第3話 嫉妬

「嫌だよねえ、嫉妬なんて。僕はみんなで仲良くしたいだけなのに」

 吐き出されるため息。その憂い顔。

 わたしはスティーブン様に、反論も肯定もできなかった。

 醜い嫉妬心をぶつけられるのは嫌だ。

 それは、わかる。

 みんなで仲良くしたい。

 それは、理解はできる。

 スティーブン様の話す言葉を、わたしは……理解は、できるのだ。

 だけど……。

 わたしはスティーブン様を好きになった。

 スティーブン様も、わたしを婚約者に選んでくれた。

 それだけでは、いけないの? 

 わたし一人だけでは、駄目なの?

 背筋にスーッと。なにか冷たいものを這わされた気分だった。

「ほら、ずっと遠くの東にはさ、奥さんに序列が付いていて、第一夫人、第二夫人……とかがあって、たくさん奥さんがいるのがあたりまえって国だってあるだろ?  そういう感じで、僕にもたくさん奥さんがいればいいなって思うんだよ。たくさんいれば、僕はさみしくない。争いごとも、一対一だといつまで経っても平行線だけど、みんなで話し合えば、解決の糸口もすぐ見つかるでしょ。それにねえ、奥さんが一人だけだと、その奥さんが、僕の面倒を見るの、大変だと思うんだよね」

「えっと、大変とは……」

 なにが大変なのだろう。

 夫一人に対して、妻が一人。

 それがあたりまえでしょう? あたりまえなのに……。

「うん、例えばね。僕とレシュマは婚約を結んだ。レシュマは僕を大切に思ってくれるだろう?」

「もちろん……です」

「だけど、そう思っても、僕のそばにいられない時だってあるじゃない。例えば、夜中に、急に僕が目覚めて、レシュマにそばにいてほしい、さみしいんだって思っても、レシュマがすぐに僕のそばに来ることは無理でしょう?」

「それは……そうですが……」

 社交シーズンで、王都にいれば、なんとか馬車を急がせて、夜の間には着くことができるだろ。だけど、領地に戻ったら?

 ミラー子爵家とアルウィン侯爵家の領地はどのくらい離れているんだろう。

 少なくとも、隣り合った領地ではない。

 きっと馬車で何日もかけていかなければならないのだ。

 すぐに、なんて、絶対に無理。

「アリスとかミアとかメイは、僕が呼んだらすぐに僕の部屋まで来てくれるんだ。アリスは僕がもう一回眠るまで、抱きしめて、背中を撫でてくれるし、ミアとかメイは僕がさみしくなくなるまで、一緒に毛布にくるまって、楽しいお話をしてくれる」

 わたしが、一生懸命に馬を走らせて、スティーブン様の元へと駆け付けたとしても、その間にミアさんやメイさんが、スティーブン様のそばにいて、すぐに、スティーブン様のお気持ちを慰める。

 わたしがたどり着いたときには、既に、スティーブン様は彼女たちと笑いあっているのだろう。

 その様子が、容易に想像できた

「僕はアルウィン侯爵家の嫡男だからね。僕と一緒に社交をしてくれるパートナーの女性が……婚約者が必要なんだ。アリスたちは残念ながら平民だから、社交界には出られない。だから、僕には貴族の婚約者が絶対に必要なんだよね。でもさあ、侯爵家の夫人の社交って、お母様を見ているとすっごく大変だってわかっている。身支度とかいろいろ時間がかかっちゃうでしょ。忙しいよねえ。レシュマ一人で侯爵家の夫人としての仕事と、僕の奥さんとしてずっと僕のそばにいることなんて両立できないでしょ。だからね、一人で無理なことも、みんなで分担すればいいんだと思うよ。分担するみんなには仲良くしてもらいたいってだけなんだけどなあ……。今までの婚約者たちはそれが理解できなくて。僕、そんなに難しいこと、言ってないと思うんだけど……」

 困ったもんだね、と、スティーブン様は苦笑する。

 理解できない相手のほうが、おかしいとばかりに。

「それで……今まで二十回以上も、婚約者が変わったのですか?」

「そう、そうなんだよ。みんな、僕の言うことをわかってくれなくて。アリスとかミアとかメイとかに、醜い嫉妬の感情をぶつけるんだ。紅茶をかけるとか、叩くなんて、ひどいだろ。口汚く罵るとかもさ、僕は聞きたくないんだ。酷い言葉の応酬なんて、お父様とお母様だけで十分だよ」

「そう……ですよね。ひどい、です」

 紅茶をかけるのも、叩くのも、それは確かにひどい。

 そこだけを抜き出して聞いたら、わたしだって、ひどいねって思う。

 だけど……醜い感情って言うけど、そうせずにいられなかった元婚約者たちの気持ちは? 

 元婚約者たちが、スティーブン様にべたべたしないでほしいって、ミアさんたちに気持ちをぶつけたくなるのは……わたしだって、同じだ。

 だって、嫌だもの。

 スティーブン様が、わたし以外の誰かとべたべたするのを見るのは。

わたしが婚約者なのに、どうしてスティーブン様は別の女の子と仲良くするのって、思うもの。

 でも、それを、醜い感情って言われて、婚約を取りやめにされたら……。

「だから、レシュマで良かったよ。君、理性的っていうか、冷静に僕の話を聞いてくれるし。ミアたちを睨んだりもしないし。自分だけを愛してくれとか、婚約者なんだから他の人を見ないでとか言ってこないし」

 冷静……。そうじゃない。わたし、今、混乱して、なにをどう言ったらいいのかわからないだけ。喉が詰まって、うまく声が出ないだけなの。

 わたしだって……心の中では……、わたしだけを見てって思ってる。ミアさんのこともメイさんのことも……本当は、すごく、嫌。

 ああ、そうだ。ミアさんとメイさんは、わたしが彼女たちを嫌だと思っていることをわかっているんだ。

 みんなで仲良くなんて、あなたにできるの? あたしたちはずっと一緒にスティーブン様を支えてきたのよ。

 そんなふうに、ミアさんたちはきっと思っている。

 彼女たちにとって、わたしなんて、すぐに変わる婚約者……でしかないんだ。

「まあとにかく。醜い嫉妬なんて、しないでよね。レシュマ、君なら、そんな感情は抱かないで、僕の大事なアリスやミア、メイともうまくやっていけると期待しているからさ」

 僕の大事なアリスやミア、メイ。

 そのスティーブン様の言葉に、わたしは殴られたようなショックを受けた。

 大事なのは、アリスさんという人と、ミアさんと、メイさん。

 ……わたし、じゃないのね。

 スティーブン様の元婚約者たちは、ミアさんたちに嫉妬心をぶつけて、婚約を解消された。

 わたしも同じ。

 ミアさんたちに嫉妬をしたら、咎められるのはわたしのほう。切り捨てられるのはわたしのほう。

 ああ……、だから、ミアさんたちはわたしを見下すのだ。

 たかが婚約者って。

 スティーブン様の気持ちの優先順位は、ミアさんたちのほうが高い。

 大事なのは彼女たちで、わたしじゃない。

 スティーブン様には『貴族の娘』という婚約者が必要なだけ。

 そして、それは……わたしでなくても誰でもいいのだ。

 平民の娘では、貴族と婚姻は結べない。それが、我が国の法律。

 仮に、平民の娘をどこかの貴族の養女としたって、平民の娘に流れる血は、貴族の血ではない。

 下級貴族であればともかく、貴族の養女となったからって、元平民の娘が侯爵家になんて嫁げない。

 よほど、優秀であるのならともかく。

 ミアさんたちはスティーブン様のお父様の知り合いの娘だと聞いた。どういう知り合いなのかはわからないけれど。

 でも、元々優秀なら、行儀見習いなどにはせずに、とっくにどこかの貴族の養女になっているはず。

 だけど、養女にはなっていない。

 ミアさんたちはスティーブン様の婚約者にはなれない。

 代わりに、スティーブン様の婚約者になるための『貴族の娘』が必要となる。

 ミアさんたちの代わりに必要な『貴族の娘』は誰でもいいのだ。

 代わりだから、少しでも気に入らなければ、すぐに取り換える。

 そうして、スティーブン様は二十回以上も婚約と婚約解消を繰り返してきた。

 これは、多分、でしかない。

 でも、きっと、わたしのこの考えは、大きくは外れてはいないのだと思う。

 だから、わたしはスティーブン様に向かって「頑張ります」と答えたのだ。答えてしまったのだ……。



         ☆★☆



 そのあと、わたしはスティーブン様と、なにを、どう、話したのか……よく覚えていない。

 気が付けば、お父様とお母様とルーク兄様と一緒に馬車に揺られていた。

「緊張したが、予想外にアルウィン侯爵は気さくなかただったなあ。こんなに遅くまで話が弾むとは思わなかったよ」

 お父様の言葉に、わたしは馬車の小窓から外をぼんやりと眺めた。

 ああ……夜だ。

 月明かりも、星の明かりも見えない、真っ暗な夜空。

「そうね、アルウィン侯爵夫人も素敵なかただったわ……。女神様みたいに美しい上に、所作もきれいで……。さすがに高位の夫人は違うわねぇ」

 お父様とお母様は顔を上気させながら、スティーブン様のお父様とお母様がいかに素晴らしかったかを興奮して話し合っている。

 ……その素晴らしい侯爵夫妻は、本当は仲が悪いんですって。

 心の中で思っていても、わたし、それを口に出す気力もなかった。

「スティーブン様も、十歳とは思えないほど博識で。天使のような外見に、大人顔負けの優秀な頭脳。さすが侯爵家の令息だ。二十回以上も婚約と婚約の解消を繰り返していたというから、どんなにひどい方なのだと、内心危惧していたが……。話をしても、欠点など感じられなかった。あれは、きっと、スティーブン様が素晴らしすぎて、皆、気後れをして、自ら婚約者を辞退したのではないのか?」

「そうですよねえ、自分もそう感じました。レシュマも一目見ただけで舞い上がっていたし。いやあ、素晴らしいご縁に感謝せねば」

 お父様とお母様だけでなく、ルーク兄様も興奮している。

 素晴らしいご縁。

 スティーブン様との婚約を、本当に喜んでいる。

 喜んでくれている家族の姿を見たくなくて、わたしは目を瞑った。

「なんだ、レシュマ。眠ったのか?」

「もう夜遅いですし。レシュマもあんな素敵な婚約者ができたことに興奮していたのだから、疲れたのでしょう」

「そうだな。スティーブン様を一目見た瞬間に、レシュマの目の色が変わっていたものな」

「スティーブン様とレシュマが手を繋いでいる姿は、とても微笑ましかったわね」

「良い婚約者、良い夫婦になってくれると嬉しいなあ」

「夫婦はまだ気が早いのでは? まだ十歳ですからね。これから、侯爵家の御子息の婚約者としていろいろ学ばねばならないでしょうし、そのうち学園にも入学する。レシュマは大変でしょう」

「だけど、レシュマならやってくれると思うわ。淑女教育は……まあ、今のところ、及第点でしかないけれど。この子、大好きな魔法の勉強はものすごくするでしょう? だったら大好きなスティーブン様のために、侯爵家にお嫁入りするためのお勉強も、がんばってくれると思うの」

「そうだな。うん、きっとそうだ」

 目を瞑っていると、お父様とお母様とお兄様の声と、スティーブン様に言われた「醜い嫉妬をするな」という言葉が、ずっと繰り返し、頭の中に響き続ける。

 だけど、目を開けて、暗い夜も見たくない。

 しあわせな気分など、もう感じられない。

 ただ、重く、苦しいだけ。

 わたしのこの体が、そしてこの心が、ずぶずぶとこの夜の闇の中に、沈み込んでいくようだった……。



          ☆★☆



 わたしの感情がどうであれ、わたしとスティーブン様の婚約は成立した。

 まだ十歳ということもあって、スティーブン様の婚約者としての教育は、それほど詰め込まれたりはしなかった。

 週に二回、わたしは馬車に揺られてアルウィン侯爵家に向かう。

 午前中に、アルウィン侯爵が手配してくれた家庭教師から、高位貴族としてのマナーやアルウィン侯爵家の歴史などを学ぶ。

 それから、スティーブン様と一緒に昼食をいただく。

 アルウィン侯爵夫妻が同席することは、ほとんどない。

 スティーブン様に聞いてみたら「ああ、お父様もお母様も、必要がなければ一緒に食事をとることはないよ。顔を合わせればいがみ合いが始まるから」とのことだった。

 ミアさんたちが、食事の席にすることはない。

 だけど、食事の時間もミアさんたちは、スティーブン様の隣にいる。

 この間、糖蜜のケーキを食べた時みたいに、ミアさんたちが、フォークで食事をスティーブン様に運ぶ。

 スティーブン様は「あーん」と口を開けて待っているだけだ。

 これが、彼らのあたりまえなのだ。

 わたしはその様子を見ても、なにも言わない。いいえ、言えない。

 最上級においしいはずの侯爵家の食事は、なんの味もしない。

 ただ、マナーの先生に習った通りに、フォークやナイフを動かして、食べ物を口に運び、水で流し込むだけ。

 アリスさんという人が、ミアさんやメイさんよりも常識的な感覚をしているらしいのは、ほんの少しだけ、救いだった。

 時折「たまにはスティーブン様とレシュマ様のお二人で、薔薇園でも散策してみてはいかがですか?」と、アリスさんは提案してくれるのだ。

 けれど、そのたびに、ミアさんたちは「え~、どうして? 薔薇園なら、あたしたちだって、スティーブン様と一緒に歩きたい~」と言い出してしまう。

 だから、いつもいつも、スティーブン様の右手はメイさんに、左手はミアさんに繋がれたまま。

 わたしはスティーブン様の少し後ろを、アリスさんと一緒に歩く。ぽつりぽつりと当たり障りのない話をしながら。

 そうして言われるのだ。

「レシュマとアリスは気が合うみたいだね。良かったよ、仲良くしてくれて」と……。

 わたしは張り付けたような笑顔になって「そうですね。アリスさんがいてくれて良かったです」と答える。

 それは嘘ではない。

 アリスさんがいないときは、わたしは一人で、スティーブン様の後ろに控え、そうして、優越感に笑うミアさんとメイさんを見ることしかできないのだから。

 ああ、いつまでわたしは、ぐるぐると渦巻く嫉妬心を隠して、淑女の笑みをうかべていなければならないのだろうか……。

 我慢していれば、いつか、スティーブン様はミアさんたちではなく、わたしのことを、優先してくれるようになるのだろうか……。

 そう願いながら、一年、また一年と時間だけは流れていった。

 アルウィン侯爵家に来るたびに、どんどんどんどん心がすり減っていく。

 もう耐えられない。

 何度も何度もそう思った。

 だけど、スティーブン様の笑顔を見ると、思ってしまうのだ。

 ああ、わたし、やっぱりスティーブン様が好きだ。

 この笑顔が、ミアさんやメイさんにではなく、わたしに、わたしだけに向いてほしいって……。









 




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