第36話 戻る日常 4

いつものように学校に向かう。

アイドルになるのも断ったということもあるし、あれから一週間以上もあったのだからと私は油断をしていた。

今更誰かに声をかけてもらうことなんてことはないと思っていた。

だから、気分よく私は歩いていた。

鼻歌も歌いながら…

そんな私の目の前に黒い車が止まる。


「なんだろう、高級な車」


呑気にそんなことを考えながら、他人事のようにして車を見ていた。

でも、降りてきた人を見て、私は戸惑うことになった。

車から降りてきたのは、クローバーのリーダーである信さんだった。

どうして目の前に?

そんな考えが頭の中をぐるぐると回っていると、信さんは話しかけてくれる。


「私のこと知っていますか?」

「もちろんです。クローバーのリーダーである信さんですよね。クローバーの中でも、安定した歌声、安定したダンスであり、パフォーマンスが安定しているからこそ、みんなを引っ張っていくような存在になることで、リーダーとして活躍していますよね!」


そこまでまくしたてるように言ったことでハッとする。

早口でこんなことを言ってしまうというのは、まさしくオタクというものだろう。

ただ、そんな私の気持ち悪い言葉を言われても、信さんは驚きながらも少し苦笑いをしながら言ってくれる。


「う、うんそう言ってもらえるのは、嬉しいんだけどね」


完全な愛想笑いだ。

やってしまったと思ったときには、遅いとよく聞くことがあるけれど、自分がそういうことをしてしまうとは考えていなかったので、次に何を言うかで迷ってしまう。

憧れの存在に出会ったことで、余計にうまく言葉は出てこない。

魅力を語れと言われれば、一時間は余裕で語ることができるけれど、そんなことをメンバーのリーダーにするというのは、自ら嫌われようとしているのと同じことなので、オタクだと自称しているからといって、そんなことを話していいとは限らない。

ただ、どうしても口から言葉が出そうになるのは仕方ないと思っている。

じゃあ、このタイミングで何を話したらいいのか?

そう考えて、出てきた言葉は…


「いい天気ですね」

「はい、今日は一日快晴のようですよ」

「それなら、よかったです」


って、何をさっきから何を言ってるんだ私。

緊張してしまって、何を言っていいのかわからなくなっている私に対して、信さんは笑いだす。


「あははは…幸來さんは面白いですね」

「あはは、そうでしょうかね…」

「はい、お姉さんとは違った面白さがあります」


信さんが言ったその言葉で私は身構えてしまう。

わかっていたことだけれど、信さんとお姉ちゃんは同じ事務所に所属している。

そんな信さんが来たということは、それなりに何かがあるとは予想していたけれど、お姉ちゃんの名前を出されたということに、身構えてしまうのは仕方ないことだった。

だけど、身構えた私の行動を見た信さんは笑っている。


「聞いていた通りということですね」

「どういうことですか?」

「そうですね。幸來さんはアイドルに興味はありますか?」


その質問の意味がわからなかった私は素直に答える。


「あるに決まっています。私はアイドルが好きですから」

「そうなのですね。それは、いいことを聞いた気がします」

「どういうことですか?」

「アイドルの生活を一緒に見てみませんか?」

「?」


私はそう言われたところで、訳がわからなかった。

でも、戸惑う私の手を信さんが掴む。

あ、しっかりとした手で、でもちゃんと柔らかい。

そんなことを考えているうちに、私は車に引っ張り込まれる。

まるで誘拐現場のような状況に、さらに戸惑いながらも、抱きしめられるような感覚に逃げ出せない私は、なされるがままになってしまった。


「じゃあ、だして」

「ええええええ!」


ただ、すぐにそんな言葉が聞こえるとともに、車は動きだす。

私は驚きの声をあげるのだけれど、その声が誰かに聞こえることもなく、信さんが望むまま私は連れていかれるのだった。

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