第5話

「shibyuaXX」

 それが高校時代のバンドメンバー、米素馬生がライブをするという箱、会場だった。キャパは450人、ライブハウスの中でも、メジャーバンドや人気のインディーズバンドがワンマンライブをするような規模だ。その名の通り、渋谷にあるのだが、駅から徒歩5分と近く、更に最新の音響機材がそろっており、設備が非常にハイレベルとなっている。そのためかなり人気があるらしく、今回僕たちが行くライブも、バショーの招待チケットがなければ入れなかっただろう。

 ということで僕は今、渋谷に向かっている。開始は3時半だったが、空が先に渋谷で待ち合わせをしたいと言ってきたので、ちょうど12時に僕たちはハチ公前で集合した。今更ながら、彼女のいる身でこういう風に男女で行動するのは身が引ける。それに僕の彼女、府海幸はここ最近、朝夜に確認の電話を入れてくるようになった。内容は勿論、

「もし浮気したら殺すから」

 だ。殺されてしまっては困るので、俺は浮気だけはしたことのない男だ、と毎回答えている。実際、僕は自分で言うのもなんだが誠実なので、高校生の時は、そのことに関して周りからも一定の評価をもらってた。ただ、いかに僕が誠実であっても、それ以外の魅力があまりないらしく、いつも僕はフラれる側だ。その点、今の彼女、幸は僕を気に入ってくれているらしい。彼女曰く、

「誠実であること以上のメリットなんて存在しないでしょ」

 とのことだ。なんでも初めてできた彼氏によほどのフラれ方をしたらしい。全くひどい奴だ、全身の骨を折ってやる。僕はなんだかむかむかしてきたが、ハチ公前で空を発見したので一旦そのことを考えるのはやめた。

「あ、人成君」

 空の方も僕を見つけたらしく、こちらに向かってきた。

「一昨日ぶりだね、人成君」

 空は僕ににっこり笑いかけた。その笑顔がまぶしくて僕は思わず目を細めた。

「うん、一昨日ぶり」

 まったく、本当に顔はめちゃくちゃ可愛いんだよな、顔は。

「ごめんね、まだ時間じゃないのに呼んじゃって」

「それは別に構わないけど、こんな時間からなにするんだ?昼ご飯は食べるとしても」

「うーん、デート?」

「で、え?」

 おいおい、嘘だろ?僕はたじろいだ。

「なんて、嘘だよ。ほんとは渋谷を見て回りたかっただけ」

「なるほど…」

 全く、しょっぱなからひやひやさせられた。なんだ今のあざとさ、心臓に悪いぞ。だいたい、今日の朝も電話で幸に、浮気は殺すって言われたばかりだったのに、それを思い出してしまった。

 僕たちはまずセンター街に向かった。

「渋谷を見て回るって言っても、渋谷なんていつも来てるんじゃないのか?」

「私、友達ほとんどいないから」

 空はそれについてどうも思っていないらしく、さらっとそう言ってのけた。

「……」

 僕は何も返事できなかった。高校生の時のことを思い出してしまった。だって空は、

「人成君、私が高校生のときいじめられてたの、覚えてる?」

 空は突然そんなことを聞いてきた。

「うん、まあ、覚えてる」

 僕は気まずそうにそう答えた。ちょうど今その時のことを思い出していたなんて言えない。

「人成君、私が筆箱とか教材隠されたとき、いつも私に貸してくれたよね。」

「それは…、そうだね。」

 僕は席替えの時、よく空の隣になることが多かったから、そういうときは筆記用具や教科書類を貸していた。でも、

「あのときはありがとね、人成君。私嬉しかった」

「そんな、感謝されるようなことじゃないよ。俺は、君がクラスの奴に、その、いじめられているとき何もできなかった。僕は止められなかった」

 むしろ僕の方が空に謝るべきだ。

「そんなの別に期待してなかったし、別に苦痛でもなかったよ。私はね、人成君。人に優しくされるのが好きなの。だからそんな、怒ったような顔しないで。あなたは確かに私を助けてくれたよ」

 怒った顔、僕はそんな表情だったらしい。僕が怒っていたのは、僕自身か。

「ほら人成君、ゲーセン行こうよ、ゲーセン。私行ったことないの」

 空は道沿いのゲームセンターを指さして言った。僕は言われるがままついていったが、どうも心は暗いままだった。空はああ言ってたけど、それでも僕は責任を感じられずにいられない。傲慢だとわかっていても、考えてしまう。だって、本当に苦痛でなかったなら、それが苦痛と感じないような精神の持ち主だったのなら、あの表情は何だというのだ。大学で再会した時のあの、辛そうで、なにかを必死に抑えているような、そんな表情は。僕は彼女を助けたとはとても思えなかった。

 一通りゲームを楽しんだ後は、近くにあったラーメン屋で昼食を食べた。

「なんだかデタラメなスケジュールになっちゃったね」

 空は楽しそうに言った。空はすでに満足そうな表情だ。僕たちは、店一番人気だという豚骨ラーメンを食べた。味は中々おいしかったが、割とあっさりめだったので、僕の好みとはちょっと違う味だった。僕はこってりとあっさりの中間、そこが好きだ。あまりにこってりすぎても食べられない。

「まだちょっと時間あるけど、どうする?」

 僕は時間を確認しながら空に聞いた。ちょうど1時半、おかげで2時間ほど時間が空いてしまった。

「うーん、もうライブハウスに行こうか」

 空は答えた。

「会場はまだ空いてないと思うけど」

「それがね、米素君がライブ一時間前までだったら楽屋で話せるって言ってたの。ライブが終わった後会えばいいと思ってたけど、ちょうど時間あるし」

 そんなことを言ってたのか、バショーの奴。

「じゃあそうしようか」

 僕たちはライブハウスに向かうことにした。

 ライブハウス、『shibuyaXX』はあるビルの中にあった。場所は地下一階、400人規模の空間が収まるというだけあり、ビル自体結構大きい。

「ここにあいつが」

 僕たちはエレベーターに乗ると地下一階に降りた。降りてすぐのところが受付になっていて、バショーの名前を出したらすぐ通してくれた。あいつの所属するインディーズバンド、『シルクロード』はインディーズの中では結構人気らしく、ライブのせとりを見たらなんとトリだった。

 薄暗い廊下を歩いていくと、扉がずらりと並ぶ通りにでた。ここが楽屋だろう。僕たちはバショーのバンドの名前を探した。しばらく歩いていくとそれらしき扉を見つけた。

「あった、シルクロード」

 僕は段々緊張してきた。そういえば面と向かって会うのは卒業式以来だったな。第一声は何と言おう。僕はごくりと唾を飲み込むとドアハンドルに手をかけた。と、中から何か声が聞こえてきた。なにやら言い合いをしている様子である。

「どうすんだよ!直前でバックレるとか聞いてねえぞ!」

「どうするも何もほかのバンドからギター借りてくるしかねえだろうが!」

 なんだ?直前でバックレる?もしかしてギターが来てないのか?どうやら僕はまずい状況に出くわしてしまったらしい。

「人成君?」

 尋ねる空を手で制し、中の声に耳をすませる。

「借りてくるって、ライブ一時間前に譜面叩き込める奴なんてそうそういないだろうが」

「それでもやるしかないだろ!」

 歩く音がする。どうやら外に出るつもりらしい。僕は誰が出てくるか見ることにした。

 ガチャっと音がして扉が開いた。出てきたのはバショーだった。

「あ、おい、バショー!」

 僕は思わず声をかけた。バショーは驚いたようにこちらを向いた。

「辺野…」

 僕はとりあえずバショーの話を聞くことにした。バショーは焦っている様子だったが、そこは僕に考えがあったので力ずくで引き留めた。ステージ裏のベンチに僕たちは腰かけた。

「久しぶり、バショー。」

「ああ、久しぶり。そっちは、青井空だよな」

「うん」

 なにやら空の態度がそっけない。

「それにしてもバショー、お前まだベース続けてたんだな。しかも結構人気じゃん」

「まあな、俺がいるおかげでビジュアル系バンド路線で大成功だよ」

「相変わらずの減らず口だな。懐かしいよ」

「そういう辺野こそ、俺のことバショーだなんて呼ぶの、お前らくらいだからな。すぐわかったぜ」

 バショーはそう言ってなにか思い出したように悲しそうな表情をした。

「なあ辺野、俺はさ、またあのときみたいにバンドやりたいと思ってる。」

「うん」

「でもさ、俺にはもうこのバンドがあるんだ。」

「……」

 バショーはとても言いにくそうにしていた。

「辺野、ごめん。俺はこの話受けられない」

「…バショー」

 面と向かって言われるとつらいな。でも僕はここであきらめるようなやわな男じゃない。

「お前、たしかギター探してたよな」

 それまで下を向いていたバショーが驚いて顔を上げた。

「なんでそれを…」

「すまん、盗み聞きした。それで、バショー。確か譜面を一時間で覚えられるギターが必要だったよな」

 僕はニヤリと笑った。バショー、いいたいことはわかるよな?

「お前、もしかして、いや、無理だ」

 バショーは首を振った。

「辺野、大学だとバンドもやってないんだろ?それじゃ弾けない。難しいんだ、うちの楽曲は」

「おいおいバショー、俺がいつ自主練もしてないなんて言ったよ」

「自主練って言っても」

「2時間だ、お前ならわかってくれるよな。この俺が、あれから毎日最低2時間は練習してるんだ」

 この際、自分の腕前をフル活用させてもらう。本当はそんなことは好きじゃないのだが。

「…ほんとにやれるんだな」

 その言葉を待っていた。

「当然だ」

 バショーは観念したようにふっと笑った。

「分かったよ、今日のライブにはお前に入ってもらう。その代わり、ミスは許さないぞ」

「それでいい、その代わり、俺がノーミスで弾ききったら、その時はこの話受けてもらう」

「もしお前がひききったらな、考え直してやるよ」

「決まりだ!」

 僕は立ち上がると、バショーの目の前に立ち、手を差し出した。バショーも立ち上がると、僕の手を強く握り返した。

「よろしくな」

 僕はバショーの姿が高校生の時とダブって見えた。たしか初めて会った時もこうやって握手したな。

 こうして僕は、およそ1年ぶりにステージに立つこととなった。

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