歩幅

@ishikawa1133

歩幅

 僕は父が大嫌いだった。

 本当に。僕が世界一憎悪を抱いてる人物だった。

 しかし理由はそんなにあったわけじゃない。

 普通は男手一つで育ててくれた父親には感謝するはずだが、僕はしなかった。

 昔から無口で少し意地悪だった父のことが好きになれなかった。父のやることの多くに嫌悪感を覚えてしまった。

 加えて、父は歩幅が狭くて歩くのが遅かった。昔からせっかちな性格だった僕は、父がなかなか進まないことにもイライラする。僕が引っ張っても少しずつしか進まないのだ。

 歩くうちに離れる距離は、子供心に僕への愛の無さに感じられて辛かった。


 僕が2歳のときに母親は事故で亡くなったらしい。だから僕には母の記憶はほとんどなければ、愛された覚えもない。おまけに父がこれとくれば、僕は世界一の不幸せ者だと本気で思って生きてきた。


 僕の父親嫌いを決定づけるエピソードがある。

 僕には左あごの辺りに縫い目がある。昔怪我をした時の物だと聞かされた。中学二年生の時に些細な事で一人のクラスメートと大喧嘩になった。その時にヒートアップした相手に、あごの縫い目についてフランケンシュタインと言われバカにされた。

 今となれば非常にどうでもいい話なのだが、当時思春期の僕は必要以上に傷ついた。家に帰り、ひたすら縫い目をいじって取ろうとした。しかし取れるはずもない。この日は自己憐憫の思いに拍車がかかり、ひたすら自分を可哀想な子で、生まれてきたのが間違えだと思い続けた。

 10時半ごろ仕事の終わった父が帰って来る。風呂に入るより先に冷蔵庫から大好きなビールを取り出す。僕は父に言う。

「明日は学校行かない」

「急にどうした?」

「何も無い」

「何があった」

「自分が気持ち悪いから。あごの傷も生きてることすらも」

僕が言い終わった直後に僕の頬に生まれて初めての強い衝撃が加わった。

初めて父に暴力を振るわれた。

「駄目だ。絶対に学校に行け。」

僕は頭が真っ白になり何も言えずに寝床に逃げ泣いた。次の日は結局学校に行くことになった。

 この日を境に苦手だった父親は僕にとって、同居してるだけの害虫になった。とにかく強い嫌悪感を抱く。僕もしつこいのかもしれないが、心に傷を追わせた父が悪いと思っていた。

 それまでは父親とは他愛もない話はしないこともなかったが、この日以来必要最低限しか関わらなくなった。学校での話も一切せず、学校行事にも呼ばなかった。


 光陰矢の如しで月日は流れる。僕は気づけば大学生になっていた。父との思い出はあの日からほとんどない。家とは違い学校生活での僕は明るく成績もトップとは言えないものの、優秀な方ではあった。部活も陸上部を人並みに頑張った。そして中堅くらいの国公立に合格し、まあまあな感じである。

 高校を卒業してから、大学の近くの東京の安いアパートを借りた。学費は、一応父親が払ってくれていた。生活費は自分でバイトをして稼いでいた。もう父と関わらなくていいのかと思うとホッとしていた。


 大学3年の春。父方のおばあちゃん、つまり父の実母が亡くなった。お母さんがいなかった僕には、とても優しくしてくれて大好きなおばあちゃんだった。春休みの予定をいくつかキャンセルして葬式に行った。その葬式に、父は来なかった。どこまで最悪な人間なんだと。僕は全てを通り越して、父にある種の恐怖を抱くようになった。あんなに優しかったおばあちゃんのことも愛さず、実の息子である僕のことも愛さない。

 僕の父への悪い思いは決定的なものとなった。


 あっという間に楽しいキャンパスライフは終わってしまった。僕は縁あって東京の企業に就職が決まった。新居も決まり、いよいよ引っ越しの準備のため、何年かぶりに実家に帰った。


 電車を乗り継ぎ、家のドアの前に立つ。あらかじめ父には伝えてある。合鍵を使って開けようとすると、鍵を開ける感触が弱かった。上下2つある鍵の内、下の一つを開けずドアを開けるとたやすく家に入れた。なんて不用心なんだと思った。

 そのままリビングに行くと父がいた。できるだけ嫌そうに「ただいま」と言う。父はそこにいたが、何か様子がおかしい。顔が赤く、眠たそうにしてる。父の周りを見ると、何本もの酒の空き瓶が転がっていた。父は昼間からものすごい量の酒を飲んで酔っていたのである。

「久しぶりだな。大学卒業おめでとう。」

「ありがとう…」

「大学は、どうだった?」

「まぁ」

「そうか。一杯飲んでくか?」

その父の言葉は無視して二階の元•自分の部屋にいく。最低限の荷物を部屋の中でまとめた。その間部屋からは出なかった。二度と顔を合わせるものかと。帰る前にリビングを通ると、父は寝ていた。

なんの挨拶もせず、家をあとにした。


 社会人になってから、色々と大変なこともあった。上司に怒られたり、雑務を繰り返したり。だけど仕事自体は楽しかった。同期で同い年の女の子と仲良くなり、お付き合いすることにもなった。

 4年後、彼女にプロポーズをし、結ばれた。幸せに浸った次の日、彼女に言われた。

「お父さんに挨拶しなくていいの?」

彼女には、僕が父を嫌っていることしか話していなかった。

「大丈夫だよ」

「え〜、私はそういう筋は通したいんだけど。」

結局、僕が折れることになり二人でその一週間後に、実家に行くことになった。


 その頃には、免許も車も持っていたため、僕の運転するその車に二人で乗りながら憂鬱な実家への道を走った。

 父は家にいた。しかし酒は飲んでいなかった。

「元気してたか?」

「うん」

父は、食卓の椅子に座る。僕と彼女はその反対側に。

二人で、かしこまった結婚の挨拶をした。

父はしばらく目をつぶって沈黙した。どれくらいだっただろう。父は目を開き、彼女に言う。

「君と二人で話したいことがある。お前はついてくるな」

そう言って父は彼女を連れ部屋に行った。僕は、従うわけもなく、薄いドア越しに二人の会話を聞いた。


 「あいつと結婚する前に、君に聞いてほしいことがある。一度もあいつには言ったことがないことだ。」

 この父の言葉を聞いた時、なぜだか僕の心臓が鼓動を早めた。父はゆっくりと、記憶を歩くかのように話し続けた。

「君も知っているかもしれないがあの子には、母親はいない。あいつは母親のことをほとんど覚えていないと思う。あいつには、事故で亡くなったと聞かせていた。あれは確か、あいつが2歳の時の春だ。彼女とあいつは、昼頃散歩に行っていた。彼女は、学生時代に交通事故にあった後遺症で左足は、いっつもびっこを引いていたんだ。ここに来る途中に、大きなショッピングモールの横を通っただろう。あれがちょうど建設中だったんだ。」

僕が昔からよく行ったところだ。なぜだか嫌な予感がして、呼吸が早まった。

「建設中のそのビルの上から…上から鉄骨が落ちてきたんだ。ちょうどあいつの真上にな。あいつの母親は気づいて、あいつを突き飛ばした。だが足の悪い彼女じゃそれが…限界だった…連絡を受けて職場から車を走らせたがついた頃には、もう…」

「そんな…」

僕の彼女が悲鳴のような声をあげた。

「突き飛ばされた時に、あいつのあごの傷ができたんだ。昔、あいつがそれを気にしていた事もあったのだが、真実は伝えられなかった。僕には…。

小さい子を一人残し先立たれてしまい私も大変だった。でも僕なんかよりあいつの方がよっぽど辛かったと思う。母の愛も受けられず、おまけに父がこんなロクでなしだ。あいつも俺のことは愛してない。ここまで本当に辛かったと思う。でも父としての最低限のことはしてきたつもりだ。あいつの養育費を払うために色々と節約してきた。反動でアル中になってしまったがな…。本当にどうしようもない。

こんなどうしようもない父親だが、一つだけ、あなたにお願いしたい事がある。どうかあいつの家族としてあいつを幸せにしてやって下さい。僕は、もう何もできない。でも勘違いしないで欲しい。僕もあいつのことは、愛していた。心から。結婚式に行く気もない。第一あいつが嫌がる。こんなどうしようもない父親からだがどうか…よろしくお願いします。」

彼女のすすり泣く声が聞こえた。

「あいつにはこのことは言わないで欲しい。」

最後に父は言った。

 無意識の内に、僕は家からショッピングモールまでの道を歩いていた。父の狭い歩幅は、足の悪い母に合わせていた時の名残なのだろうか。違うな、父はいつも母を僕の横に見ていたのだろう。まだまだ捨てきれないが、僕の心の中で父への嫌悪感が少しだけ溶けていくのが分かった。


 そこから半年間は、彼女と同棲を始めたり、仕事を続けたりして忙しく父と会うことはなかった。彼女の妊娠も分かり、幸せたくさんのはずだが、僕は心に何か引っかかりが残っていた。あの日の父の話が離れない。

 結婚式当日、何故か怖くて父を呼べなかった。彼女は再三呼ばなくていいのか聞いてきたが、聞かれると逆に頑なになってしまった。当日は多くの人たちに歓迎されながら僕たちは幸せに包まれた。

 その日の夜、彼女は早く寝てしまった。僕は一人一時間程珍しくお酒を飲んだりしてボーっと過ごした。時間を確認する。12時ちょうど。僕はなんのためらいもなく、実家へと車を走らせた。飲酒運転なんて気にしてられなかった。

 すぐに着いた。時刻は1時。父にはなんの一報も入れていなかった。しかしなぜだか起きている気がした。絶対に言わなきゃいけない言葉がある。

 ドアを開ける。父はいた。少々酒が入ってるかもしれない。そんなの気にしない。

「お父さん、今までの親不孝本当にごめん。育ててくれてありがとう」

最後まで言葉にならない。代わりに大粒の涙がこぼれる。その場に座り込んでしまった。父は何も言わず僕の頭をなでた。思い返せばつよがりな僕は、この20年ほどほとんど泣かなかった。父との全てのしがらみを清算するかのように僕はひたすら泣いた。


 さらに半年後、息子が生まれた。親孝行のつもりで、暇があれば息子を連れて父の家へ行った。しかしその親孝行は長くは続かなかった。父は酒の飲み過ぎがたたり、倒れてしまった。最後の別れの時間を取る間もなく父は亡くなった。僕は深い後悔に包まれた。なぜもっとたくさん感謝を伝えなかったのだろうか…


 葬式を終え、父の遺品整理をしている時、一枚の写真を見つけた。僕が1歳の時に撮った家族写真。父も母も幸せそうに笑っている。僕はそれを見つめてまた涙を流した。


 時は過ぎていく。気づけば一年。息子も大きくなった。父の一周忌に出た。母と同じ墓に入っている父を思いまた心のなかで感謝を伝える。


 今僕は、今年3歳になる息子と愛する妻と幸せに過ごしています。これから多くの思い出を重ね、家族の愛を育んでいくつもりです。僕には確かに父の愛と母の愛が血として流れ今日も生き、明日も生きていくのです。

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