第4話 魔法
十歳の時に婚約を結んでから、四年が経過した。
アルウィン侯爵夫妻から、わたしはとても感謝されている。
二十回以上も婚約と婚約解消を繰り返してきたことに、終止符が打たれた……と。
「婚約を打診するときには、子爵家のご令嬢ではどうかと思ったのよ。だけど、他の侯爵家や伯爵家のご令嬢では、スティーブンは納得できなかったらしくて。それで、魔法に関してなかなか筋がいいと評判のレシュマさんなら、子爵家の娘さんでも、メリットはあると思ってお見合いを提案してみたの。良かったわ、スティーブンもレシュマさんのことを気に入ってくれて。それに、レシュマさん。あなた、この間の魔法学会でなかなか素晴らしい論文を発表したって聞いたわよ」
「いえ、ウォルター先生が……指導をしてくださったおかげです……」
「そんなことないわよ。レシュマさんは魔法の才能があるのねえ。スティーブンの婚約者が優秀で、あたくしも鼻が高いわ」
わたしという子爵家の娘でしかない者が、侯爵家のスティーブン様の婚約者となる。二十回以上も婚約と婚約解消を繰り返していたスティーブン様との婚約だって、他家のご令嬢たちからひどくやっかまれた。
身分も高くない、美人でもない、優秀でもない平凡な子爵令嬢では、侯爵家の跡取りの婚約者にふさわしくはない。
そう言われたからこそ、わたしはわたしの価値を高めなくてはならなかった。
平凡なわたしが、美容に気を遣い、美しく装ったところで、わたしより美しいご令嬢はいくらでもいる。
スティーブン様だって、そんな美しいご令嬢よりも、もっと美しい少年なのだ。わたしがいくら頑張って、外見を磨いても意味はない。
だから、わたしは、わたしが最も得意とする魔法の力を伸ばすことにした。
アルウィン侯爵家の図書室は自由に使っていいと許可を得ていたので、とにかくそこにある魔法書を読んでいった。魔法書だけではなく、人間の心理に関する書物も……だ。
わたしは、魔法における人の心理や、魔法によって人の心を操れるのか、魅了という魔法が書物にはあるが、それは本当に実在するのか……などなどの研究を重ねていったのだ。
そして、アルウィン侯爵の伝手で、我が国の何人かの魔法使いに師事することができた。
そんな魔法使いのうちの一人が、ウォルター・グリフィン・ブラウンス先生だ。
広い肩幅とがっしりとした体格は魔法使いというよりは、騎士か傭兵のよう。
魔法の研究とあらば、たとえ火の中でも水の中でも……というのはウォルター先生の戯言ではあるけれど、本当に炎の中にでも、飛び込んでいくような行動力の持ち主だ。
炎のように真っ赤な髪の毛と、じっと見つめてくる金色の瞳が印象的。
わたしの研究に興味を持ってくれて、魔法心理学という学問を立ち上げてしまったというほどの、魔法の理論構築の天才でもある。
「レシュマ、お前の発想は面白い。魔法が、人の心理を操れるか。もし可能であれば、どうやったら操れるのか。不可能な場合の定義はなんだ。ふむ、研究の余地は多大にある」
わたしの思い付きを、ウォルター先生が形にしてくれた。
そして、理論として納得がいくところまでまとめ、学会に発表する。その学会に、わたしも連れていかれ、そして、いくつかの発言をさせられた。
最初は、ウォルター先生のおまけみたいなものだった。
だけど最近では、わたし一人で発表して来いと、学会に放り込まれることも多くなってきた。
だから、魔法使いの中では、わたし、レシュマ・メアリー・ミラーの名前も、比較的有名になってきたのだ。
最初の発想はわたしかもしれないけれど、それを魔法として使えるようにしてくれたのはウォルター先生なのに。
なんか申し訳ないというか……。なんと言うべきか……。
わたしの願いは……、魔法使いとして有名になるのではない。わたしの心から嫉妬という感情を取り除くことなのだ。
だって、もう……わたしの嫉妬心を抑えることは、限界だ。
スティーブン様の大事な人は、ミアさん、メイさん、それにアリスさん。
彼女たちと結婚ができないから、スティーブン様は誰でもいいから貴族の令嬢と婚約する必要があった。
かといって、わたしを蔑ろにしているわけではない。
スティーブン様は、第一夫人としてわたし、第二夫人としてアリスさん、第三夫人としてミアさん、第四夫人としてメイさんを想定していると言っていた。
「もちろんいい人がいれば、第五、第六と増やしていくつもりだよ。大勢で仲良く暮らせたら素敵だね」
みんなで仲良くが、スティーブン様の希望するところなのだ。
わたしのことを大事にしていないわけではない。
誕生日には、きちんと贈り物をしてくれるし。食事だってわたしと一緒に取ってくれる。
だけど、わたしがそうやって平静を装ってスティーブン様のそばにいることで、ミアさんやメイさんの視線は厳しくなってきた。
これまでは、簡単に交代していたスティーブン様の婚約者。それが、わたしになって四年も続いている。
わたしの魔法の研究が続けば、いつか、今のような苦しい状況を変えられるかもしれない。そんな希望があったからこそ、わたしは今まで耐えることができただけなのだけれど。
それに、嫉妬していないわけではない。嫉妬の感情を見せないように、穏やかな表情を作り続けていただけ。
だけど、そんなわたしは、ミアさんたちにとっては目障りなのだ。
婚約が続けば当然結婚ということになる。
わたしが、スティーブン様の妻になり、そして、この侯爵家の跡継ぎを産めば、もうミアさんたちのほうが上、などとは言えなくなる。
それに、最近は、ミアさんやメイさんたちはアルウィン侯爵夫妻たちによって、だんだんと遠ざけられるようになってきた。
「もうそろそろスティーブンも貴族学園に入学するから。子守りや幼い遊び相手ではなく、一緒に学園に通える学友が必要になるわね」
メイさんやミアさんにとって目障りなのはわたしだけではなくなった。
婚約者という立場ではないが、スティーブン様が貴族学園に入学した後に、困らないようにと、同じ年の令嬢や令息との交流の時間が、増えるようになってきた。
アルウィン侯爵家と交流のある、伯爵家や子爵家、それの男爵家の御令嬢たち。美しく着飾って、化粧も施され、きちんとした貴族の娘として教育を受けさせられた者たち。
つまり、学園に通ってからの、スティーブン様の「お友達」。
彼女たちがアルウィン侯爵家にやってきて、スティーブン様と交流する。
もちろんわたしも婚約者として紹介される。
スティーブン様にとっては新しい夫人候補がやってきたようなものだろう。
嬉々として、ご令嬢たちと交流をするようになった。
……わたしの嫉妬心は、そんな彼女たちにも向けられてしまう。
わたしが、蔑ろにされているわけではないけれど、彼女たちにスティーブン様が笑顔を向けるたびに、ぎりぎりと心のどこかが軋む。
そして、それを押し殺して、笑顔を作る。
彼女たちがアルウィン侯爵家からそれぞれの家へと帰った後は、ミアさんやメイさんの癇癪が激しい。
スティーブン様も少々困るくらいに、ずっとスティーブン様にくっついている。
それをアリスさんに咎められると、機嫌を悪くする。
わたしは、なにも、言わない。
ただ、心の中には嵐のような感情が荒れ狂っている。
スティーブン様に触らないで。
そう、喉元まで、叫び声がせり出してくる。
ミアさんんやメイさんをなだめているスティーブン様の声を聴きたくない。
「ほーら、ミア。彼女たちだって僕の大事な友達なんだよ。一緒に学園に通うようになるんだから。ミアたちは貴族学園に通えないんだから、仕方がないだろう。機嫌を直して仲良くしてよ」
「……じゃあ、スティーブン様のほうからミアにキスしてください。そうしたら、機嫌、直します」
「仕方ないなあ。ミアは甘えん坊だね」
「ちょっとミアだけずるい! スティーブン様、あたしにもキスしてよ」
スティーブン様は、二人の頬にそっと唇を触れる。
「ほっぺなんて、嫌! ちゃーんと唇にしてっ!」
頬にキスをしてもらった後も、そうやって騒ぐミアさんとメイさん。
……もう、限界だ。
早く早く、急いで。
わたしの心から嫉妬心を消し去る魔法を開発しなければ。
そうしなければ、わたし、いつか、ううん、すぐにでも、嫉妬心を露わにして、そうしてスティーブン様の婚約者じゃなくなってしまう。
本当は、わたしの嫉妬心を消し去るのではなく、スティーブン様がわたし一人だけを大事にしてくれるようにって、そんな魔法を開発するつもりでいた。
だけど……。
「それは無理だ」
ウォルター・グリフィン・ブラウンス先生がきっぱりと言ったのだ。
「いくら魔法でも、相手の心を捻じ曲げることはできない。いや……できるのかもしれん。一応『魅了』なんていう魔法も、概念だけは存在しているからな。今はなくともいつか誰かが、そんな魅了魔法を構築するかもしれん。だが、オレは、相手の気持ちを捻じ曲げて、自分を愛するように仕向けるような魔法を使う人間を軽蔑する。いいか、よくきけレシュマ。相手の心を無理矢理を変えることはできない。変えられるのは自分の心だけだ」
「ウォルター先生……」
「そんな魔法を開発して、無理矢理にスティーブン様とやらに愛されて、お前はそれで満足か? 魔法で造っただけの、偽物の愛情でもいいというのか?」
わたしはぶんぶんと首を横に振った。
「魔法で、相手の心を捻じ曲げて、無理矢理お前のことを愛させるようなことはするな。どうせ努力するなら、ミアとかいう女たちなんか、目でもないくらいにお前が魅力的な女性になって見せろよ。スティーブンとやらが、レシュマ以外の女に目が行かないようにってさ」
「そんなこと、できるのなら、とっくにやってます……」
「まあ、そうだな。大勢の女の子に囲まれて、ちやほやされたい甘ったれ男が、たった一人の女だけを愛するようになるのは難しいな」
「そう……ですよ、ね……」
「っていうかさ、そんなクソったれ男、お前はどこがいいんだよ」
「……わかりません。初めて出会って、一目見て、すぐに好きになって……、それからずっと好きで、好きで……。苦しいのに嫌いになんて、なれなくて……」
「はあ? 顔か? しょせん男は顔なのか?」
「どこがどうとかじゃないんです……。ただ好きで、好きで……どうしようもなくて……。わたしだけを、好きになってほしくて。それが無理なら、わたしのこんな醜い嫉妬心、消し去りたいって……」
ぼろぼろと、泣き出したわたしの頭を、ウォルター先生はガシガシと撫でてくれた。
「スティーブン様とやらはさ、お前がそんなに気持ちを傾けるほどの、いい男なんかじゃないと思うぞ。さっさと失恋して、他の男に目を向けろよ。いい男なんて、この世の中、いくらでもいる。ほら、泣き止んで、お前の目の前にいる、このいい男に目を向けてみろよ。どうだ? 美少年とかではないけれど、なかなかのもんだろ?」
おどけて、そう言ってくれたウォルター先生。
「……ウォルター先生はもう三十歳じゃないですか」
「まだ二十九歳だっ!」
ウォルター先生の、あまりに必死さに、わたしは泣いたまま、笑ってしまった。
四年ぶりに笑ったせいか、わたしの心が少しだけ、軽くなった。
スティーブン様のお心を、魅了魔法とかで無理矢理にわたしだけに向けることは止めよう。
それに、魅了魔法なんて、伝説というか、空想の中でしかないものを、わたしが一人で構築できるはずがない。
ウォルター先生の助けがあれば、そんな魔法も作り上げられるかもしれないけれど、ウォルター先生は、相手の心を捻じ曲げるような魔法は絶対に作らないだろうし。もし作ったとしても、それを解除する魔法をも作り上げてしまうだろう。
そして、そんな魔法をもしもわたしがスティーブン様に使ったとしたら、きっと、ううん、絶対に、ウォルター先生はわたしを軽蔑する。
それは……嫌だな。
だから、わたしは初心に戻って、わたしの心から、わたしの嫉妬心を消す魔法の研究を重ねた。
自分の心と言えども、嫉妬心という感情だけを消すのは難しい。それに嫉妬ということの定義があいまいすぎるのだ。
ちょっと良いなという、単にうらやむ心と、嫉妬するほどの感情の境目はどこにあるんだろう。どこまでを切り取って、どこまでを保っていればいいんだろう。
それに……現在感じている感情を、切り取ったところで、同じような感情は次から次へと湧いて出てくるのではないのか。
わからない。
人の感情に、きっちりと明確な線は引けない。
だから、ここからここまでには効果があるけど、そっちからあっちまでは無効……なんていう、都合のいい魔法は構築できなかった。
だから、もっと小さくて、もっと限定的な魔法だったらどうかと思ったの。
わたしの心から、嫉妬心のすべてを消し去るのではなく。
スティーブン様限定で、スティーブン様に対することに限り、嫉妬の感情をなくせないかと思ったの。
魔法の範囲を限定する。その範囲を狭めれば、狭めるほど、魔法の成功率は上がるんじゃないかって。
例えば、『ミアさんがスティーブン様の手を握ったときだけ、心が平静になる魔法』とか……。
『メイさんが、スティーブン様の口元に、フォークでケーキを差し出しても、それは単なる給仕であり、男女の愛ではないと思い込む魔法』とか。
誰がと、なにをしたのかと、それによってどんな気持ちになるのか。
細かく細かく区切っていって、限定的な場面で、限定的な小さな魔法をかける。
そして、その小さな魔法をいくつもいくつも重ねていく。
そうすれば結果的に、ミアさんやメイさんに嫉妬心を向けることはなくなるんじゃないかって。
わたしは、そう考えた。
でも、ウォルター先生に相談したら「そんな魔法を開発するよりも、さっさと失恋して、他の男に目を向けろ」とか「ちゃんと嫉妬心をスティーブン様とやらにぶつけて、それで婚約者なんてやめちまえ」とか言われそうだったから、こっそりと、相談もせずに、そんな魔法を作り続けた。
そうして、わたしの魔法は完成したのだった。
それは、貴族学園に入学する、ほんの少し前。
わたしが、十五歳になってすぐのときのことだった。
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登場人物メモ
■ウォルター・グリフィン・ブラウンス
魔法使い 男 29歳 一人称「オレ」
広い肩幅とがっしりとした体格 赤い髪と金の瞳 行動力あり
魔法構築に長けている。
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2024年5月20日 恋愛の週間ランキング 5位に入っておりました!!
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