第七〇話 邪神との戦い
邪神、ヴェヌカ=ウルヌス。
その内側にて。
精神体となったアルヴァート・ゼスフィリアは、同居人であるセオドア・オーガスと言葉を交わしていた。
「合理的に敵方を討つのなら……都市ごと消し飛ばすのが、最適解ではありませぬか? 使徒様」
どうやらセオドアは、アルヴァートの存在を邪神の使徒として解釈しているらしい。
そこについては特別、どうということでもない。
勝手に勘違いをしていればいいと考えつつ、アルヴァートは受け答えた。
「確かにな、それが一番手っ取り早い方法ではある」
邪神の内側に取り込まれて以降、アルヴァートはその肉体が有する力の凄まじさを、ひしひしと感じ取っていた。
まさに絶対的な万能感。
神の名を冠するに相応しい、絶大なパワー。
これを以てすれば、やはり。
偽物と呼ぶ彼がどのような事柄を画策していようとも、何一つ問題にはならない。
ゆえにこそ、アルヴァートは、
「一瞬にして消し飛ばしたら、奴等に後悔の時間を与えることが出来ねぇだろ? だからあえて、奴等の好きにさせてんのさ。邪神様に楯突くクズ共は、肉体的にも精神的にも最大限苦しめてから地獄へ叩き落とすってのが、スジってもんじゃねぇの?」
「なるほど、確かに。我が思考は浅慮にございましたな」
このジジイ、ほんっとチョロいわ、と。
アルヴァートがそんなふうに思った、次の瞬間。
「……仕掛けてきたか」
第三者の視点で見れば、外界にはなんの変化もない。
だが、邪神の目を通して見ると……敵方の行動は全て、筒抜けとなっていた。
「ふむ。これは、偽界魔法、ですかな」
「あぁ。民間人を巻き込みたくねぇって腹づもりなんだろうよ」
と、そのように返してから、すぐ。
予想通りの相手が、巨体の足下へとやって来た。
二人の少年少女。
一人は偽物のアルヴァート・ゼスフィリア。
もう一人は、セシル・イミテーション。
その姿を前にして。
本物のアルヴァートは牙を剥くように笑い……
「さぁ、始めようか……! 楽しい楽しい、お遊戯をなぁ……!」
◇◆◇
都市に蔓延る悪意。
エレノアを傷付け続けた民間人達のそれは、全てがセオドアの画策であったことが判明している。
個人的な感情で言えば……彼等の生死など知ったことかと、そう口にしたいところだ。
さりとて合理的に考えれば、そのようには動けない。
学術都市・セルエナの崩壊は国際社会に多大な悪影響を及ぼすだろう。
だからこそ我々は、民間人、引いては都市全域を守りながら戦う必要がある。
そのためには偽界魔法を用いて、敵方を別世界へと閉じ込めねばならない。
かつてセシルと戦った際には、エリーとルミエール、二人の力で十分だったが……
しかし、今回の相手は邪神である。
ゆえに仲間のほとんどが、偽界魔法の構築と維持を担うこととなった。
結果として。
邪神と戦うのは、俺とセシル、二人のみということになったわけだが。
「出し惜しみをする余裕はない。最初から全力でいこう」
「うん、そうだね。全身全霊を尽くしても……正直、どうなるかわかんないや」
邪神の威容を前にして。
俺とセシルは、緊張感を抱いていた。
その反面。
敵方はといえば。
「どこからでも、かかってくるがよい」
おぞましい怪物の声。
それが響いてからすぐ。
『せいぜい頑張れよ、偽物』
『まずは貴様等の苦悶を、楽しませてもらおうか』
アルヴァートとセオドアの声が脳内に響いた、次の瞬間。
邪神本体の双眸が真紅の煌めきを放った。
来る。
そう感じ取ったのは俺だけではなかったようで。
「強奪の力で奪ったアレ、初手から全開で発動するべき、だね」
「……制御出来るか? セシル君」
彼女はこちらの問いに、悠然とした微笑を浮かべながら、断言する。
「彼に出来たことが、ボクに出来ないとでも?」
どうやら愚問であったらしい。
こちらに受け答えた直後、彼女はコピーした強奪の異能によって得た力……
以前までは、クラウス・カスケードの中にあったそれ。
魔王の力を完全に、解き放った。
「く、う……!」
セシルの姿が変異する。
側頭部から捻れた角が伸びて、体表に刻印が刻まれ……
まさに魔王そのものといった姿へと、変わりながらも。
「さぁ、行こうか、アルヴァート君」
我が無敵の切り札は、自己意思を保ったまま――
敵方へと吶喊する。
「まずは挨拶代わりってとこかなッッ!」
飛翔の魔法で以て上空へと昇り、敵方の周囲を旋回しつつ……
膨大な属性魔法を叩き込む。
その威力たるや凄まじく、魔王の力を解放していることも相まってか、平時の彼女が見せるそれとは比較にならない。
これによって邪神の巨体には確かなダメージが刻まれたものの……
「人間如きでは、これが精一杯か」
えぐれた部位が、すぐさまに再生する。
だがそれ自体は想定の範疇。
何せ俺は、邪神の能力と倒し方を、知っているのだから。
『クランク・アップ作品、だったかぁ?』
『確か、遙か未来を舞台にした……成人向けノベルゲーム、とかいうやつだよな』
『邪神・ヴェヌカ=ウルヌスは、それのラスボス、とかいう扱いになってて』
『だからお前は、邪神の殺し方を知ってるってわけだ』
俺が知り得る情報の全てが、アルヴァートと共有されていた。
しかして。
奴はそれでも余裕を崩すことなく。
『邪神の肉体に複数存在する、生命核』
『これを一気にブッ潰しゃあ、お前等の勝ち、だが――』
『出来っこねぇんだよなぁッ! これがッッ!』
刹那。
邪神の全身から、深緑色の光線が放たれた。
膨大な消滅エネルギーの奔流。
掠めただけで存在を消去するといった、単純にして反則的な力の群れ。
虚空を飛び交うセシルがそれを回避する姿を目にしつつ、こちらもまた地表を離れ、空中へと移動。
そうしてから。
崩壊へと突き進む都市の真上にて。
俺はセシルを援護する形で、全力全開の魔法攻撃を開始する。
「エンシェント・フレア」
刹那、虚空に顕現したのは、数十万もの火球。
それらを一気呵成に打ち出して……
全弾、直撃。
そこへさらに。
「オーバー・エレメントッ!」
セシルが繰り出したのは、全属性を内包した、超特級の攻撃魔法である。
魔導の達人であっても、一度の発動につき一発撃てるかどうかといったそれを、しかし、セシルは数万発の規模で放つことが出来た。
果たして邪神の巨体を取り囲むかのように顕現した、無数の幾何学模様から、そのとき七色に煌めく光線が射出され――
直撃と同時に、敵方の左右上腕部が、大きくえぐれた。
その勢いのまま、光線は深部に到達し、二つの生命核を破壊するに至ったが、しかし。
「無駄だ、人間」
厄介なことに。
邪神の生命核は、全身に七つ存在する。
これらは一度壊せばそれでしばらく再生出来ない……というわけでもなく。
むしろ瞬時に、元通りとなってしまう。
「……なるほど。余裕の態度も、頷けるな」
回避。
攻撃。
回避。
攻撃。
それを延々繰り返したが……成果は皆無。
七つのうち三つ、四つと破壊は出来たのだが、その時点で全てが再生し、なにもかもが水泡に帰してしまう。
「火力が足りていない、か……」
現状はジリ貧そのものであった。
相手方は無限のエネルギー源を有しているため、半永久的な戦闘が可能。
しかしてこちらの魔力は有限であるため……
最終的には、こちらが敗北する形となろう。
『ははははははははははは!』
『色々と準備してたみたいだがッ!』
『全部、全部、ぜぇぇぇぇぇぇぇんぶッ!』
『無駄になっちまったなぁあああああああああああああああッ!?』
ゲラゲラと。ゲラゲラと。
脳内に響くアルヴァートの哄笑。
そこに宿る勝利の確信を揺るがすには、特大の想定外が必要であろう。
現在、それを成し得る者が居るとしたなら、やはり。
と、ある種の予感を抱いた、次の瞬間。
「――やっぱ祭りってのは、参加してなんぼよねぇ?」
天空にて。
第三者の声が響いてから、すぐ。
邪神の上体へと、巨大な豪炎球が殺到し……
桁外れな爆裂を、見せ付けてくる。
「ッ……」
ここに至り、邪神が初めて唸り声に似たそれを放った。
無論、身に受けたダメージは一瞬にして再生している。
だがそれでも。
ただの一撃で、上半身のほとんどを消し飛ばされたなら。
さしもの邪神も。
そして、その内側に宿っているアルヴァートも。
動揺せざるを、得なかったのだろう。
『……おい、嘘だろ』
『あいつが、なんで、こんな』
彼女を侮っていた、というのは実のところ……
アルヴァートだけでなく、俺からしても、同じことだった。
彼女は偽界魔法の維持を行うのが精いっぱいであり、現場へ来ることなど、決して叶うはずもない。
邪神を偽界に閉じ込められるというだけでも、絶賛に値する。
それ以上のことなど、求めるべきではない。
……と、そんな考えは今、完全に消し飛んでいた。
遙か上空にて。
闇色に染まった天蓋を背景に、邪神の巨体を見下ろす彼女。
その瞳に宿っているのは、絶大な戦闘意思と……喜悦にも似た情念。
「さてさて。どこまで、楽しませてくれるかしら、ね」
灼熱色の美髪を揺らめかせ。
総身から、絶大な魔力の奔流を放つ。
――当代最強の魔導士。
――リンスレット・フレアナイン。
彼女は特大の想定外となりて。
邪神との戦いに、参戦するのだった――
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