第6話
僕のことを『シルクロード』のメンバーにバショーから紹介してもらった時、当然ではあるけど、メンバーたちはまず、僕のギターの腕前を疑った。
「米素、ほんとにあいつに任せて大丈夫なのか?」
バンドメンバーの金原が、僕をチラチラ見ながらバショーにそう耳打ちした。もとから声が大きいのか僕にも丸聞こえである。多分コイツがさっきバショーと言い合いをしていた奴だろう。
「あいつの腕は確かだよ。なあ、辺野」
バショーは僕に同意を求めた。
「ああ、この譜面なら大丈夫そうだ」
僕はバショーに渡してもらった譜面に目を通しながら答えた。アルペジオ中心だが、いくつか僕の得意なフレーズが入っている。もしかしたらアドリブも入れられるかもな。僕は久々のステージに思いを馳せた。
「とのことだ、金原。そう不安そうな顔するなよ、あいつならきっと大丈夫だ。もしかしたらアドリブも入れてくるかもしれないぞ?」
バショーは僕がアドリブを入れるのを予測していたらしい。まあ、高校の時もよくしていたからな。
「…そんなに上手いのかよ、ギター」
金原は相変わらず納得がいっていないようである。400人規模のライブのトリともなれば、どうしても慎重になる。
「なんども言わせるなよ。俺たちは俺たちのことに専念すればいい。あいつのことは気にするな」
バショーは自信たっぷりである。金原はそんな様子を見て観念したようにため息をついた。
「はあ、分かったよ。」
金原はそうバショーに言うと、今度は僕の方を向いて、
「おい、辺野とか言ったか。お前、あんな大口たたいたんならミスは絶対許さねえぞ」
と釘を刺してきた。言われなくてもミスなんてするもんか。
「任せてくれ」
僕は真っ直ぐ金原の目を見て答えた。誠実さが売りの男だ、さぞ信頼できる返事に聞こえただろう。
「安住、お前もこいつがギターで異論ないよな」
バショーはもう一人のメンバーに声をかけた。安住と言われたドラムは、バショーの問いに黙ってうなずいた。キャラとかではなく、普段からこのくらい無口らしい。おかげで影も薄い。
「じゃあ決まりだな、出番は大体あと一時間後だ。それまで合わせで練習するぞ」
「おい、合わせってこいつが譜面読み始めてまだ10分もたってないぞ」
金原は驚いたように僕を指さしながら言った。バショーはやれやれと言った感じで僕を見た。
「お前だったらこのぐらいで十分だろ?辺野」
僕はふっと笑って答えた。
「流石に20分はほしい」
10分弱は鬼畜すぎるぞ、バショー。
ということで、もう少し楽屋で待機することになった。
「そういえば、青井。お前辺野とはどこで会ったんだ?」
バショーがなんとなくと言った感じで、部屋の隅の方に座っている空に尋ねた。
「辺野君の大学」
空は答えた。やはりバショーに対する態度がそっけない。
「てことは中下大学か。あそこ立地だけはいいからな、俺も最初中下志望してたわ」
バショーは懐かしそうに言った。立地だけってなんだ、だけは余計だろうが。
「青井はどこの大学行ったんだよ」
「…一橋」
「「一橋!?」」
バショーと僕は同時に驚いた。
「空、お前そんなに頭良かったのか」
僕は思わず言った。中下大と比べれば天と地ほどの差がある大学だ。まさか空が東京一工だとは…。
「あれ、辺野君には言ってなかったっけ」
そんなこと一切聞いてないぞ。
「いや、俺もびっくりだわ。俺なんて辺野よりも下の大学行ったからな。お前すげえよ」
「……」
空はもう完全にバショーにだんまりを決め込んだらしく、何も言わない。
「おいおい、俺なんかしたか?」
バショーは両手を挙げて大げさにリアクションを取った。アメリカ人みたいだ。
「どうせお前、昔空にちょっかいかけたりしたんだろ」
僕はバショーを問い詰めた。こいつには前科がある。
「してねえよ、青井には何もしてない」
「黙れ、クズベーシストめ」
僕は反論の余地を許さなかった。こいつ、米素馬生は高校生の時から筋金入りのクズだった。こと女性関係に関してはそのクズっぷりを存分に発揮していて、最高で6股をかけたことがある。もはやどうやってそこまで浮気したのか純粋に興味が湧いてくるレベルだが、他にも金銭を要求して、結局それを返さなかったり、デートの約束も簡単にすっぽかしたりしていた。おかげで多くの女子からは猛烈に嫌われていたが、一部の物好きな女子にはかなりモテていて、バショーに彼女が途切れたことは僕の知る限り一度しかなかった。普通に友達をする程度ならなかなか面白い奴なのだが、いざ深くかかわるとなると男でも中々厄介だった。なので僕のように大学生になっても付き合いのあるやつというのは珍しく、おそらく現段階で僕だけではないだろうか。とまあそんな感じで僕はバショーに疑いをかけている。
「勘弁してくれよ、俺だって最近は健全なお付き合いしてるんだぞ?」
バショーは必死に弁解した。が、そこで思わぬ攻撃が入った。
「でもお前、つい最近彼女からもらった金、全部麻雀で溶かしたって言ってたよな」
金原の思わぬ告白にバショーは固まった。こいつ、大学生になっても彼女から借金してんのかよ。しかも賭け麻雀してるし。
「…最低」
金原の話を聞いて、空がぼそっとそう言った。これは確かに最低だ。
「なにか言い残すことは?」
僕はバショーに聞いた。介錯くらいはしてやろう。どうやらバショーは死を悟ったらしく、目を閉じた。そして穏やかな表情で言った。
「俺を殺す前にさ、合わせ練、しよ?」
それを忘れていた。僕はスマホで時間を確認した。もう僕が譜面を読み始めて25分はたっている。そろそろギターを弾いとかないととまずい頃合いだ。
「分かった、とりあえず合わせだ。バショー、ギター貸してくれ。」
「そうこなくっちゃな!ほら、そこの使え、借りてきたやつだけど」
バショーの視線の先には、一つのギターケースが壁に立てかけられていた。
「中身は?」
「多分レスポール」
「了解」
レスポールか、サウンドがあまり好みじゃないから避けてきたんだけど、この際仕方ないか。
僕たちは楽器と機材を担いで、併設されているスタジオに移動した。空は楽屋に待機すると言っていた。
楽屋から外に出ると、かすかに音と振動が伝わってきた。僕は文化祭の舞台裏を思い出した。通路では他のバンドと何回かすれ違った。中にはアイドルのような恰好をしたバンドもあり、結構格好良かった。高校のバンドをやめてから、ライブと言えば武道館や東京ドームを埋めるようなアーティストしか見てこなかったので、こういうライブは案外久しぶりだった。
スタジオに着いてからはまず各々が楽器の調整に入った。僕は担いできた例のレスポールを取り出した。
「これは中々」
そのレスポールはかなりいじられているらしく、レスポール特有のハムバッカーピックアップがストラトのシングルコイルになっている。シングルコイルやハムバッカーピックアップというのは、弦の音を電気信号に変える部分のことだ。これによって音質が変わってくる。さらにこのレスポール、操作系までいじられていて、本来ボリュームとトーンのノブが二基ずつのはずが、ここもストラト風のボリューム一基、トーン二基となっている。これの持ち主は相当のストラト狂いなのだろう。わざわざレスポールをほぼストラトの仕様にまでいじっている。
「手入れもしっかりされてるな」
僕はネックに触れた。錆一つなく、均一に磨かれたフレットが美しい。黒いボディーも控えめでいて高級感のある光沢を放っている。この持ち主は相当なストラト狂いであるのと同時に、手入れの腕も一流だった。おそらくかなりの使い手だろう。一度話してみたいな。
「おい、辺野。そっちチューニングとか終わったか?」
僕はバショーに慌てて返事をした。思わずギターに見入っていたようだ。
「問題ない、さあ、やろうか」
僕はバショーたちの方を向いた。彼らもすでに調整を終えている。あとはドラムスティクの乾いた音が鳴るだけだ。直前、室内は静まり返った。僕たちは各々の楽器を前にして意識を集中させている。
不意にカッカッカッカとスティック同士がぶつかり合う乾いた音が鳴り、室内は一気に音に包み込まれた。懐かしい感覚がする、それにしてもここ最近僕は懐かしんでばかりだな。僕は左手を素早く動かしつつ、今日の調子を確認する。調子は、悪くない。ライブするには十分だ。
一応ちょっとだけアレンジもしてみた。ごく控えめではあったが上手くいった。一曲目が終わると金原が話しかけてきた。
「お前、本当にうまかったんだな。正直お前がいてくれて助かったよ」
どうやらやっと僕はこいつに認められたらしい。僕はそれがうれしくて思わず笑ってしまった。僕の対応を見て馬鹿にされたと思ったのか、金原はむっとしたような表情になっていた。
「いや、悪い。人からそうやってギターの腕を褒められるのは久しぶりだったから」
「そうかよ」
金原はそっけなかったが、どうやら悪い奴ではないのだろう。
合わせとリハーサルはあっという間に終わった。
「シルクロードさん、準備おねがいしまーす」
スタッフさんが入り口から声をかけてきた。
「辺野、肩あったまってきたか?」
そんな野球選手じゃあるまいし
「まあな、お前は?」
「絶好調だ」
相変わらず自信たっぷりにそういった。ここも昔から変わってない。こいつが調子悪い時なんてそうそうないのだ。
「いこう」
僕たちはステージの裏に着いた。前のバンドがかなり盛り上がっていたらしく、最後の曲は大歓声だった。これが400人か、と僕は思った。裏にいても分かる熱量に僕は気持ちが昂るのを感じた。不思議と緊張はない。
『次のバンドはお待ちかね、シルクロード!』
MCの合図とともに登場時に流れるBGMが流れた。遂にライブ本番だ。僕はにやけが抑えられなかった。僕のギターを400人に見てもらえるんだ!そう思うと自然にギターを握る手が強くなる。空も僕たちのバンドは見ると言っていたし、あとは全力で弾くだけだ。
「いくぞ、辺野」
バショーの合図とともに僕たちは割れんばかりの大歓声の中、スポットライトに眩く照らされたステージに駆け上がった。
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