閑話 終焉へ向かう者達


 学術都市・セルエナ、中央部。

 叡智の塔、その只中にて。


 エリーは存在消滅の異能を発動し、誰にも姿を認識されぬまま……

 セオドア・オーガスと、彼の取り巻き達の動向を見つめ続けていた。


「旧き時代より連綿と受け継がれし、一族の悲願……これを成すべく、我が祖先達は多大なる苦労を積み重ねてきたが、しかし」


 本棚を前にして、セオドアは滔々と語り始めた。


「私以上に波瀾万丈な人生を経験した当主など、誰一人としておるまい」


 苦節七〇年。

 セオドア・オーガスは、その人生を振り返った。


「使命に邁進しようにも、御家は没落の危機にあり……これを立て直すのに、途方もない労力を費やした」


 邪神の血族は、セオドアの生家のみではない。

 この場に立つ者達……都市の上位者は総じて、邪神の血を引く一族の出身である。


 だが、セオドアが誕生した当初。

 親類一同は、彼の思惑に反する行動を取っていた。


「血族の使命を捨て去らんとする愚者共による謀反。これを受けたことで、全てが水泡に帰するところであったが……どうにか、立て直すことに成功した」


 言うや否や、皆々の顔を睨み回すセオドア。


 紆余曲折を経て、彼は裏切り者達へ洗脳の魔法を施した。


 その結果、セオドアは血族の実権を奪還することに成功、したのだが。


「ようやっと使命を果たすことに邁進出来ると、そう考えた矢先……今度は餓鬼共が、私を裏切った」


 娘の顔と、その種馬を務めた男の顔が、脳裏に浮かぶ。


 セオドアが設けた一人娘には狙い通り、受容の巫女たる才覚が宿っていた。

 ゆえに彼は生け贄たる彼女を丹精込めて仕上げていき……


 使命を全うさせるようになった頃。

 娘は初潮を迎えた。


 受容の巫女は使命の性質上、事故が発生し、死亡するといった危険性がある。


 ゆえに初潮を迎えた段階で子を産ませ、次世代の巫女を作ることにより、リスクヘッジを行うのが慣わしとなっていた。


 その際には、邪神の血を引く親戚筋を種馬とする。


 結果、巫女の誕生確率は大きく底上げされ……孫娘にして次世代の巫女、エレノアが産まれるに至った。


「そこまでは順調だったが、しかし……何を血迷ったか、奴等は使命を捨て去り、逃亡を企ておった……!」


 エレノアの父母がいかなる経緯で以て、駆け落ちに及んだのかは、もはや判然としない。


 それを聞き出す前に。

 セオドアが手ずから、二人を惨殺したからだ。


 以降、エレノアに巫女としての使命を背負わせ……初潮を迎えた頃。

 彼女に種馬をあてがい、次世代の巫女を産ませようとした、そんなとき。


「鬱陶しい邪魔者が、現れおった……!」


 ここでセオドアは、この場に立つ例外的な存在へと、目をやる。


 フールマン。


 そう呼ばれているマスクの怪人は、彼の視線を受けたことで、指先をピクリと動かしたが……そこから先の行動に及ぶことは、出来なかった。


「貴様には実に手間取ったものだが、しかし今や……我が忠実な、下僕だ」


 そのようになってから、本日でおよそ一月。


 この期間中、彼の妨害によって失われた時を取り戻すべく、セオドアはエレノアへの責め苦を優先し、未だ種付けは行っていなかった。


 されど……もはや、その必要はない。


「ついに、かの御方が、お目覚めになられる……!」


 本棚の仕掛けを全員で実行し、昇降機を露出。

 皆がそれへ乗り込む中、エリーもまた同乗し……


 地下洞窟にて。

 邪神となったアルヴァートの姿を目にする。


 触手が人型を成したかのようなおぞましい姿。

 そこには一部、異変があった。


 具体的には、胸部。

 左胸のあたりに、人の貌に似た盛り上がりが、見て取れる。


 次の瞬間、その部位が一部、やおら動き出し……



「今宵、我が肉体は動作を始めることとなろう」



 おぞましい声音が、洞窟の全体に響き渡る。

 何も知らぬセオドアからすれば、それは神の御言葉であろうが……

 真実を知るエリーは、とことん冷め切った調子で、目前の状況を見つめていた。


(邪神になりきる、その姿。かつてのわたしであれば荘厳にも見えたろうが)


(今はただただ、滑稽に映るな)


 エリーは冷然としたまま、状況を見守り続けた。


「おぉッ……! 邪神・ヴェヌカ=ウルヌス様ッ! 我が肉体と精神をッ! どうか、貴方様の一部としてくだされッ!」


 セオドアは感涙に咽びながら、叫ぶ。

 それこそが生涯の望みであり、血族の苦労に対する最大の報酬であると。

 果たして、邪神になりきったアルヴァートは、


「よかろう。ここに至るまでの働き、実に大義であった」


 言うや否や、魔法によく似た神通力を用いたのだろう。

 セオドアの肉体が虚空へと浮かびあがり……邪神の右胸へと、取り込まれていく。

 その最中。

 アルヴァートがエリーへと、念話を送ってきた。


『完全に好き放題出来ねぇってのが、現状の不満点だな』


 どうやらアルヴァートは邪神と一体化したものの、何もかもを完全に掌握しているわけではないらしい。


 かの肉体には依然として邪神の魂が宿り続けており、その意思に反することは出来ず……大仰な口調も、そこが影響しているのだとか。


『小汚ぇジジイが入り込んだことで、俺の自由度がさらに減りやがった……』


 苛立った調子の言葉。

 その直後、邪神の右胸に新たな人面疽が形成され……


「なんたる、僥倖……! 私は今……邪神様と、一体化した……!」


 背筋が凍るような声音は、セオドアのそれによく似た響きを持っていて。

 それが皆の耳朶を叩いた、次の瞬間。


「っ……!」


「う、動く……!」


「自らの、意思で……!」


 洗脳されていた都市の上位者にして……裏切り者の血族達。

 彼等へかけられた魔法を、セオドアが解除したのだろう。

 だがそれは、彼等を自由にするためではなく。



「愚昧なる裏切り者共よ。自らの行いを後悔しつつ、地獄へ落ちるがよい」



 凄惨な拷問処刑を、行うための措置。

 目の前で展開されたそれは、エリーでさえも目を背けたくなるようなものだった。


『うへぇ~』


『グロいグロい』


『こんなふうに人を殺すとか、正気を疑うぜ』


 お前が言うなと口にしたくなったが、エリーはなんとか堪えつつ、状況を静観する。


「……フールマン。貴様を残したのは、最後の苦痛を与えるためだ」


 上位者達の鮮血と臓物に塗れた、マスクの怪人へ、セオドアは次の言葉を放つ。


「もはや孫娘の存在など、なんの意味もない。よって元来であれば、捨て置くところだが……貴様へ罰を与えるという目的を思えば、まだ利用価値はある」


 微動だにしないフールマン。

 彼へセオドアは、残酷な命令を叩き付けた。


「想像しうる最大限の苦痛を与えながら……じわじわと、嬲り殺せ。を、自らの手で、な」


 これに対し、フールマンは。


「かし、こまり、まし、た」


 拒絶の意を口にすることは、出来なかった。


(……よもや、この男)


 真実に辿り着いたエリー。

 だが、それを深掘りせんとする前に。


『さぁ、いよいよ大詰めだ』


『俺のメス豚として、しっかりと働けよ? エリーゼ』


『そうしたら……たっぷりと、可愛がってやるからなぁ』


 やはりかつての自分であれば、身震いするほどの喜悦を覚えただろうが、しかし。

 今は別の意味で、体が打ち震えていた。


 ――あまりにも、気持ちが悪い。


 だがこの震えは、芝居のクオリティーを一つ、上の段階に押し上げてくれるだろう。


「ありがたき幸せ。ご主人様に種付けをしていただける瞬間を、エリーゼは待ち侘びております」


 吐き気が込み上げてくる。

 だが、そんなエリーの心情などまるで解することはなく。

 アルヴァートは悠然とした声音で、念話の言葉を紡ぎ出す。


『さっさと終わらせて……』


『さっさと、お楽しみタイムに移りてぇなぁ~』


 発情期の猿か、お前は。

 あるいは、性という概念を初めて知った子供のようだと、エリーはそう思う。


(この期に及んで、こちらへ洗脳の類いを行わないのは……)


(わたしを信用しているからではない)


(己が優位性への、圧倒的な自負によるものだ)


(結局のところ、この男は自分のことしか見えてはいない)


(その視野の狭さもまた……旦那様とは、大違いだな)


 考えを深めれば深めるほど、心が冷え込んでいく。

 かくしてエリーは、表面でこそアルヴァートを持ち上げながらも……

 内面にて。


(種付けをされることへの期待は、確かにある)


(だが……我が身に、その喜悦を刻むべきは)


 お前ではないと、邪神の一部になったアルヴァートへ吐き捨てながら。


(早急に終わらせ……褒美を、いただきたいところだな)


 愛する夫の顔を、思い浮かべるのだった――

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