第6話 入学

 スティーブン様との婚約を、絶対に解消したくないという強い執着心はもうない。

 それから逆に、スティーブン様との婚約を、絶対に解消したいという気持ちもまったくない。

 どうでもいい。

 執着がないというのはそういうことだ。

 スティーブン様との婚約が継続になれば、アルウィン侯爵家の図書室の本が読める。アルウィン侯爵の伝手で、いろいろな高名な魔法使いと交流もできる。

 だけど、婚約がなくなっても、本などは、これから入学する学園の図書室で読めるだろう。

 アルウィン侯爵の伝手がなくても、ウォルター先生にいくらでも魔法使いの皆様を紹介してもらえる。

 紹介してもらえなくても、魔法学会で、わたしの名はそれなりに通ってきている。

 だから、伝手などなくても自力で、いつかそのうち、かの有名な魔法使いローレンス・グリフィン・ミルズ様や、ベン・ラッセル・ケンプ様と魔法のお話ができるようになるかもしれない。

 スティーブン様の婚約者としてふさわしい装いをするために、アルウィン侯爵家から、わたしのミラー子爵家あてに結構なご支援は頂いていたし、わたしがお茶会などで着るドレスなどもご用意していただいていた。

 スティーブン様との婚約がなくなれば、そういう援助も一切なくなる。

 だけど、うちの子爵家は困窮しているわけではない。

 侯爵家の婚約者であれば、最上級の身なりを整えなければいけないが、婚約がなくなれば、わたしは単なる子爵家の娘。であれば、それほど身なりに気を遣う必要もなくなる。

 それに、婚約が解消になれば、わたしはもっと魔法の勉強に時間が取れることだろう。

 婚約の継続も解消も、どちらにもメリットもデメリットもある。

 スティーブン様への思いがあったからこそ、嫉妬心を見せずに、がんばってきたのだけれど……ね。こんな考えになるなんて、自分でも驚いてしまう。

 これまでの思いも、記憶としては覚えているけれど、ただ、覚えているというだけ。ああ、そんなこともあったわね……という程度。

 心配げにわたしを見つめるアリスさんと別れて、わたしはアルウィン侯爵家の図書室へと向かった。

 読みたい本を物色して、一冊二冊、本棚から引き抜く。

 そして、座り心地の良いソファーに座り、淡々と、それを読み続けた。




       ☆★☆




「もうすぐローレンス・グリフィン・ミルズ様の講演会があるんだが、レシュマ、お前も行くか? ただし、開催は隣国でな。行くとなると、学園の入学式の当日には帰国が間に合わないんだが」

 学園に入学する一か月前に、ウォルター先生からそう言われて、わたしは一も二もなく飛びついた。

「い、行きたいですっ! ああ、ローレンス・グリフィン・ミルズ様……っ! ひ、一目でいいからお会いしたいっ! 握手とか、していただけたら、もう、どうしよう……っ!」

 ふわああああっと、なったわたし。

 もう、大興奮よっ!

 きゃいきゃい言って、わたしはウォルター先生の周りを飛び跳ねまくった。

「……レシュマ、お前、二十九歳のピッチピチの若さを持っているオレには興味を向けないくせに、魔法使いローレンスなんていう、棺桶に片足突っ込んでいるようなじいさんには、目をキラキラと輝かせるんだな?」

 すねたウォルター先生が、ジトッとした目でわたしを睨む。

「だ、だって、わたし、ずっと、あこがれていて……。あ、あと、ウォルター先生、誕生日過ぎたでしょ? わたし、ちゃんと贈り物も差し上げましたよね。だから、先生、もう三十……」

「まだ二十九だっつってんだろっ! そーいうやつは連れて行かねえぞ」

 年齢詐称は良くないと思います、先生……と、ツッコミを入れる前に、わたしは気が付いてしまった。

「でも……、わたしのお父様やお母様、それにスティーブン様のお父様がたが、許可してくださるかどうか……」

「んー、ああ、そうか。貴族学園の入学式に、アルウィン侯爵家の嫡男の婚約者がいないとあれば、五年も保ったが、また二十何回目かの婚約解消とか言われるかもしれねえもんな……。すまん、考えなしに誘っちまって……」

「そう……ですよね……」

 がっくりとわたしは肩を落とした。

 気落ちしすぎて、ミアさんやメイさんの厭味ったらしい口調もなにもかも全く気にならなかった。アリスさんだけは心配げにわたしを見ていてくれたけど。

 上の空で過ごすこと、数週間。

 そうしている間に、わたしとスティーブン様が貴族学園に入学をする日がやってきた。



       ☆★☆




 新品の制服に身を包み、わたしはスティーブン様と一緒にアルウィン侯爵家の馬車に乗って、学園に向かった。

 黒地の布に、袖や裾に金色の糸で刺繍が施されている重厚感あふれる制服。わたしはそれを着た後に、髪を整え、眼鏡をかける。

 このところ、視力がだいぶ低下してしまったのだ。

 魔法書を読みすぎた……のかもしれない。

 まあ、眼鏡があるから大丈夫。問題ない。

 あー、いや、問題はあるか。

 腰まで伸びたまっすぐな黒髪を、ただ後ろでまとめただけのシンプルな髪型に、眼鏡は……我ながら、実に地味だ。

 いまだにキラキラの、天使のような外見を持つスティーブン様の横に立つと、地味さが倍増するみたい。

 学園の降車場に着いた。馬車の扉が開けられて、わたしはスティーブン様のエスコートで馬車を降りる。

 すると、アルウィン侯爵家の寄子のみなさんや、スティーブン様の学園でのご学友にと、何回かアルウィン侯爵家にやってきた生徒たちが、わらわらとスティーブン様のそばにやってくる。

 わたしは人の波に押されて、スティーブン様から離れてしまった。

「おはようございます、スティーブン様」

「ああ、おはよう、みんな。今日から僕たちもこの学園に通うから。よろしくね」

「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」

 大勢の生徒がスティーブン様を取り囲む。わたしはますます、人の輪の外に追い出されていく。

「入学式はあちらのホールで行われます」

「私たち、ご案内いたしますね」

「ああ、ありがとう、みんな」

 スティーブン様が微笑むと、キャーッと歓声のようなものが上がった。

 うーん、さすが美少年というべきか。

 入学当日に、周囲の皆様の視線をかっさらった上に、ご令嬢の皆さんの心も奪ったのか……。なんて、わたしはぼんやりと思っていた。

 そんなふうにぼんやりしているうちに、わたしとスティーブン様の間には何人もの生徒たちが挟まり、気が付けば、遠くにスティーブン様の頭がちらと見えているような状態になっていた。

 まあ、いっか。

 わたしは焦るわけでもなく、スティーブン様に追いつこうと他人を押し分けるでもなく、のんびりと、空の青さを感じながら、ホールへと向かった。

 大ぜいに囲まれ、ちやほやとされているスティーブン様は、わたしが隣にいないことを、気が付きもしないので、問題はない。

 入学式が終わり、新入生たちは、それぞれの教室へと向かう。

「じゃあね、レシュマ」

「はい、スティーブン様、また明日、ですね」

「うん、残念ながら、僕とレシュマはコースが違うからね。朝だけは一緒に登校できるけど、昼休みの時間も帰りの時間もずれているんだよね」

「大丈夫です。お気遣いなく」

 スティーブン様は貴族科、わたしは魔法科に進むことになったのだ。

 最初はスティーブン様と同じ貴族科で、スティーブン様のお守り……じゃなった、婚約者の義務として、側にいるように命じられたのだけれどね。

「まあ、学園を卒業した後は、レシュマ嬢もアルウィン侯爵家の嫁として社交に勤しむのでしょうから、貴族科で、いろいろなご令嬢と交流する必要もあることでしょう。ですが、レシュマ嬢は、子爵家の令嬢です。それだけで、高位のご令嬢たちから侮られる。だが、魔法使いとしては名が通っているのです。学園に通っているうちに、魔法使いとしての功績を残し、その功績をもってアルウィン侯爵家に嫁いだほうが、アルウィン侯爵家の利となるのでは?」

 などと、ウォルター先生がわたしのお父様やアルウィン侯爵たちを説得してくれたのだ。

「淑女教育など、学園の貴族科に通わずともできるでしょう。しかし、魔法というものは、片手間にできるものではない。既に魔法使いとして名前が通ってきているレシュマ嬢が、魔法科に通わないのは我が国の損失とも言えますよっ!」

 そこまで言ってくれたので、わたしは学園の魔法科に通うことができたのだ。

 ありがとう、ウォルター先生!

 わたしは、ウォルター先生に向かって、感謝の舞を踊った。

「……おまえ、貴族の娘なのにダンスは下手だな」

 ウォルター先生が、笑った。多分、わたしが素直に感謝したから、照れ隠しに悪態をついたようなものだと思う。もう三十歳なのに、先生はたまに子どもみたい。

 そんな先生にわたしもくすりと笑ってしまった。




       ☆★☆




 学園に入学してしばらく経った後、久しぶりにアルウィン侯爵家に行ったら、もうすでに、アリスさんもメイさんもミアさんもいなくなっていた。

「三人とも、お嫁に行っちゃったよ。さみしいなー」

 スティーブン様は、そんなふうに言うけれど、口調は全然さみしそうじゃない。

 スティーブン様付きの新しい侍女が五人もつけられたから、その彼女たちと楽し気にお茶を飲んだり、薔薇園を散策したりしている。

「ああ、レシュマ、紹介するね。彼女たちが僕の新しい侍女だよ。侍女と言っても半分行儀見習いで、あとは僕の世話係みたいなものだけど。ミアたちの後任だ。一番右にいるのがイザベル。彼女はヴァロワ男爵の三女。その隣がジョアンナ。カルマ子爵の四女だ。それからね……」

 ああ、今度はスティーブン様となにか「まちがい」が起こっても大丈夫なように、ちゃんと貴族の娘を集めたのね。うん、まあ、そうよね。もう、わたし的にはどーでもいいけど。

 スティーブン様は、ミアさんたちの代わりにやってきた彼女たちを紹介してくれようとしているけど、わたしは興味なくて、聞き流した。

 彼女たちの目がぎらぎらして、獲物を狙うような感じだった。それにわたしを見下しているみたいなところもあった。

 多分、わたし程度の地味な女なんて、押しのけられるわって思っているのでしょうね。

 そのうち、ミアさんたちみたいになるのかな。

 まあ、べつに。わたしも、ふうん、って感じ。

 長年一緒にいたミアさんたちだって、去ってしまえばスティーブン様は別に執着はしない。

 いなくなっても代わりがいる。

 きっとその程度。

 そんなことをわざわざ知らせるつもりはない。

 わたしはスティーブン様と小一時間ほどお茶を飲んでお話をして、それから迎えの馬車が来るまでは、いつもの通り、アルウィン侯爵家の図書室で本を読んで過ごすことにした。




       ☆★☆



 学園でも、スティーブン様はいつもたくさんの女生徒たちに囲まれていた。

 にぎやかね、などと思いつつ、わたしは自分の席で、魔法書を読む。

 淡々と、実に淡々と、学園での時間は過ぎていった。





















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