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やまこし

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 僕は死んで、デジタルになった。


 はっと気づいたときには、小さな劇場の舞台の上で、血を流して倒れている僕自身を上から見ていた。小説やアニメでよく見る表現が、自分の目の前に、しかも自分自身で現れたのはとっても愉快で、ちょっと笑った。

これは、僕が死んでから初めての笑いだ。

死んでも面白いことがあるんだ。

そしてこれが、僕が死んでから初めての発見と驚き。

僕の、きっと「魂」というやつは僕から抜けているからもう痛くはないし、残念ながらどこも気持ち良くもない。


 舞台監督の武田さんが僕の名前をずっと呼んでいる。思わず返事をする。いるぞ!ここに!でも、全然気づいてくれない。僕はここにいるのに。まだまだやれるのに、まだまだ、ずっとずっと、みんなと芝居がやれるのに。

制作のえりちゃんがあたふたしている。携帯で電話をしている相手は、僕の恋人だろう。もしくは恋人から番号を聞き出して僕の母親に電話をしているのかもしれない。恋人は、僕が死んだことを聞いて正気でいられるだろうか。とりみだしたりしていないだろうか。今日は肉じゃがを作ると言っていた。家に帰って、冷えた肉じゃがをあたためて食べることを楽しみにしていたのに。母親には申し訳ないことになってしまった。親より先に死ぬなんて、少なくとも僕は望んでいなかった。でも、恋人にも母親にも、たくさん悲しんだあとは一歩一歩前に進んでほしいと思っている。


 僕は、命がなくなったことに対して、自分の想像を超えてドライだった。

 なんだか、薄情なやつだったんだろうか、僕は。


 遠くから救急車の音が聞こえてくる。おかしいな。ここは地下なんだから、外の音はほとんど聞こえないはずだ。死ぬと耳が良くなるのだろうか。

大道具の青山さんがずっと青ざめている。なぜかずっと俯いていて、衣裳の前田さんがなぐさめにきた。もしかして僕は倒れてきた大道具に下敷きになったのだろうか。


 高校時代から演劇をやっていて、顧問や先輩から口すっぱく言われてきた。

「気を抜いたら、舞台で死ぬぞ」

 そう、舞台という場はとても危険だ。熱い照明は火事になることもあるし、大きな道具は倒れてくる可能性がある。釘も使うし紐も多用する。舞台の真上を客席から見て左右に横切るように設置してある「バトン」という機構には、重たい照明や大道具が吊り下げられていて、バトンを上げ下げするときに大怪我をしたという話を噂で聞いたことがあった。たしかに危ないことがいっぱいで、命を落としてもおかしくないとは思っていたし、自分も十分気をつけていた。なのにまさか、本当に死ぬなんて。


 「青山さん、たしかに僕はもっと芝居がやりたかった。でも僕は死んでしまった。これは僕も含めたみんなの責任であって、青山さんだけのせいじゃないから、青山さん、これからも素敵な道具いっぱいつくってよ」

言葉を紡ぎながら涙が出てきた。死んでも人は泣くらしい。でも僕の言葉も、涙も、誰にも届かなかった。その事実が悲しくてまた泣いた。


 劇場の中がザワザワしてきた。

 救急隊が到着したようだ。救急隊は僕の下肢をおさえながら名前を呼んでいる。僕は返事をしない。正確にいうと、僕の肉体は返事をしない。その様子を共演者たちも呆然と眺めている。武田さんと青山さんが、救急隊の一人に状況の説明をしている。やがて警察もやってきて、二人は同じことをもう一度説明させられていた。その説明を僕も一緒に聞いた。書き割りが倒れてきて、その下敷きになった時、頭の打ちどころが悪かったようだ。自分の話だというのに、まるで他人に起きた出来事を聞いているかのようだった。


 ここで死亡の診断は下せないらしい。つまり、僕が死んだということを信じているのは僕だけなのだ。それはとても不思議だ。

「いや死んでるんだが?!」

大きな声でツッコんでみたが、もちろん誰も反応しない。もしかして、僕はこれから孤独を生きていくのだろうか。

いや、もう死んでいるのだけれど。


 僕の死体が運び出されていく。まさか僕がこの劇場から最初に搬出されることになるとは思わなかった。あの書き割り、運び込むの大変だったんだけどな。お客さんに見られることなくお役御免だと思うと、とても寂しい。美しい書き割りだった。


 僕は自分の死体についていこうと思ったが、どうしても劇場の外に出ることができない。まるでバリアのようなものが張ってあるような感じというか、そこに透明な壁があるというか、とにかく劇場から出られなかった。

 これが呪縛霊というやつなのか。もっと霊本体の強い意志みたいなものでその場にとどまっているのかと思っていたが、そうではないらしい。でもたしかに「呪いに縛られた霊」と書くわけだから、本体の意思ではないのか。たしかなことはわからないな、スマホにメモしておいて後で調べよう、とポケットに手を突っ込んだら、ポケットなどなかった。もちろんスマホは、僕の体と一緒に外に運び出されてしまった。もちろん、あったとしても触れないんだろうけれど。


 劇場に残った出演者とスタッフは、警察に話を聞かれていた。小道具の間宮さんが舞台上を掃除しようとしたら、警察に止められていた。残った方も残った方で大変そうだ。僕は劇場全体が見える調整室に移動した。調整室というのは、照明や音響を操作する機構があるところで、この劇場では一つの部屋になっている。本来この部屋で仕事をする照明のサオリと音響の小畑くんはホール客席で警察に話を聞かれる順番待ちをしている。

 あーあ、僕はもっと芝居がしたかった。というかやりたいことがもっといっぱいあった。

 美味しいものは数えきれないほど食べたかったし、行きたい国もいっぱいあった。恋人ともっといっぱいキスをしたかったし、色々なところへ遊びに行きたかった。続編を待っているアニメもいっぱいあったし、龍が如くはプレイしている途中だった。推しが武道館でライブしているところも、みたかった。何もかもやりかけだ。死んだらなにもない。死んだら、本当になにもできなくなってしまう。


 はあ、と照明の操作盤に頬杖をついたら、暗転のキューを走らせてしまった。

 ボタンを押して、照明を動かしてしまったのだ。

 それが偶然「暗転」、つまり劇場全体を真っ暗にするコマンドが仕込まれたボタンだった。とたんに劇場は真っ暗になった。

 自分のポケットにすら手を突っ込めなかった僕は、照明の操作ができてしまったのだ。そんなことがあるのだろうか?

でももしかしたら、あるのかもしれない。

心当たりがある。


 芝居を長くやっていれば、劇場での“心霊現象"に遭遇することは珍しくなくなる。楽屋で子どもの笑い声が聞こえただとか、舞台袖は無人のはずの場面で袖から顔が見切れていただとか、作ったはずの照明データが一晩経ったらすべて消えてなくなっていただとか、枚挙にいとまがない。中でも多いのは照明と音響系のトラブルで、今回の照明担当で大学の同期のサオリは、よくそういうトラブルに遭遇する、と塩を持ち歩いていた。今日も劇場の神棚にお参りしてから、照明機材の電源を入れていたのを目撃している。


 照明や音響でトラブルが多かったのは、僕らのような霊的な存在にも触れるからなのだ。僕らは、物理的なボタンに触れなくても、0と1の配列に触れることはできるらしい。どうやら。


 僕は死んで、デジタルになったということだ。


 サオリがバタバタと走って調整室に向かってくる。突然暗転したので、照明をつけにきたのだ。僕にも照明をつけることはできたはずだが、サオリを怖がらせてはいけないのでこのままにしておいた。手に持ったペンライトで照明の操作卓を照らしながら、手際よく照明をつける。舞台上は蛍光灯で照らされ、客席の照明も全てついて劇場内は明るくなった。操作卓を指差し確認し、劇場内に戻ろうとしたとき、サオリはこちらを振り返った。

「…てっちゃん?」


 驚いた。見えているのだと思った。しかし次の瞬間

「なんてね、そんなわけないよね。へへ」

と笑って立ち去ってしまった。

いるよ。いるんだよ。ここにいるんだ。

サオリ、もう一回やろうよ。

僕、サオリが書いてこっそり見せてくれた脚本のことが忘れられないんだ。僕なら多分、あの主人公を完璧にできる。

 サオリはもう一度戻ってきた。そして言った。

「てっちゃん。あの本のことは忘れて。もうあたし、書かないから。ここにいてもあの本は演れないし、見られないからね。ゆっくりしてね、てっちゃん」


 サオリは本当に「視える」タイプの人だったのだ。毎日持ち歩いていた塩も、神棚に祈る仕草も伊達ではなく、本当に1日の無事を祈っていたのだった。


 サオリに「ゆっくりして」と言われたからその呪縛が解けて僕は無事に天へ昇っていった…


 わけではなく、まだ劇場の外に出ることはできなかった。あれからなんだかんだ5ヶ月くらい経っている。事故直後は警察の関係者がたくさん出入りして、劇場もしばらく使えなかった。そのあとお祓いができるというおばさんがやってきて、僕の霊を祓う仕草をしたが、僕には全く効果がなく、結局まだ劇場に住んでいる。けれど、劇場の使用は再開されていた。


 僕は相変わらず照明や音響に干渉できた。公演中にこういうことがあると困ることはよくわかっているので、公演が終わった後に照明をつけたり消したりして遊んだ。何度も上演される芝居を見ていたら次第にセリフを覚えてしまい、お気に入りのシーンは自分で照明をつけながら真似をした。僕の声は響かないし、小道具や衣装を身につけることはできなかったが、明かりと音だけは自由に操ることができる。これはとても楽しい。劇団にひとり、幽霊がいたらオペレーターの人数を削減できるのにな、なんて思ったりもした。


 僕は、人は死んだら「無」になるのだと思っていた。ただ何もない、覚めない、夢のない、眠りがあるだけだと思っていた。思っていたより、ちょっとだけ楽しい未来があった。


 僕は、死んでデジタルになった。

 1と0の世界を自由に動き回れる、デジタルになった。

 それは確かに孤独だけれど、僕はこの暗い箱の中で楽しいことを見つけていくのだ。

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