第5話 失敗

 わたしはわたしの心に魔法をかける。

 一つ目、『ミアさんがスティーブン様の手を握っても、わたしはなにも感じない』

 二つ目、『メイさんがスティーブン様の手を握っても、わたしはなにも感じない』

 一つ一つ。

 対象となる人物が変われば、また別の魔法として、別々に魔法をかける。

 三つ目、『ミアさんが、スティーブン様の口元に、フォークでケーキを差し出しても、それは単なる給仕であり、男女の愛ではないと思い込む』

 四つ目、『メイさんが、スティーブン様の口元に、フォークでケーキを差し出しても、それは単なる給仕であり、男女の愛ではないと思い込む』

 この四年間、わたしが嫉妬に駆られてきた場面を、事細かく設定して、限定の魔法を重ねていく。

 五つ目、六つ目、七つ目……。

 小さい魔法の重ね掛けだ。大きな魔力は使わない。

 十、二十、三十……。

 できるはずだった。

 そのまま、細かい魔法を重ねていけば、どんな場面でだって、わたしはミアさんやメイさんに対して醜い嫉妬心を起こさないようになる。

 その、はずだった。

 わたしは、そういう限定的な魔法を構築したはずだった。それを重ねただけのはずだった。

 だけど……。

 魔法構築が得意なウォルター先生の手を借りず、こっそりと秘密裏に作ったわたしの魔法は……失敗したのだった。

 いや、ある意味成功ではあった。

 だって……。

 ミアさんがスティーブン様と手を繋いでていても、わたしはもう、何とも思わない。

 スティーブン様が大事なのはわたしではなくて、ミアさんやメイさんなのだと、メイさんたちが勝ち誇った目でわたしを見ても、わたしは何も感じなくなった。

 嫉妬の感情など沸き上がらない。

 嫉妬心というものは、相手に対する執着だ。

 やきもち、悋気、嫉み、妬み……、マイナスの感情。

 相手を自分のものにしたいという気持ち。

 羨望と憎悪が入り混じった感情。

 ミアさんやメイさんに対してだけではなく、わたしはアリスさんや、貴族学園に入学した後のスティーブン様のご学友として選ばれたご令嬢たちにも、そんな気持ちは抱かないようにと、どんどんどんどん魔法を重ねていった。

 つまり、スティーブン様が、誰の手を取っても嫉妬などしないようにと、限定の魔法を大量にかけていったはずだった。

 たしかに、スティーブン様が、誰と、どう過ごしても、嫉妬の感情が湧きおこらなくなった。

 目の前で、ミアさんとスティーブン様がキスをしていても、何とも思わない。

 空の雲を眺めているのとまったく同じ。

 子犬と子猫が戯れているのを見ているのと同じ。

 きれいね、とか、かわいいね、とか。それを見たとき、感想程度は抱くけれど、それ以上、なにも思わない。抱いたとしても、一瞬後には忘れている程度の薄い感情。

 メイさんが、わたしを見て「ふふん」と勝ち誇った顔をしても、別に、そう、良かったわね。その程度しか思わない。

 そうして、スティーブン様に、わたしだけを見てほしい、他の人を大事にしてほしくないなどと、願うようなこともなくなった。

 魔法をかける前までは、毎日毎日スティーブン様のことを考えていた。

 嫉妬心を抑えないと、スティーブン様の婚約者ではいられなくなる。それは嫌だ……と。

 そんな気持ちは、スティーブン様に執着する気持ちは、全て、魔法によって、すーっと薄れて消えた。

 嫉妬する気持ちだけを、なくそうとしたのに。

スティーブン様に対する恋心も、関心も、興味も、わたしだけを愛してほしいという欲も、情熱も……全部、消えてしまった。

 もう、欠片も、なにもない。

 わたしの心の中の、スティーブン様の優先順位はもう、低い。

 アルウィン侯爵家にやってきて、ミアさんやメイさんたちがスティーブン様と、親密な様子で過ごす様子を眺めても、別に何とも思わない。

 どうでもいい。

 無感動に眺めながら、頭の中では別のことを考える。

 そういえば、アルウィン侯爵家の図書室にある本で、何冊か読みたいのがあったなあ……なんて。

 マイナスの感情だけでなく、プラスの感情も、なにもかも、スティーブン様には向かなくなった。

「ねえ、スティーブン様。メイはスティーブン様と一緒に薔薇園のほう散策したいです~」とメイさんがスティーブン様の右手を引っ張る。

 するとミアさんも、スティーブン様の左腕にしがみつく。

「いいよ。行こうか。アリスとレシュマはどうする?」

 スティーブン様がわたしとアリスさんを誘ってくれるけれど、わたしが答える前に、ミアさんが言った。

「たまにはミアとメイとスティーブン様の三人で行きたいですぅ」

「そうそう、それに、アリスさんが~、レシュマ様になんか話があるって言ってましたから~」

「え、そうなのアリス?」

「……はい」

「じゃあ、アリスはレシュマと話をするといいよ。僕たちは薔薇園に行ってくるからさ。そうだ、ミア、メイ。薔薇園の花を使って花冠でも作ろうか。ミアとメイと、それからアリスとレシュマの分も。それでいいかい?」

 きゃあきゃあと、ミアさんとメイさんが騒ぐ。

 その甲高い声が、耳に響いて煩いと、多少は思いはするけれど、嫉妬心は湧き出ない。

「はい、スティーブン様。ありがとうございます」

 アリスさんが静かに頭を下げて、わたしのほうに向きなおった。

「レシュマ様……、少々お時間をいただいてもよろしいですか?」

「ええ、もちろん」

 わたしは頷いた。

「じゃあまたあとでね」と言って、ミアさんたちとサロンを出ていくスティーブン様を見送って、わたしはアリスさんに聞いた。

「ええと、お話って?」

 アリスさんは、少しだけ躊躇してから、言った。

「私は……、スティーブン様が学園に入学された後、このアルウィン侯爵家を辞することになりました」

「辞する……?」

「はい、アルウィン侯爵家の寄子の一つの、キール男爵家のご子息が経営する商会の会長に嫁ぐことになりました」

「ああ……、そうなの」

「ミアとメイも、スティーブン様がご入学するころに、どこかに嫁ぐはずだったのですが。あの二人の様子を見て、それでも嫁にもらいたいと思う相手はなかなか見つからなくて……」

「まあ……、そう、でしょうね」

 実際はどうかはともかく、侯爵家の御令息の「お手付き」を嫁にもらうのを良しとする殿方は……あまり、いないと思う。

 実際には「お手付き」ではないのだけれどね。

 だって、一緒のベッドに横になったって、朝まですやすやと眠るだけ。

 いわゆる「間違い」は起こらない。

 逆にミアさんやメイさんは、あの手この手でスティーブン様と「恋人」になりたいと頑張っているようだけど……、それはうまくいっていない。

 スティーブン様の精神年齢はまだまだ幼いのだ。

 優しい女の子たちにちやほやして甘えさせてほしい。ただ、それだけ。

 スティーブン様のお父様とお母様が、表面は繕っているけれど、本当はいがみ合っていて、本当の意味ではスティーブン様にやさしくしたり、甘やかしたりはしてくれないから。

 親に、甘えたかった。だけど、親は甘えさせてくれなかった。親の代わりにそばにいてくれるミアさんとかメイさんとかいう女の子がそばにいることになった。彼女たちは、スティーブン様を甘やかしてくれた。ただし、親の愛情でなく、ミアさんたちが持っていたのは恋という感情。

 ……多分、スティーブン様には、親の愛情と恋という感情の違いが判らないのではないのかしら……なんて、今更だけど思う。

だから、甘えているだけ。 男として、女を「恋人」にしたいという、そんな欲は、スティーブン様にはない。

 ……まあ、今後はわからないけれど。

「旦那様と奥様は……、平民の娘がスティーブン様の子を孕むような、そんな醜聞は起こしたくないのです。だから、スティーブン様が学園に入学され、新生活に向かうと同時に、これまでの幼少期、スティーブン様のそばにいた私たちを、さっさとどこかに片づけたい」

「そう、ね」

 だけど、平民でなければ、別に構わないとも思っているでしょうけれどね、スティーブン様のお母様のお父様も。

 スティーブン様の「恋人」が貴族の娘であれば、スティーブン様のお父様もお母様もきっと文句など何も言わない。

 わたしという婚約者がいたとしても、だ。

 スティーブン様には異母兄弟は……多分、いるだろう。認知しているのか、していないかともかくとして。

 そんな言い争いを、アルウィン侯爵ご夫妻がしているところに、わたしも遭遇したことがある。

 だけど、いくらミアさんやメイさんがスティーブン様と親密になっても、貴族と平民の壁は乗り越えられない。

 平民は、貴族に嫁げない。

 それがこの国の絶対的な壁。

 そんな壁を乗り越えて「真実の愛」をつかむなんてお芝居や小説はあるけれど。実際には……どうなのかしらね。

 少なくともスティーブン様のお父様もお母様も、平民のミアさんとメイさんがスティーブン様の「恋人」になることを許しはしない。

 どうしても結ばれたいのなら、スティーブン様がこのアルウィン侯爵家とは無縁の平民になるしかない。

 だけど、スティーブン様に、そこまでの情熱はないだろう。

 スティーブン様は、自分を甘やかしてくれる女の子がいれば、それは誰でもいいのだ。

 婚約者は、わたしでなくても構わなかった。

 側にいて、スティーブン様を優先してくれるなら、そして、スティーブン様のそばにいる女の子たちがみんな仲良くしてくれるのなら、それはミアさんでなくても、メイさんでなくてもいいのだ。

 誰でもいい。

 代わりはいくらでもいる。

 そう、婚約と婚約破棄を二十回以上も繰り返したときのように。

 スティーブン様が望めばいくらでも、次から次へと代わりは出てくる。

 ただ、それだけ。

 わたしは、無感動にアリスさんの話を聞いていた。

「私がいなくなった後、きっとミアとメイは荒れるでしょう。スティーブン様と離れたくないと言って、癇癪を起こすかもしれません。そして、彼女たちが、その癇癪をぶつけるのは……」

「きっと、わたし、でしょうね」

 ミアさんとメイさんは、わたしという婚約者より、スティーブン様に大事にされていると思っているのだ。

 自分たちだけが、スティーブン様の特別だと。

 ……そんなはず、ないのにね。

 彼女たちもわたしもみな同じ。

 いくらでも代わりはいる。

 きっとアリスさんは、そのことをはじめから理解していた。

 ミアさんとメイさんは、いまだに理解していない。

 だからこの先、現実に、スティーブン様から切り捨てられた後、多大なるショックを受けるのだろう。

 だけどわたしはもう、ミアさんにもメイさんにも感心がない。ミアさんやメイさんんがショックを受けて、どうなろうと、どうでもいい。

 そうきっと、スティーブン様にも。

 ミアさんたちがいくら癇癪を起そうが、それでスティーブン様が困ろうが、どうでもいい。わたしとは無関係。そう思う。

 魔法って、不思議ね。

 失敗して、狙った通りの結果にはならなかったけど。

 わたしは、結果的にわたしの気持ちを捻じ曲げてしまった。魔法という手段をもって。

 これ……他人に対してこんな魔法を使ってしまったら、恐ろしい結果になるのではないだろうか。

 ウォルター先生が怒るのも当然だ。

 いくら魔法でも、相手の心を捻じ曲げることは、してはいけない。

 わたしは胸に刻まなければならない。

 今回の失敗を。

 自分の気持ちを魔法で捻じ曲げて、結果的に、胸の痛みはなくなった。

 スティーブン様に対する嫉妬心なんて、心のどこを探しても見当たらない。

 だけど、嫉妬だけでなく、スティーブン様に対する興味も、関心も、執着心もなにもかも、わたしの魔法はわたしの心から消しさってしまった。

 ウォルター先生は、わたしを軽蔑するだろうか?

「オレは、相手の気持ちを捻じ曲げて、自分を愛するように仕向けるような魔法を使う人間を軽蔑する」と言っていたから……。

 わたしは、スティーブン様の気持ちを魔法で捻じ曲げてはいない。

 わたしを、スティーブン様が愛するようになんて、そんな魅了魔法みたいなものを、スティーブン様にはかけていない。

 わたしが魔法をかけたのは、わたし自身の心にだ。

 ウォルター先生が言った「相手の心を無理矢理を変えることはできない。変えられるのは自分の心だけだ」という言葉。

 わたしがしてしまったのは「自分の心を無理矢理に魔法で変えた」ということ。

 ウォルター先生に言ったら……先生は怒るかな? それとも……。

 わからない。

 魔法で、スティーブン様に対する執着をなくすのはダメでも、魔法を使わずに、自分の意思で「さっさと失恋して、他の男に目を向ける」のならいいのだろうか?

 違いがわからない。

 気持ちや心理、そういうものに対する勉強や経験が、わたしにはきっとまだ足りない。

 魔法に、人の心理。

 わたしにはまだまだ学ばなくてはならないことが多いのだな……なんて、思った。

 まあ、それらを学ぶのは、これから、貴族学園に入学してからでも遅くはないかもしれない。

 それとも、心理に関する魔法になど、もう手を伸ばさないで、他の魔法の研究をしたほうがいいのだろうか?

 いろいろ考えないといけないことが、たくさんあるような気がする。

 でも今は。

 わたしは息を吸って、そして吐いた。

 目の前のアリスさんを見る。

 そして、言った。

「ありがとう、アリスさん。あなたがいてくれたから、わたし、これまでいろいろ耐えられたのだと思う」

「え?」

 アリスさんがいなかったら、とっくに耐えきれなくなっただろう。嫉妬心を見せて、スティーブン様との婚約がなくなっていたはずだ。……まあ、今はもう、それでもかまわなかったな、と思っているのだけれど。

「スティーブン様が勘違いされているように、わたしとアリスさんが気が合うなんてわけではなかったけれど。今まではあたりさわりのない話しかしてこなかったけど。だけど、わたしのことを気にしてくれてありがとう」

 わたしは、アリスさんの目を見てはっきりと感謝の気持ちを告げた。

「レシュマ様……」

「心配しないで。ミアさんやメイさんが癇癪を起しても、スティーブン様がどう思おうと、わたしは平気」

 それから、アリスさんの耳元に口を近づけ、小声で言った。

「わたし、もう、スティーブン様との婚約が、どうなってもいいの。継続でも解消でも。どっちでもいいのよ」


























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