閑話 華宮キリカの複雑な心境
“もしそういうことをするような関係になったなら”
“ちゃんと、コレを使いなさい”
自室に同居人がやって来ることを知らされた、直後のことだった。
香坂カエデが、避妊具を手渡してきたのは。
“冗談にしたって、タチが悪すぎでしょ……”
思わず敬語を忘れてしまうほどに、キリカはカエデの言動に否定的な感情を抱いていた。
男子への免疫があるかと言われたなら……正直、答えに窮するところではある。
しかし、そんな簡単に気を許すはずがないし、肉体関係を結ぶだなんて、想像も出来ない。
そうした考えを見抜いたのか。
カエデは次の言葉を投げてきた。
“断言する”
“あんたは、あいつに一目惚れするわ”
“何せ……色んな意味で、あんたにとっちゃドストライクな奴だから、ね”
ありえない。
そんなふうに思いながらも、キリカはカエデが差し出したそれを、受け取りはした。
その理由は未来への備え、というわけではなく。
尊敬する人物が手渡してきたものだから仕方がないという、諦観によるものだった。
“……香坂先生でなければ、引っぱたいてるところですよ”
渋い顔をしつつ、キリカはこう思った。
こんなものを使う瞬間が訪れることは、決してないだろう、と。
そして実際。
カエデに渡されたモノを、キリカが使うことは、永遠にない。
なぜならば……
今まさに、アルヴァートがアスカを相手に、使っているからだ。
「ホ、ホントに……シちゃってるのよ、ね……」
廊下と保健室を隔てる、ドアの前にて。
キリカはアルヴァートの言いつけを守りつつ……
室内から漏れ出てくる、淫靡な音色に、耳を傾けていた。
「~~~~っ♥」
まるでオットセイの鳴き声のようなそれは、アスカの嬌声であろう。
そんな彼女の下品な喘ぎ声に混ざる形で……
パンッ! パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!
と、こんな音が継続している。
何も知らぬ者が耳にしたなら、誰かが一定のリズムで拍手をしている姿を連想するのだろうが……
実態を知るキリカからしてみれば、この音色は二人の行為を示すもので。
だからこそ。
「……先生の、言う通りになっちゃった、な」
キリカの心境は、実に複雑なものだった。
二人がそういうことをする。
それを理解した瞬間……キリカの中には、強い嫉妬心と焦燥感が芽生えていた。
このままではアスカに彼を取られてしまうのではないか。
そんなふうに感じつつも……止めることは、出来なかった。
行為を容認しなければ、アスカの身が危ういということは、なんとなく理解している。
ゆえにこそ、キリカはこうして、身を引いているのだ。
こんなところで、彼女に斃れてもらいたくないから。
キリカにとって、アスカは打倒すべきライバルであると同時に、憧れの存在でもある。
だから、その危機を救うということ自体は、大賛成、なのだけど。
「よりにも、よって……その方法が、なんで……セ、セセセセ、セッ、ク……!」
最後の一文字を、羞恥心によって掻き消した、その直後。
「~~~~っ♥」
一際大きな嬌声と共に、「バチュンッ!」と強い音が鳴り響く。
まるでフィニッシュを決めたかのようなその音を境に、室内から漏れ出てくるそれが、消失へと至った。
「お、終わったの、かな……?」
であれば、ドアを開けてもよいだろうか。
その後は……
と、そんなことを考えた、次の瞬間。
「……なんで、ドアの前に突っ立ってんの?」
声を掛けてきた者が、一人。
それは、香坂カエデであった。
「こ、香坂、先生」
なんともタイミングが悪いときに来たな、と、そんなことを思いつつ、相手方へ目をやる。
戦闘を終えた彼女は、纏装状態からスーツ姿へと戻っていて。
それ自体には、特に何も、思うところはなかったのだが。
「な、なんか、すごくお疲れのよう、ですけど」
純白の肌に、じんわりと汗が浮かび上がっている。
灼熱を連想させる紅い髪は、少しばかり乱れていて。
よく観察してみると……
スカートから覗く太股が、小さく痙攣しているのがわかった。
「……やっぱり、強いん、ですね。あいつら」
キリカからすれば、カエデの様子はつい先程まで行われていた激戦を物語る、何よりの証として映っていたのだが。
「えっ? あ、うん、そう、ね。さ、さすがに幹部二人が相手となると、あたしでもまぁ、ちょっとは苦戦するっていうか」
なぜだか歯切れが悪い。
そんなカエデに対して、何かあったのかと、問う前に。
「……で、さっきの質問だけど。あんた、なんでドアの前で立ってんの? 二人は?」
「え、えっと、その」
どう答えればいいのか、すぐには出てこなかった。
ゆえにキリカは、それを当人達に任せようと、そのように考えたのだが……
「じゅ……ぞぞ……ぶ……じゅ……」
ドアの向こう側から。
新たに、音が漏れ始めたことによって。
キリカは、自らの考えを訂正せざるを得なくなった。
「……なんか、音が鳴ってない?」
「えぇっ!? あ、あたしには、聞こえませんけどっ!?」
「いや、間違いなく鳴ってるわよ。何かしら、これ。まるで蕎麦でも啜ってるような……」
カエデが呟く、その最中。
音の強さと勢いが、秒を刻む毎に増していく。
「ぶっ……じゅ……ぞぞぞ……」
カエデが述べたように、まるで蕎麦でも啜っているかのような音色。
それを耳にしながら、キリカは思う。
あいつら、続行するつもりか、と。
「……保健室で、なんかやってんの?」
「えぇっ!? な、ななな、なにも、してませんけどっ!?」
もし現場を見られたなら、どのような反応が返ってくるのか、まったくわからない。
自分が必死に幹部達と戦っている間、不純異性交遊に耽っていた、と。
そのような真実に対して、カエデがどう思うのか。
最悪、ブチギレもありうる。
ゆえにこそキリカは、なんとか彼女を追い払うべく、頭を働かせ始めたのだが。
「んきゅううううううううううううっ♥」
一瞬にして、思惑は瓦解することとなった。
激烈な嬌声が轟いてから、すぐ。
バチュンッ! バチュンッ! バチュンッ!
猛然と響き始めたその音色を耳にして、キリカは諦観を抱く。
終わった。
完全に、終わった。
もはや言い訳のしようもない。
カエデは間違いなく、室内で展開されているそれに気付いただろう。
「ふぅ~ん……」
カエデの目は、完全に据わりきっていた。
これはもう、最悪の未来、確定か。
と、キリカが諦観を抱いた、次の瞬間。
「……あっちもこっちも、ほんっと、お盛んだわね」
深々と溜息を吐くカエデ。
なぜだろう。
その頬が、僅かではあるのだが……紅くなっている。
「さっきあんだけ……いや、あっちとこっちは違うか……」
意図の読めぬ言葉を呟いた後。
カエデはキリカにジトッとした目を向けて。
「ちゃんと、ゴムは着けてるんでしょうね?」
「は、はい」
「なら……あたしから言うべきことは、何もない」
踵を返し、背中を向けながら、カエデは次の言葉を紡いだ。
「しばらく、保健室には誰も近付かないようにしとくから」
「あ、はい。ありがとう、ございます」
「それと…………別に、我慢する必要も、ないんじゃないの?」
「えっ?」
「混ざりたいなら好きにすればってこと。……じゃ、あたしもう行くから」
言うだけ言って、去って行く。
そんなカエデの後ろ姿に、キリカは様々な思いを巡らせたが……
はたと気付く。
タイトな黒スーツのスカート。
そこから覗く、むっちりとした太股に……白い液体が、伝っていることを。
「はぁ。ゴム着けてるだけ、こっちの方がマシって感じだわね」
やはり意図が読めぬ、カエデの呟き。
さりとて。
そこに意識が持って行かれたのは、一瞬の出来事でしかなく。
「……あぁもうっ! いつまでヤるつもりよっ!」
我慢する必要もない。
そんなカエデの言葉を胸に抱きながら。
キリカは淫らな調べが響く保健室の内側へと、入り込んでいくのだった。
~~~~あとがき~~~~
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