第七五話 よくも、やってくれたな


 脳裏にある少年の姿を浮かべながら。

 アルヴァートは、吐き捨てるように呟いた。


「精神世界においては……空間の支配者が誰かによって、戦況が大きく変わる……!」


 思い起こされるのは、クラウス・カスケードの存在。

 彼との最終決戦もまた、セシリアの精神世界での出来事だった。


 当時は偽物である彼がセシリアに幻覚催眠を施すことで、空間の支配権を奪い、勝利を収めていたのだが。


 現状を、それに当てはめたなら。


「今……支配者は、あいつってことになる……!」


 手元に存在する情報が、アルヴァートの脳内にて繋がっていき……結論を導き出した。


「ここは邪神の精神世界……! だから、俺達が支配者となっていて当然だと……そんなふうに、思い込んでいた……!」


 もし、邪神に明確な自己意思があって、アルヴァートとセオドアの勝利を目的としていたのなら、支配権は永続的に、両者へと付与されていただろう。


 だが実際は。

 今の邪神に、自己意思などない。


 女神との一戦において、それは消去されたか、あるいは未だ眠り続けたままなのか。

 いずれにせよ、この精神世界は彼我にとって平等な状態となっている。


 ゆえにこそ。


「精神的な強弱によって、支配権が移り変わる……!」


 状況証拠からして、それは確実であろう。

 アルトの想いは自分達のそれを遙かに上回っている。


 認めたくはないが……

 自分達の野心や狂気は、彼の愛に敗れ去ったのだ。


「ぐぅああああああああッ!?」


 目前にて。

 両足を抉られ、倒れ伏せるセオドアの姿を目にしたことにより。

 アルヴァートは現状の不利を確信した。


「……支配権の奪還は、不可能と見るべき、か」


 このまま進行したなら、セオドアだけでなく自分まで消される。

 であれば。

 アルトの意識がセオドアへと向いている、今のうちに。


「ここで負けても……最終策で勝てば、なんの問題もねぇ……!」


 アルヴァートは自らの意思で、邪神の内側から離脱することを選んだ。


 刹那。

 彼の姿がその場より消失し……


 残っているのは。

 空間の支配者たるアルト・リステリアと、倒れ付したセオドアのみとなった。


「く、うッ……!」


 地面を虫ケラのように這いながらも、苦し紛れに魔法を繰り出さんとするセオドア。

 しかし。


「ッ……!?」


 魔法の行使が、出来ない。

 もはや支配権は完全にアルトへと移っており、ゆえに彼の意に反することは、不可能となっていた。


「……セオドア・オーガス」


 アルトは宿敵の名を呟いてから。

 火属性の魔法で以て、セオドアの両腕を灼く。


「ぎぃああああああああああッッ!?」


 じわりじわりと腕が灼かれていく、その苦痛は、筆舌に尽くしものだった。

 跳ね回る魚のような有様を晒すセオドアへ、アルトは冷然とした眼差しを向けながら


「手を下したのは、俺だ。彼女を傷付け、痛めつけた罪は……その半分が、俺のものだ。しかし……それでもあえて、言わせてもらおう」


 そして。

 アルトは積み重なった憎悪を吐き出すように。

 次の言葉を、放った。


「よくも、やってくれたな……!」


 これから行うことの善悪など、もはやどうだってよかった。

 エレノアへの真っ白な想いを経て、今。

 アルトの心は、ドス黒い情念に染め尽くされている。


「ぐぅ、おぉ……! ま、待て……! 私は」


「地獄へ堕ちる前に、せいぜい苦しんでもらおうか」


 もっとも。

 エレノアが受けてきた苦痛を思えば、どのような責め苦を与えても生温い、

 だが、それでも。


「ぎぃああああああああああああああああッ!?」


 この邪悪な老爺に、報復をせずにはいられなかった。

 胴体のみを残したセオドアに、あらんかぎりの悪意と憎悪を叩き付けるアルト。

 そして。

 体のほとんどを失い、首だけとなったセオドアは、


「あが、が、が……」


 あまりの苦痛に精神が異常を来したか。

 もはやどのような行為に及んだところで、意味はなかろう。


「……これで終わりだと思うなよ、セオドア」


 続きは地獄にて。

 自分と共に、永劫の苦痛を享受するのだと。

 アルトはそう口にしながら。

 セオドアの頭を、緩やかに、時間をかけて――

 踏み潰した。


「……後は、彼次第、だな」


 この場より消え失せたアルヴァート。

 明らかに何か、企んでいるようだったが、しかし。

 もはや自分に出来ることはない。


「……君の道が、まだ続くことを祈る」


 瞼を閉じながら、アルトは彼の勝利を願うのだった。



   ◇◆◇



 最後の賭け。

 それは邪神の精神世界が、彼我に対して平等な状態であることが、第一の勝利条件となっていた。


 そこからさらに、アルトが敵方の情念を上回り、支配権を奪うことが出来たなら……

 後はもう、消化試合のようなものだ。


 そして今。


「っ……!」


 邪神の肉体から、闇色の球体が飛び出る瞬間を、目にしたことによって。

 俺は勝利を確信する。


『もう一度、そっちに戻らせてもらうぜッ!』


 アルヴァートから送られし念話。

 それが芝居であることを、俺は理解している。


 そして今から実行する最終策を、奴が把握していることも、また。


 しかしそれでも、あえて。

 俺はその策を実行する。


『――セシリア』


 彼女へ念話を送ってからすぐ。


『りょう、かい』


 返事の声が、脳内に響き――

 次の瞬間。



 俺の精神は、彼女の世界へと誘われていた。



 本来であれば。

 セシリアが自らの精神世界へ取り込める人数の限界は、ただ一人。


 だが現在、彼女は魔装具の研究施設にて紹介された、魔族専用の強化腕輪を身に付けており……


 精神世界へ取り込める人数が、増加している。


 ゆえに今。

 この純白の世界に立っているのは。


 俺と、アルヴァート。

 そして――



「とうとう、このときが訪れた、か」



 エリー。

 彼女こそが、此度の一件に幕を引く存在。

 その選択によって――



 俺とアルヴァート、どちらかが、この世から消え失せるのだ。

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