備わっていなければ、ただの凶刃と代わり映えせん」

「う、あ……ああああああああああ!!」


 腰の剣を抜き、ジバールが斬りかかる。

 神術を使うまでもない。【筋骨龍々】によって鍛え抜かれた左腕で防ぐ。

 僅かに刃が沈む。しかしほんの僅かだ。鎧でも相手にしているかのように、それ以上剣が斬りこめない。


「き、斬れない!? 魔力を込めているのに!!」

「軽いな。これでは神一人斬れん」

「か、神……!?」


 腕で止まっていた刃を素手で掴むと、そのまま握り割ってしまう。

 キラキラと降り注ぐ刃の残骸に、ジバールは唖然とするしかない。


「では、我こそが現人神たる証左として、【三種の神器】が一つ、【線絶刀イタチノカタナ】を見せてやろう」


 イトが自らの腰に拳を充てると、肉体だった筈の個所から刀を引き抜いた。

 神としての魂に付属した、【三種の神器】のうちの一つ、神刀【線絶刀イタチノカタナ】だ。愛刀として、数多の武神を斬り伏せてきた神殺しの逸品である。


「人の身でも具現化は可能か。では切れ味がどれ程鈍っておるか試し斬りしようかの」

「ま、ま、ままま、待て……!!」


 最上段に掲げ、命乞いの言葉さえ出せずにいたジバールへ振り下ろす。

 一閃。三日月が召喚されたかのようだった。

 ジバールがいた地面は、地中深くまで裂けていた。


「……?」

「試し斬りは成功のようじゃな。斬る斬らぬの線引きが少し難しくてな。お主は運がいい」


 しかし、時間とともにようやく自分が死んでいないことに気づいたらしい。

 だが、自分をすり抜けて数百メートルの彼方まで庭が一刀両断されていることに気付き、ジバールの中で何かが崩壊した。


「あ、あ」

「畏れたか。そうだ。お前の目前に立つは、神だ」


 ジバールは失禁した。

 禍津神を見上げるジバールは、完全に心がへし折れてしまった。


「あ、兄上、も、申し訳ございません……」

「おいおい、先ほどまでの傲慢はどこへいった?」

「な、何でもしますっ!! 金目のものとか、全部渡しますんで!!」


 怯える犬になった様を見つめるイトは、酷くご満悦だった。


「まず、謝り方がなっておらんな」

「えっ?」


 ジバールの後頭部へ足を押し付けると、そのまま前へと踏み倒す。


「謝罪の礼儀は、だ!!」

「がっ!?」


 こうしてトイへ毒を盛った張本人であるジバールも、犬のような姿勢で土下座した。

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