第七四話 最後の賭けに勝ったのは――


 こちら側が仕掛けた大博打。

 その第一陣において、どうやら俺は勝利を収めることが出来たらしい。


 アルトの精神をエレノアの内側に移し……そこから、邪神へと転移する。

 実のところ、この段階で躓いてもおかしくはなかった。


 邪神とエレノアの間にある接続回路。

 これを利用する際に、敵方が厳密な条件設定を可能としていた場合、彼女の精神だけがあちら側に向かい、アルトのそれは取り残されていただろう。


 他にも失敗条件は数多く存在しており……その一方で、成功条件は、ごく少数。

 しかして。


「そのうちの一つを引き当てることが、出来たようだな」


 沈黙する邪神の姿を前に、俺は小さく呟いた。


「こちらからすると、現状は極めて好都合なものだ」


 アルトが邪神の内部に移った後、かの巨体は完全に静止し、未だ動作の兆候は見られない。

 ここから読み取れる情報としては……


 これまで見せてきた邪神の言動の全てが、邪神自体の自己意思によるものではなかったということ。


 全ては内側に宿る二人の精神体によるものであり、邪神そのものは状況に対して一切の介入を行ってはいなかった。


 ……これもまた、実に好都合な内容だ。


 もしも邪神に強い自己意思が存在し、なにがなんでも勝利を収めたいと考えていたのなら。

 きっと、大博打の第二陣は、こちらの敗北で終わっていただろう。


 しかし今。


「希望は十分にある、か」


 静止する巨体を見つめながら、俺は祈る。

 アルトの想いが、勝利をもたらすことを――



   ◇◆◇



 異物の侵入を認識すると同時に、邪神の内側に宿る精神体は念話でのコミュニケーションを取っていた。


『此奴を消し去るまでは、邪神様の動作を停止させ……防護に徹するべきかと』


『あぁ、俺も同意見だ。外部の連中をどうこうする前に……まずはこいつを消すのが最優先、だな』


 邪神には自己意思がなく、自分達の意思で肉体をコントロールしているということを、二人は当然ながら自覚している。


 そして邪神の動作はそれなりの集中を要するため、外部の存在に対する排除行動を取りながら、内部に侵入した敵方を消すといったマルチ・タスクは極めて難しい。


 ゆえに二人は邪神の肉体を静止させ、徹底的な防護を実行。

 これで一時凌ぎは可能であろう。


 リンスレットという意味不明な存在であろうとも、こちらが守りに徹した以上、しばらくは問題ない。


 さりとて。


 わけのわからない現象を起こす彼女のことだ。いずれはこの防護すらも突破して、肉体を消し去ってくるに違いない。


 その瞬間を迎えるまでに……


「奴を消すぞ。いいな?」


「無論にございます、使徒様……!」


 果たして。

 二人分の殺意を受けたアルトは、むしろ意気軒昂となりながら。


「俺の役割はセオドアの消去、だが……もう一人のアルヴァートを消したとて、何も問題はない……!」


 そこは事前に確認済みである。


 ほぼ確実に不可能と言われたが、しかし。

 してはならないというわけでは、ないのなら。


 アルトがすべきことには、何も変わりがない。


「いずれも消し去って……彼女を、守るッ!」


 自らの周囲に魔法陣を顕現させるアルト。

 これに対し、アルヴァートとセオドアもまた、漆黒の空間に幾何学模様を生じさせながら、


「悪ぃけどさぁ。消えてなくなるのは」


「貴様だッ! アルト・リステリアッッ!」


 そして。

 彼我の幾何学模様から、属性魔法が放たれた瞬間。

 誰にとっても最後の一戦になるであろうそれが、開幕する。


「くッ……!」


 立ち上がりはやはり、アルヴァートとセオドア、両者が優位となった。


「今の俺には異能が宿ってねぇ。そこが唯一の不安材料だったが……やっぱ数的有利ってのは、強ぇもんだなぁ?」


 単純な能力でいえば、アルトは敵方を上回っている。

 だがそれは、一対一だった場合の話。

 二人がかりでこられたなら、苦戦は必至であった。


「しかも! どうやらここじゃあ、再生が出来ねぇみたいだなぁ!」


 敵方の攻勢に対し、回避と防御に回ったアルトだが、迫り来る魔法の一部が身を掠め……右上腕部が僅かにえぐれた。


 されど出血は確認出来ず、怪我を負った部位が煌めく断面を見せている。

 これは肉の器を持たぬがゆえの現象であろう。


「ッ……!」


 再び攻撃魔法が身を掠め、今度は大腿の一部が削り取られた。


「その表情から察するに……痛みは感じるのか。であれば」


 既に勝利を確信したか、セオドアは悠然とした佇まいを見せながら、


「このままじわじわと、嬲り殺してくれるわ。せいぜい苦しんでから、貴様独りで地獄へ向かうがよい」


 削られる。

 削られる。

 削られる。


 状況はジリ貧。

 このままでは敗北を喫するだろう。


 しかし。

 アルトの内側には、不安や恐怖など微塵も芽生えてはいなかった。


 今、そこにあるのは、ただ一つ。


「エレナッ……!」


 愛する者への強き想い。

 それは敵方が抱く全ての情念を上回っている。


 アルヴァートの邪な野心と肉欲。

 セオドアのおぞましい狂気。


 黒々とした感情は総じて、真っ白な想いを超えることはなく。

 ゆえに。


 が、アルトに味方し始めた。


「ぬぅッ……!?」


「どうなって、やがる……!?」


 ついさっきまでは一方的な展開、だったのだが。

 両者の攻勢を、アルトは徐々に捌き切れるようになっていき……

 そして。


「ぐぁッ……!?」


 ここに至り。

 セオドアの左腕に属性魔法が直撃する。

 該当部位はその瞬間に消え失せ、そして。


「うおッ!?」


 アルヴァートもまた、脇腹が大きく抉り取られた。


「なん、なのだ……!? この状況は……!?」


 理解が及ばない。

 そんなセオドアに反して、アルヴァートは自らの記憶を頼りに、答えを導き出していた。



「クラウス・カスケードッ……! あいつとの一戦が、再現されてやがんのかッ……!」

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