第七六話 その結末に、救いは――
最後の策が実行に移されたと同時に。
アルヴァート・ゼスフィリアは純粋な肉体のみの状態となり……
地面へと倒れ込んでいく。
「おっと、危ない」
すぐ隣に居たセシルが彼の体を支え、それからゆっくりと寝かせていく。
そんな彼女のもとへリンスレットが合流し、
「今回の一件も、これで終わりってとこかしら」
「えぇ。後は、アルヴァート君が別人格を消し去れば」
「全て解決ってことになるんだろうけど……」
呟きつつ、リンスレットは地面に横たわる彼へと目をやった。
今、彼の精神はセシリアの内側へと移動している。
最後の策によって、別人格を末梢するために。
「……ま、不安に思うようなことはない、か」
彼の策は完璧だ。
失敗する要因がここまで見当たらないというのも珍しい。
ゆえにリンスレットは、アルヴァートに関する要素の全てを楽観視しつつ、
「残ってんのは……ちょっとした汚れ仕事ってとこかしら」
「えぇ。心苦しいところでは、ありますが」
二人同時に、沈黙する邪神の巨体へと目をやる。
現在、その肉体に宿っているのはアルト・リステリア、ただ一人。
彼の人格を思えば、大きな問題を起こすことはまずないと断言出来るが、しかし。
「邪神という存在そのものが、後顧の憂いになるってことも考えられる。……ま、あたしはそっちの方が楽しいけどね」
とはいえ。
彼が頭を下げて頼んだことだ。
であれば、仕方がない。
「……最後に、確認しておこうかしら」
リンスレットは邪神の巨体に向かって、声を放つ。
「このまま消えちゃってもいいと、本当に、そう思ってんのよね?」
次の瞬間。
アルトが念話にて、自らの意思を伝えてきた。
『アルヴァートの判断は正しい』
『こいつの内側に居ることで、その考えはことさら強くなった』
『今は俺の意思でコントロール出来てはいるが……』
『しかしどこか、奇妙な感覚がある』
アルトは言った。
おそらく無意識の領域が、邪神に侵食されつつあるのだろう、と。
もしそれが進みきったなら。
『俺は君達に、弓引く存在となるだろう』
『だからこそ』
『迷うことなく、消し去ってくれ』
このように言われたなら、もはやすべきことは一つしかない。
「はぁ……仕事を任されたのがあたし等でよかったわね、マジで」
「えぇ。少なくともボクは、こういうことに慣れてますから」
両者共に、後味の悪い仕事への耐性がある。
これがエリーゼやクラリスだったなら、長い時間、引き摺ることになるのだろうが……
二人が負うダメージは、短期間で癒えるだろう。
「あたし達に出来ることは」
「せめて、苦しまないよう、一瞬で」
リンスレットとセシル。
無敵の存在と、それさえ超越した絶対者。
二人による合わせ技により――
次の瞬間。
巨大な光の柱が、邪神の全身を飲み込んだ。
アルトの意思によって、完全な無防備となっていたその肉体は、瞬く間に崩壊し……
この世界から、消失した。
◇◆◇
邪神の内側。
闇色の精神世界にて。
アルトは激しい苦痛を味わいながら、ボソリと呟いた。
「人は死に際において、時間が無限の如く引き延ばされると言うが……どうやら、偽りではなかったようだな」
直面した死を回避するための策。
それを見出すために用意されたであろう、延長時間。
その結果として――
リンスレットとセシルの配慮は、逆効果となっていた。
が、アルトからしてみれば。
「我が身に与えるべき罰としては、これでもまだ生温い」
じわじわと全身が灼かれていくその苦痛は、確かに気が狂うほどのストレスだが……
「彼女が受けた痛みに、比べたなら」
……やめよう。
彼女のことは、もはや脳裏に浮かべることさえ、許されるものではない。
だからアルトは。
彼へ、想いを馳せた。
「……アルヴァート」
彼女の救い主となった少年。
その姿を思い浮かべながら、アルトは呟いた。
「そういえば……彼に迷惑を掛けてしまったことを、謝罪していなかったな」
フールマンとして傍若無人な振る舞いをしたことに対し、頭を下げるべきだったと、今さらながらに後悔する。
「……彼ならば、俺のようなミスを犯すようなことも、ないのだろう」
だからこそ断言出来る。
彼女のことは、アルヴァートに任せれば問題はない、と。
「彼女を頼む……今まで不幸だったぶん、これからは……」
そろそろ、終わりが見えてきた。
激しい痛みが緩やかに、消えていく。
これが終わったなら、次は。
「地獄にて、セオドアの苦悶を、嘲笑ってやろうか……」
もはやそれ以外のことなど、望むべくもない。
頭では、そのように理解している。
だが。
心は、今。
「……とことん、弱い人間だったらしいな。アルト・リステリアという男は」
今の際を迎えるにあたって。
無意識のうちに、恐怖を覚えたのだろう。
ゆえにこそ。
彼の脳裏に、エレノアの姿がよぎった。
「……その資格はないと理解しながらも、未だ以て」
愛する彼女の隣に立ちたいと、そんな思いを抱いてしまう。
それは未練となり……
だからか。
消えゆく彼の脳内が、エレノアとの思い出で、埋め尽くされていく。
「……この世界にて、最後に与えられる罰としては、実に適格なもの、だな」
肉体がどれほど痛もうと、どうだっていい。
だが、これは。
心の痛みは。
あまりにも、辛い。
「なぜ、俺は」
自問の言葉を口にする、その最中。
アルトは、目を見開いた。
「っ……!」
すぐ目前にて。
自らを灼く光の中。
さらに力強い煌めきが、生じたかと思えば……
次の瞬間。
「アルくん」
その煌めきは、愛する少女の姿となって。
穏やかな微笑を、向けながら。
「――独りになんて、させないよ」
アルトは思う。
きっとこれは幻影でしかないのだと。
弱い自分の心が見せた、最後の幻。
だが、それでも。
「エレナっ……!」
もう抱き締める腕など、残ってはいない。
そもそも、そんなふうにする資格もない。
だが、それでもアルトは、彼女のもとへ向かい、
残っている体を、愛する者のそれへと寄せながら、
「神に、感謝せねば、な……」
たとえ幻想だったとしても。
この世界で最後に見たものが、彼女の姿だったということは。
アルトにとって、何よりの救いだった。
「エレナ……」
そして彼は。
自らの結末を受け入れた、主人公は。
愛するヒロインへ、最後の言葉を、贈る。
「……君と出会えて、本当によかった」
人生の末路がいかに悲惨であろうとも。
人生の終わり際に、どれほどの苦悶と罪を重ねても。
そこに至るまでの過程は。
エレノアと過ごした日々は。
黄金のように美しく、煌めいている。
そんな思い出と共に、アルトはこの世界という名の舞台から――
退場する、直前。
「幻なんかじゃ、ないよ」
アルトの体を抱き締めながら、エレノアは自らの存在を、次のように定義する。
「残ってたんだよ。ほんの、少しだけ。アル君と過ごした、あたしが」
極めて希薄な存在。
今のエレノアの中に残存するそれが、邪神への接続路を経て……
この場に、やって来たのだと。
……それが事実であるか否かは、もはやどうだってよかった。
「向かう先が地獄でも、かまわない。あたしはアルくんの傍に、居たいから」
聞きたかった言葉を耳にしながら。
そんな資格はないと、そう考えつつも。
アルトは。
「あ……が……う……」
もはや発声すら出来なかったが、しかし。
その言葉は、これから向かう先で口にすればいいか、と。
そんなふうに、思いながら。
煌めく光の中。
愛する者と共に、舞台から、去って行った――
~~~~あとがき~~~~
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