第七八話 一流止まりの悪人
リスクをいかに正しく認識出来るか。
俺とアルヴァートに差異があるとしたなら、そこがもっとも大きな要素であろう。
まず以て、俺は前提条件の設定を、一つに絞ってなどいなかった。
そう。
この段階においてエリーが裏切るというシナリオもまた、前提の一つとして捉えていたのだ。
無論、俺は彼女のことを信じ切っている。
だがそれは、リスク管理を怠ってもよいという理由にはならない。
ゆえに俺は頭を働かせ、アルヴァートの立場でモノを考えつつ、エリーが裏切るという最悪なシナリオを想定し……
今、それが見事にハマった形となっている。
「誓った内容を反故にした瞬間、発動者は命を失う。それが誓約の魔法というものだが……アルヴァート、君は当然、そこに対するリスクは正確に認識していたのだろう」
エリーに掛けられた幻覚催眠。
それを巧妙かつ迂遠な形で行ったのは……この段階において、彼女の自害を防ぐためだ。
「誓約の魔法は、発動者の行動を強制するものではない。よって君はミス・エリーの自己意思を、このタイミングで奪う必要があった。さもなくば……彼女は君の命令を拒絶し、自らの命を絶っていただろう」
それを防ぐためには、彼女が裏で操られているということを、こちらに悟られぬよう工夫しなくてはならない。
もし幻覚催眠を仕掛けていることが露見したなら、適応の異能で以て、その効力を無効化されてしまうからだ。
「とはいえ。極めて厄介なことに、誓約の魔法は既に発動済みとなっていた。よって幻覚催眠を解除したところで、ミス・エリーが危機に陥っているという事実には変わりがなく……だからこそ君は、心に余裕を持ち続けることが出来たというわけだ」
アルヴァートはきっと、自らの策を自賛していたに違いない。
もし俺が気付くことなく、状況を進めていけば、その時点で勝利が確定する。
よしんば気付いたとしても、幻覚催眠こそ解除出来るが、誓約の魔法は不可能であるため……最終策を、実行出来なくなる。
そうなった場合。
「最後の決戦で敗れた後、君の精神は管理者のもとへ向かい、なんらかの交渉を経て……現世へと復活していただろうな」
クラウスの中に宿っていた彼と同じ結末、ではあるが。
アルヴァートの潜在的なリスクは、彼を大きく上回っている。
だからこそ、もしそんな結末を迎えてしまった場合、この一件はある意味で俺の敗北ということになるのだ。
「ミス・エリーに幻覚催眠を仕掛け、誓約の魔法を発動させた時点で、どのように転んでも自分に大きな損害が発生することはなくなった、と。君はそんなふうに考えたのだろうが、しかし」
見積もりが甘いと、そう言わざるを得ない。
「君はその時点で、リスク管理に対する意識を失った。もう自分は安全だと、そんなふうに思い込んだ結果……大きな誤算が生まれたというわけだ」
まず以て。
アルヴァートは誓約の魔法による効果を、正しく認識してはいなかった。
「誓約の魔法というのは実に融通が利かないものだ。誓わせた内容を一言一句なぞらえない限り、それは誓約の反故ということにはならない」
ひるがえって。
奴がエリーに誓わせた内容を再確認してみよう。
「自らの言葉と同時に、俺を消し去る、と。君はそのように誓わせた。つまりそれは……君の口から発声された特定言語を耳にした瞬間、その通りにしなくてはならないという誓約として、締結されることになる」
だからこそ。
「ここはセシリアの精神世界。ゆえに彼女の意思で以て、空間内の設定を弄ることが可能となっている」
そうした性質を利用し……
今、この空間内にて発生した音は、全てが遮断された状態にある。
よってアルヴァートが何を叫ぼうとも、エリーの耳には入らない。
それは、つまり。
「現時点において、誓約の魔法は実質的に、無力化されている」
だがしかし。
アルヴァートが俺を消すための手段はまだ、残されていた。
誓約云々など関係なく、幻覚催眠でエリーを操ってしまえばいい。
……さりとて。
それを封じるのは、実に簡単なことだ。
奴がエリーへ意識を向けると同時に。
俺は彼女へ近付いて。
その唇を、奪った。
「…………」
無音の空間内にて、舌を絡ませ合う。
当然ながら、それは発情したからではない。
適応の異能は接続状態にある相手にも効力を発揮する。
接続されていると見なされるには、粘膜同士の接触が必須条件。
つまるところ。
ディープ・キスを行っている間は、幻覚催眠が掛けられないということだ。
そうしながら、俺は念話にて、アルヴァートへ次の言葉を投げた。
『記憶の共有がなされているため、君にとっては既知の事実だが……俺は前世にて、金融業に就いていた。客観的に見て、かなり上澄みの場所に属していたのではないかと思う』
金融業界というのはカネを支配する者達の世界だ。
現代社会において、カネは核兵器に匹敵するほどの力として扱われている。
ゆえにこそ。
金融業界のトップとは、社会の頂点に等しい場所であると、断言してもよかろう。
『当時、俺はそこで様々な極悪人を相手に鎬を削っていた。そんな中でも、とびきりの強敵に、こんなことを言われたことがある』
俺はそっくりそのまま。
彼の言葉を、口にした。
『お前もなかなかの悪人だが、しかし現段階においては一流止まりだ』
『自己中心的になりすぎていて、味方が居ない』
『表面的には大勢の人間に囲まれてはいるが……彼等はお前に心酔しているわけじゃない』
『だからこそ、なんらかのきっかけですぐに離れてしまう』
『超一流の悪人とは、自らの自己中心的な本質を見せることなく』
『その人間力で以て、大量の味方を得ているものだ』
『だからこそ、悪でありながらも人生を謳歌出来る』
『味方の居ない一流止まりのお前は、どこかで人生の破綻を迎えるだろう』
『世に悪の栄えた試しなし、と。そんな言葉の通りに』
結果として。
俺は、彼の言う通りになった。
どこまでいっても一流止まりの悪人。
だからこそ。
『かつての俺と同じく……君は今、人生の破綻を迎えたのだ』
『一流止まりの悪人であったがゆえに』
俺には今、多くの味方が居る。
それを思えば……俺は超一流の悪人になったと、そういうことになるのだろう。
しかして。
奴の周りには、誰も居ない。
『哀れだな、アルヴァート・ゼスフィリア』
刹那、奴が念話を飛ばしてくる。
『ま、待て……! 待ってくれ……!』
状況の不利を悟ったか。
命乞いを始めようとするが、しかし。
次の言葉が出てこない。
クラウスの中に宿っていた彼ですら、なけなしの交渉材料があった。
けれども、アルヴァートには何もない。
それも無理からぬことだろう。
奴は何一つとして、築き上げてはいないのだから。
『危機に陥ったとき、人はその生き様に応じた結末を迎えることとなる。積み重ねたものが善であれ、悪であれ、多くの者にとって当人が価値ある存在とみなされたなら、危機を脱することが出来るだろう。だが……』
多くの者にとって価値のない存在とみなされたなら。
そのときは。
『アルヴァート・ゼスフィリア。君と直接的な関係を持ったのは、俺とミス・エリー、そしてアルト・リステリア、セオドア・オーガスの四名となる。現在、君の存在価値に言及出来るのは、俺とミス・エリーの二人だが……』
ここに至り、俺はエリーへと意識を向けた。
無音の世界の中、こちらと舌を絡ませ合う彼女の瞳は、愛と肉欲によって蕩けている。
そんな彼女へ、俺は次の問いを投げた。
『ミス・エリー。貴女は彼に、なんらかの価値を感じていますか?』
今のアルヴァートと、彼女が知るアルヴァートは、実質的には別人である。
だが本質的な意味では同一人物であるため……
未来世界のアルヴァートが積み重ねたモノは、エリーの目線で見れば、今のアルヴァートのそれと同じモノいうことになるだろう。
果たして。
彼女は今、アルヴァート・ゼスフィリアという男に、どのような価値を見出しているのか。
それは。
『かつてのわたしにとって、ご主人様は最高の男だった』
『この人以上に、わたしを幸せにしてくれるような存在はない』
『わたしは心の底から、そう捉えていたのだが……』
『今にして思えば、実に愚かな思想だったと、そう思っている』
一連の念話は、アルヴァートにも送られていたのだろう。
『ッ……!』
ビクリと全身を震わせた彼を、しかし、エリーは一瞥すらせず、
『ご主人様……いや、もはやそう呼ぶことすら不快だな』
『アルヴァート・ゼスフィリア。奴に対して心酔していたのは、結局のところ』
『幻覚催眠の異能によるところが大きい』
『だがそれは……婚約の儀を行った際、旦那様と唇を交えたことで、消え失せている』
どうやら当時、適応の異能が無自覚に働いていたようだ。
その結果、エリーはアルヴァートに対して、フラットな目線で見ることが可能となり、
『自己中心を極めた、あまりにも歪な人格』
『異性をメス豚と呼び、性欲処理の道具としか捉えない、下劣な品性』
『……幻覚催眠を掛けられていたとはいえ』
『こんな異常者を愛していたと思うと、吐き気が込み上げてくる』
そしてエリーは。
これまでの情念を上書きするように。
一層激しく、こちらを求めながら。
『アルヴァート・ゼスフィリア。かつて主人と呼んだ異常者よ』
『旦那様はな、お前如きとは比較にならぬほど、魅力的な御仁だ』
『人格的にも、能力的にも、お前など足下にすら及んでいない』
『そして…………こっちの方も♥』
言うや否や。
彼女のしなやかな指が、そこへと伸びて。
『旦那様とは、人間的にも、肉体的にも、相性抜群であろう……♥』
『ゆえにわたしとしては、この下らぬ一件をさっさと終わらせて』
『旦那様にたっぷりと、ご褒美をいただきたい……♥』
強い期待感。
躍動する彼女の指先から、それがひしひしと伝わってくる。
そして次の瞬間。
エリーは、結論を出した。
『長くなったが……』
『わたしはあんな異常者など、さっさと消すべきだと、そう考えている』
アルヴァートからしれみれば、あまりにも残酷な言い様であろうが、しかし。
俺からしてみると。
『確かに哀れだが……自業自得だな』
己の内側に宿るもう一人の自分。
それは数多のフィクションに登場する、定番な設定であろう。
中には最終的に、協力関係を築くといった結末もある。
だが、しかし。
『邪悪な欲望と野心で以て、こちらを害そうとした君に、情状酌量の余地などない』
もし、俺が善良な人間だったなら、アルヴァートを許していたのかもしれない。
何せ彼は未成年で、実質的には、社会生活を営んですらいないのだ。
法や倫理に則って考えれば、更生を期待するべき存在であろう。
だが――
あいにく、俺は超一流の悪人である。
法や倫理など知ったことではない。
リスクは淡々と排除。
それが、
『ミス・エリーと同様に』
『こちらもまた、君にはなんの価値も感じてはいない』
『ゆえに――』
次の瞬間。
俺は奴へ、最後の言葉を放った。
『アルヴァート・ゼスフィリア』
『君をこの世界から永久に、追放させてもらう』
言うと同時に。
エリーがこちらの意を汲んだらしい。
ゆっくりと、アルヴァートの全身が薄れていく。
『――――――』
何事かを叫んでいるのだろうが、今や念話すらも遮断しているため、奴の意思が伝わることはない。
もはや奴の声など、鬱陶しい雑音でしかなかった。
今はそんなものにかかずらうことなく……
エリーとのディープ・キスを楽しみたいと、そう考えている。
『――――』
『――』
『―
『
かくして。
我々の将来を暗黒へ落とそうとした、不愉快なリスクは、今。
自分の女だと思い込んでいたそれを、目の前で奪われながら。
――綺麗さっぱりと、消え失せた、
~~~~あとがき~~~~
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