第七三話 失敗した主人公の末路(後編)


 アルヴァートは言った。


 邪神を追い詰めたなら、その内側に宿る精神体はエレノアを人質にするだろう、と。


 そうなったとき、彼女を守ることが出来るのは。


「エレナの内側に、もう一つの精神が存在していたなら。彼女のそれが邪神の内側へ移動することを防ぎ、そして……敵方をさらに、追い詰めることが出来るかもしれない」


 断言しなかったのは、あくまでも可能性でしかないからだと、アルヴァートはそのように述べた。


「正直に言えば……何もかもが不確定の要素となっている。よってこちらが提案した内容は、博打と呼ぶほかない」


 だが。

 これに打ち勝たぬ限り。

 エレノアを救済することは、出来ないのだと。

 そう口にしたアルヴァートへ、アルトは断言する。


「――勝つしかないのなら、そうするまでだ」


 理屈や道理など、知ったことではない。


 勝つのだ。

 エレノアのために。


 今回こそは、必ず。


「……もし、全てが都合よく進み、決着がついたのなら。君には二つの選択肢が」


「いいや。俺が選ぶべき結末は、一つだけだ」


 アルヴァートが向けた慈悲を、アルトは否定する。


「言っただろう? 救いなど、求めてはいないと」


 邪神の内側に移り、精神体であるセオドアを消したなら、もう片方は肉体から出ていくだろうと、そのようにアルヴァートは言った。


 であれば。

 一人残されたアルトは、どうなるのか。


 そこには確かに、二つの選択肢がある。

 アルヴァートが向けてきた慈悲というのは、即ち、


「精神体をどうこうしたところで、邪神と彼女とを繋ぐ回路が消えるわけじゃない。だから……全てが終わった後、彼女のもとへ戻ればいい、と。君はそう言いたいんだろう?」


 もしそれを選んだなら。

 愛する者の内側で、人生を共にすることが出来る。


 きっとそれはアルトにとっての救いなのだろうが、しかし。

 そうだからこそ、選び取るべきでは、ない。


「誰が許そうとも……俺が、俺自身を、許すことが出来ないんだよ」


 客観的に見れば、情状酌量の余地はあるのだろう。


 だが、そんなものを受け入れるつもりはない。

 自分の手で愛する者を苦しめたということには、変わりがないのだから。


 その罪を精算するためにも。


「最後に彼女を守り、そして……邪神と共に運命を共にする。俺が取るべき選択は、それだけだ」


 誰がなんと言おうと、この意思を変えるつもりはない。

 エレノアを苦しめた連中と共に、地獄へ堕ちるのだと。

 アルトはそう、断言した。


「……ならば、俺は君の覚悟に報いよう」


 アルヴァートの眼差しに宿る情念を、アルトは十全に理解する。


 必ずやエレノアを救い、そして。

 君の分まで、彼女を幸せにしてみせる、と。


 そんなアルヴァートの想いに安堵を抱きながら。


「では――互いに、成すべきことを成そう」


 頷き合った後。

 両者は動き出した。


 アルヴァートは仲間達と邪神のもとへ向かう。


 その一方で。

 アルトは屋敷に居残ったエレノアのもとへ足を運び、


「……聞いていた通りだ。俺の精神を、君の内側に移す」


 本来であれば。

 名を呼ぶことは当然として。

 言葉を交わすことすら、自分には許されていない。

 だからこそ、アルトは必要最低限の言葉だけを口にすべきだと、そう考えていたのだが。


「えと、その……あ、あなたは、以前の、あたしと……」


「……あぁ。恋仲にあった」


 会話などすべきじゃない。

 そんなふうに思っていても、なお。

 衝動を止めることは、出来なかった。


「……どれほど言葉を尽くしたところで、許されるものではないと、理解している。だがそれでも、最後に謝らせてほしい。……本当に、すまなかった。これまで君のことを苦しめてきた、その罪は……」


 言葉に詰まる。


 なぜならば。

 エレノアが、涙を流し始めたからだ。


 それはアルトにとって、あまりにも意外な姿であったが、しかし。


「あ、あれ……? あたし、なんで……?」


 エレノアにとっても、自分の身に起きたそれは、意図したものではなかったらしい。


「うっ……うぅ……!」


 嗚咽を漏らす彼女を目にして、アルトは思う。


 何もかもを忘れて、なお。

 エレノアの中には、まだ。


 消え去ったはずの彼女が、残っているのだ。


 今のエレノアにとって、アルトは元・悪役でしかない。

 だが。

 かつて共に時を過ごした、彼女にとっては。


「…………すまない、エレナ」


 呼ぶべきでない名を、口にしてから。

 すべきではないと、わかっていながらも。

 アルトは泣きじゃくるエレノアの身を優しく抱き締めて。


「一人、旅立つことを……どうか、許してくれ」


 彼女の中にある残滓へと、最後の言葉を送り、そして。

 アルトは自らの存在を厄災と認識することにより……


 エレノアの異能で以て、その精神を彼女の内側へと移した。


 そこは純白の世界。


 まさにエレノアの存在そのものを表しているかのような空間には、煌めく球体が浮かんでいて。


 直感的に理解する。

 それが、彼女の精神であると。


「……守り抜いてみせる。今回は、必ず」


 そう呟いてから、しばらく。

 突如として、純白の世界に漆黒の渦が現れた。


「ッ……!」


 アルトは確信する。

 そのときが訪れたのだと。


「させるものかッ……!」


 闇色の渦が、煌めくエレノアの精神を吸い込む、その直前。

 アルトは自ら、そこへと入り込み――


 漆黒の世界へと、転移した。


 どうやら、渦は自分だけを飲み込んだらしい。

 エレノアの精神が無事であることに一瞬の安堵を感じた後。

 アルトは、眼前に立つ二人の敵方を睨んだ。


「こ、こいつはッ……!?」


 目を見開く少年。

 アルヴァートの別人格である彼は、敵方の片割れという立場にあるが、しかし。

 自分が消し去るべきは、もう片方の存在。


「セオドア・オーガスッ……!」


 あらん限りの殺意と憎悪を込めて、睨み据える。

 それを真っ向から受け止めながら。

 セオドアもまた、負の感情を老貌に宿し、次の言葉を吐き捨てた。


「なんと、忌々しい……!」


 そうして彼は、アルトを射殺さんばかりに睨め付けて、


「事ここに至ってなお、邪魔立てするかッ! アルト・リステリアッッ!」


 瞬間。

 場に立つ者、全てが予感する。


 これから始まる一戦が、分水嶺になるだろう、と。


 邪神側の精神体が勝利したなら、もはやエレノアを守護するものはない。

 その精神をこちらへ呼び寄せ、人質としたなら、いま交戦状態にある者達は手も足も出なくなるだろう。


 一方で。

 アルトが勝利したなら。

 その時点で、此度の一件には決着がつく。


 悪しき者は滅び……

 かつて愛した彼女が、ようやっと、救済のときを迎えるのだ。


 ゆえにこそ、アルトは。

 決死の覚悟で、最後の一戦に臨むのだった。



「地獄へ堕ちろ、セオドア……! この俺と、共にな……!」

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