第3話 禍津神、肉体を鍛える
ロックドア伯爵家は、ワン王国が一地方を任せるほどの貴族である。
魔界が近いこともり、相応の
そして国教である【オネスト教】に従い、品行方正を心掛け、ロックドア領の繁栄と治安を長年維持してきた――。
(——訳でもなさそうだな。典型的な悪徳城主だな。否、悪徳領主か)
20年の記憶を辿ると、権力に胡坐をかき、悪政に悪政を重ねてきたようだ。
民からは重税を毟り取り、癒着している騎士団で弾圧し、私腹を肥やしてきた。
結果見事にロックドア領はやせ細り、治安は乱れた。
ロックドア当主たるトイの父は、何も悔い改める様子もなく、自らの欲望に耽溺している。
ではその当主の嫡男であるトイは何者かというと――。
「このトイは父のお零れに預かり、惰眠を貪ってきた訳だな」
鏡を見れば見るほど、溜息も増える。
顔立ちは幼いものの、これでも20歳だ。
父の悪行三昧に甘え、自身の無能さから逃げ、20年間ずっと引きこもってきたのが顔立ちに出ている。
血筋に恵まれたロックドア家の人間は、魔力も相応の質がある。
だが、トイは魔力に恵まれなかった。魔力なるものが体内に存在しないのだ。
故に魔術も穿てず、苛められた結果、引きこもるようになった。
「しかし何とだらしない肉体だ。これでは神として崇められぬ。あの雌犬め」
だがここに一つ矛盾が生じる。私財を多く有するロックドア家において、何故トイは痩せこけたのだろうか。寧ろ太ってしかるべきなのに。
(どうやら毒を盛られたようだな。本来のトイが亡いのはそういう事か)
トイの魂は、すでに死んでいる。どうやら毒を盛られたようだ。
そして病死に見せかけて殺された――直前でイトが肉体に入り、今に至る。
「あの雌犬の言う通り、神威の解放は相当制限されている……が」
試しに【一線】を引いてみる。床に描かれた直線から、何物も通さぬ結界が出現する。しかし禍津神イトだった頃と比べればあまりにも雲泥の差だ。
今オネストと対峙しても、まったく歯が立たないだろう。
イトと神の間には、それほどの差が出来てしまった。
だがこの世界の最高神となり、オネストへ首輪をかける野望は消えない。
「しかし、どういう訳かゼロではない。神威は解放できるな」
少しでも神威が使えるなら、儲けもの。
元禍津神は、基本前向きである。
「さて。まずは我を神として認知させねばな。禍津神とされた日本では出来ぬ相談だったが、ここなら新しい形の信仰を生み出すことも出来よう」
スタート地点に立つには、信仰先の神として認知されなければならない。
現人神として、崇められなければならない。
悪政を正し、人々に希望を与えることが出来れば、神として崇められる。
天上で高みの見物を決め込んでいる神々にはできないことだ。現人神の自分にしかできない特権だ。
「となるとまずは神に相応しい身体が必要だな」
骨と皮だけのガリガリで不健康な肉体に、神としての威厳は宿らない。
早急に身体を強くする必要がある。
「神威解放【筋骨龍々】」
その神術は、平たく言えば人体改造である。
筋肉は鋼鉄に似た進化を遂げ、運動神経も極限以上に引き上げられる。
「うぐ、ぎ……嗚呼、これが痛み、か。人間とは不便だな」
だがデメリットもある。
これは何百年分もの筋トレを数十秒に凝縮するようなもの。
当然、ショック死確定の
さりとて、神々と闘ってきた2000年の地獄に比べれば大したことはない。
超激痛程度、笑って乗り越えることは造作もない。
「はあ、はあ……」
激痛が止み、呼吸を整えてから再度鏡を見る。
そこに、怠惰で貧相な無能貴族トイは居なかった。
より現人神に近づいた超人の肉体がそこにあった。
そう思ったのも束の間、腹から音が鳴った。
「くっ、空腹までは何ともならんか。まこと人間の体は不便よ」
嗅覚と記憶を頼りに給仕室へたどり着くと、扉の隙間から二人組が会話しているのが見えた。
片方は執事。もう片方は給仕の男だ。
『トイ様が目を覚ましたと?』
『ありえません。毒で間もなく死ぬはずなのに』
『まあ良い。この後の食事にも毒を混ぜたのだろう? これを食べさせれば今度こそ死ぬだろう』
「——成程。これは確かにひどい
二人の後ろで、毒が入っているはずの骨付き鶏肉を、ワイルドに食らっていた。
骨だけになった鶏肉を放ると、合掌する。
「馳走になった。食材となった鶏に敬意を払おう」
転ぶほど驚愕した二人が、イトを見上げて叫ぶ。
「だ、誰だ!! 曲者ぉ!!」
執事が手元にあった包丁で、即座にイトを突き刺す。
しかし先端は、イトに突き当たった瞬間に折れた。
執事も給仕も、人間とは思えぬ硬度に慄く。
「か、硬い……や、刃が通らない、だと!? 魔術か!?」
「【筋骨龍々】にて鍛冶した筋肉ぞ。そんなナマクラでは刃が立たぬわ」
「ば、化け物……」
「人間誰でも300年程度励めばこれくらいにはなれる」
刃が刺さらない怪物に恐慌状態となった二人は、助けを求めて扉へ走る。
「神威解放【一線】」
扉に結界が張られた。ドアノブに触れることさえできない。
「開かない!! 扉が開かんぞ!! どうなっている!?」
「しかし酷いではないか。この肉体はお前たちが仕えるトイのものなのに」
ドアを背に、執事と給仕が後ずさる。
「ま、まさか、トイ様!?」
「ば、馬鹿を言え!! アレがあのような体つきな訳がないだろう」
「しかし妙に顔が似ているような……」
身体へ神威解放【筋骨龍々】をした際に、顔も幾分か変えてしまったせいで、自分がトイだと分からないようだ。
「トイは死んだ。その肉体を所有し、貴様らの目前に君臨するはイト、現人神だ」
イトが人差し指と中指を向ける。
二指から伸びた線が、二人の心臓に到達する。
「神威解放【傀儡】」
どくん。
と二人が仰け反ると、意志を失った人形の如く項垂れる。
【傀儡】——自我を
ここで「自害しろ」と命令したら、近くの包丁で首を搔き切るだろう。
しかしイトは既に禍津神を卒業した身。
そんな事はしない。
「我はこの世界について知識に疎い身。お主らの知識を我に献上せよ」
「はい、イト様」
自我を失った人形は、従順に語りだす。
ワン王国のこと。
一か月前、王都に異世界からの勇者四人が現れたらしきこと。
このロックドアで蠢く暗躍、遠出で今はいない当主の悪事。
すべてを白状した。
トイの弟である【ジバール】が、トイの毒殺を指示した張本人であることも。
「ならばそのジバールに、挨拶させに行こうか」
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