第四話 無口公爵とブラコン公爵

 ――ああ、ゴットフリート。ごめんなさいね……。


「母上? なぜ謝るのですか?」


 貴方が皇帝になれないのは私の地位が低いから――、そうでなければ、はじめに生まれた貴方こそが、帝位継承権一位だったのに。


「いえ――、私は気になどしてはおりませんとも。何より母上のせいなどになぜしなければならぬのですか?」


 いいえ――、ゴットフリート。貴方は頭が良い……、誰よりも深慮深く皇帝位にふさわしいのに。それを私の地位が原因でこうなってしまったのは私のせいなのよ。


「母上――、そのような悲しい顔をしないでください。私は――私は……」


 ――……。


 ……。


「ゴットフリート閣下」

「む……」


 その時、ゴットフリート・デッセル公爵は、かつての悪夢から目を覚ました。そんな彼に配下の書記官が心配そうな声音で声をかける。


「何やら苦しんでおられた様子。悪い夢でも?」

「――……、いや」


 そう言ってゴットフリートは右手のひらを書記官に向けた。それを見て書記官は直立不動で畏まる。

 ゴットフリート・デッセル――、現在20代後半である金髪碧眼の若き公爵である。

 ブリードヘルムにとっては腹違いの兄にあたり、かつて帝位継承権第二位としてブリードヘルムと皇帝位を争っていた。

 極めて無口で、特別な時でなければ最小限の言葉しか話さない彼は、一部の貴族たちの心の拠り所となっていた――、そう、一部の貴族……の。

 すぐに真面目な表情をした書記官は、ゴットフリート公爵に言葉を告げる。


「例の方々はすでに例の場所に集まっております。あとはゴットフリート様のみ……」

「わかっておる……、すぐ向かう」


 それだけ語るとゴットフリート公爵は静かに立ち上がって執務室を後にしたのである。



◇◆◇



「ロードハルト伯爵閣下が失脚なされて――、その息子に代わられた事は皆も知っておろう?」

「――ああ、領民たちを虐げたとかいう理由での失脚だと聞いた」

「は――、現皇帝陛下は、領民想いでいらっしゃる――、その代わりに貴族への想いは皆無だと……」

「そうですな――、このままでは皇帝に我ら貴族が虐げられるばかり――」


 そう口々に語り合うフード付き外套を頭からかぶった人々。彼らが語り合うそこは、帝都の辺境の地下に作られた秘密の集会場である。


「ああ――ゴットフリート殿……貴方が皇帝となればこのような事にはならなかったでしょうに」

「――……そうかもしれん」


 彼らの言葉にゴットフリート公爵は小さく頷いた。


「やはり――、ブリードヘルムには皇帝位を退いてもらわねばならん。そのためには――」

「うむ……、現在――、ブリードヘルムには子供はいない、後宮は建てられたばかりだからな」

「もし皇帝が亡くなられたら――、間違いなくゴットフリート公爵閣下がその地位を次ぐことになろう」


 彼らの言葉に静かにゴットフリートは頷く。それを満足気に見た彼らは更に語る。


「毒殺――という手もあるが。下手なことをすれば魔導による探知で証拠を暴かれる可能性もある」

「ならばどうする?」

「簡単な話よ――、反乱軍に直接殺させればよい」


 彼らはその言葉に一様にざわつく。


「反乱軍? それは――」

「皇帝の早急な政策によって失脚した貴族の子弟共には、彼を恨むものが多いという事――。そして、今回ゴットフリート公爵閣下が有用な情報を持ってきてくれた」

「?」


 外套の貴族たちはゴットフリート公爵を見る。彼は小さく頷いて言ったのである。


「――ブリードヘルムが極秘にダンデュール伯爵領の視察をなさるという話がある。極秘視察ゆえに護衛も少数」

「は――、ならば兵士100人もおればかの男を殺すことは可能であるな!」

「そのとおりだな――」


 貴族たちの言葉にゴットフリート公爵は小さく笑って頷いた。

 珍しく笑う彼を見て貴族たちは嬉しそうに頷いた。


「――これからが忙しくなるぞ。もし皇帝が亡くなられれば混乱が起きるからな」

「その時は――、ゴットフリート様にしっかりと動いていただきましょうぞ」


 こうして暗い地下室で一つの計画が立ち上がった。それは嘘偽りなく皇帝の命を狙った暗殺計画であった。



◇◆◇



「いやあ――、兄さんと旅行なんて何年ぶりだろうね?」


 そう言って銀髪の少年は笑った。

 歳の頃は十代半ばに見えるだろうか? その腰にはリボルバー拳銃を装備しており、純白の司祭服を身に着けた少年である。

 その瞳は緑であるが――、そもそも開いているのかいないのかという、俗に言う【糸目】のそこそこの容貌の美少年であった。


「ああ……、あと少しで目的地だ。偽名の準備はいいか?」

「わかってるよ【ブリッツ兄さん】……、僕の名前はステン――だったよね?」

「そうだな……」


 その少年――ステンの言葉にブリッツは楽しそうに笑顔を向けた。

 彼の本来の名はシュテファン・ユルゲンス公爵。ブリッツの腹違いの弟である。


「しかし……、突然だな。お前が俺の護衛役を買って出るなんて」

「はは――、そもそも兄さんには護衛なんて必要ない……、っていうか逆に足手まといだけだろうし。場合によって魔導を扱える僕のほうが役に立つでしょ?」

「まあ、そうだな――。ただの視察にエレインたちを連れて行くわけにもいかんし」


 その言葉にステンはやれやれといった表情で笑った。


「ほんと兄さんって――、エレイン義姉さん達と仲が良いね。なんか妬けるな」

「は――、何を言ってるんだ? 俺はお前も好きだぞ!」

「ふふ……ありがと兄さん」


 嬉しそうにステンは笑う。――しかし、ふと真面目な表情になって言った。


「――兄さん。それで【あの話】は――」

「ああ……わかってる。もうそろそろだろうな」

「それじゃあ――、準備しないと」


 そう言ってステンは自身の懐から小さな短杖を取り出した。


「其は闇を払い魔を誅す――、世界を統べる魔源の王也」


 ステンの魔導は効果を発揮し、自身とブリッツのその身が一瞬輝いた。

 それからしばらく街道を進んだ時――、街道の両側の草原が動いて、漆黒の外套を纏った集団が躍り出てくる。その数は100人にも及んだ。


「始まったか――」


 静かにステンがつぶやく。ブリッツは黙って手甲を打ち鳴らした。


「――」


 外套の連中の前衛がその手に持った拳銃をブリッツへと向ける。そして――、


 ドンドン……!!


 無数の発砲音が街道に響いたのである。


「――なに?!」


 その後のことに驚きの表情を浮かべるのは襲撃者の方であった。全ての銃弾がブリッツたちを避けるように飛んだからである。


「魔導――だと?! クソ――、抜刀して殺せ!!」


 その言葉に剣を抜く襲撃者達。それを見てブリッツはステンへと声をかけた。


「お前は下がってろ――、一人でやる」

「うん――わかった。僕は兄さんほど強くないし。それに――」


 ステンは楽しそうに懐から記憶の魔石を取り出す。それを手に再び呪文を唱えた。


「其は闇を払い魔を誅す――、世界を統べる魔源の王也」


 その瞬間、記憶の魔石が力を発揮して状況の記録を始める。


(――ふふ、兄さんの大活躍! この目で見られるのは稀だし――。いつでも見れるように録画しておかないと)


 そう言って怪しく微笑む弟を尻目にブリッツは素早く襲撃者の集団へ向けて奔ったのである。

 ――次の瞬間、十数人の襲撃者が宙を舞う。その拳の一撃一撃が、その襲撃者のみを木の葉のように空へと吹き飛ばしていった。


「く――、これは……身体強化魔法か?! 皇帝がコレほどの力を持つとは聞いていない」


 そう叫ぶ襲撃者にステンが心のなかで突っ込む。


(はは――兄さんがそんなモノ使うはずないだろ? もし使ってたとしたら――、君たちは一息の時間もなく全滅だよ)


 そう心のなかで笑うステンを無視して、襲撃者達もまた呪文を唱え始める。


「我統べるは魔源の脈動――」


 その瞬間、空中に無数の電光球が現れてブリッツへ向けて飛翔した。


「は――」


 ブリッツはすぐにそれを理解して、その手甲の撃鉄を引いたのである。


 ガキン!


 その拳で敵を打撃した瞬間、ブリッツを中心とした周囲に力場が放たれる。そのまま周囲の襲撃者ごと電光球を消し飛ばしたのである。

 襲撃者たちは悲鳴を上げて宙を舞う。その瞬間には襲撃者たちで動けるものは半数を下回っていた。その状況にさすがの襲撃者達も恐怖の表情を浮かべ始めた。


「悪いな――、このままお前らを逃がわけにはいかん。お前らの背後にいるものを調べねばならんからな」


 その言葉に襲撃者たちは後退る。そうこれは――、


(――残念だったね。兄さんは【このための囮】だよ――。まさか皇帝本人が囮役をするなんて思わなかったろうけど)


 ステンは笑顔を消して心のなかで想う。

 そう今回の一件は反乱分子を一網打尽にする策略の一つであったのだ。


 ――ブリッツが一人残らず殴り倒すさまを見てステンはうっとりとした表情をする。


(さすがは兄さん――、この数を一網打尽……、僕の魔法は必要なかったかもだけど。少なくとも兄さんの活躍を見れただけで僕は最高の気分だ)


 ステンにとってブリッツ――、ブリードヘルムは信仰の対象であった。そう――尊敬ではなく信仰……。

 かつては命を狙った相手だが……、それを暴かれ返り討ちにあってからは、もはや彼にとって兄は全てだと言えた。

 一人残らず打ち倒したブリッツがステンの方を向いて笑う。


「おう――、そっちは無事か?」

「うん大丈夫だよ兄さん――。僕なんかの事を気にしてくれてありがとう」

「は――、お前は俺の大事な弟だろ?」


 その言葉を聞いて――、ステンはそれまでにない笑顔を大好きな兄に向けたのであった。



◇◆◇



 貧民街のとある酒場で金髪碧眼の美丈夫が酒を飲んでいた。その反対側にいるのはブリッツである。


「ご苦労様――兄貴」

「ふん……別に」


 ブリッツの言葉にその男――、ゴットフリート公爵は小さく笑った。


「いや……、兄貴が手引してくれたお陰で、反政府勢力の全容の一部を捉えることが出来たよ」

「ふん――」


 その言葉に黙って酒を煽るゴットフリート。


「まさか――、お互い憎み合っているはずの二人が、こうして酒を酌み交わす間柄なんて、普通はわからんだろうからな」

「……」


 ゴットフリートは黙ってブリッツを見る。


「兄貴の言いたいことはわかるよ。なんでみんな俺等のことを憎み合ってるように見るのか――だろ?」

「うむ」

「兄貴はあの人の息子だからね……」


 ブリッツとゴットフリートはかつてを思い出す。

 ゴットフリートの母親は、かつてブリッツが幼かった頃に彼の暗殺を企てたのである。そのまま逮捕されて彼女は幽閉され――後宮の記録からも名前が抹消された。

 全ては息子・ゴットフリートを皇帝にするために――。


 しかし――、


(ああ――母上……、なぜ私の心を理解してはくださらなかったのか。私は幼い弟――、ブリードヘルムに皇帝の器を見出した瞬間に、彼の手足となって帝国を守る決意をしたのに……)


 それはまさに子の心親知らず――、彼は心から皇帝たる弟に忠誠を誓っていたのだ。


「――ブリッツ……。俺の母の助命を願ってくれたこと――今でも感謝している」

「む……、それは何ていうか、彼女の気持ちも……わかったからね。俺は皇帝の器じゃないって……」

「ふふ――」


 不意にゴットフリートは小さく笑った。それを見てブリッツは驚きの表情を兄に向ける。


(――皇帝の器……、お前にないと言うなら、俺にはかけらも存在しない――という話だ)


 ゴッドフリートはそう心のなかで想いながら笑い続ける。


 後の歴史書に――、帝国の安寧を支えた三兄弟と記される者たち――、長兄・ゴットフリート、次男・ブリードヘルム、末弟・シュテファンは、今日も帝国の闇を晴らすために力を尽くしていたのである。

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