第六六話 ペインフルから、シュガーフルへ


 皆と一時の別れを迎え、それからエレノアの屋敷へ向かった後。

 夕餉を共にして、歓談を楽しむ。

 それから入浴を済ませ、就寝時間を迎えると同時に、


「え、えと、その……い、一緒のベッドで寝ちゃ、ダメ、ですか……?」


 断る理由などない。

 俺はエレノアの望みを受け入れ、彼女と共にベッドへ入ると、


「……ぎゅって、してほしい、です」


 甘えるような声音で、おねだりしてくるエレノア。

 そんな彼女を愛らしく思いながら、ベッドの中で、華奢な体を抱き締める。


「んっ……」


 気持ちよさげに吐息を漏らすエレノア。

 そうしてから彼女は幸せそうに微笑んで、


「おやすみなさい、アルくん」


「あぁ。おやすみ、エレナ」


 細くか弱い体を抱きながら、瞼を閉じる。

 まどろみを覚えたことには意識が飛び去り――

 朝を迎える。


「んぁ……」


 どうやら俺が起床すると同時に、彼女も目を覚ましたらしい。


「えへへぇ~……アルくんだぁ~……」


 夢現な調子で、ふにゃあっと笑う。

 そんなエレノアの姿は、まるで天使のように愛らしいものとして映った。


「ん~……ちゅっ」


 寝惚け眼なまま、彼女はこちらの頬にキスをして。

 その瞬間。


「…………あ」


 エレノアの意識がようやっと、現実に帰還したらしい。


「ゆ、ゆゆゆ、夢じゃ、ない……!?」


 頬を真っ赤にしながら、猫耳を激しく動かす。

 そんな彼女は次の瞬間、隠れるようにこちらの胸元へ顔を埋め、


「…………忘れてください、です」


 俺は無言のまま微笑し、伏せられた猫耳ごと、エレノアの頭を撫でるのだった。



   ◇◆◇



 穏やかな朝をエレノアと共に過ごす。

 彼女が用意してくれた朝餉は素朴ながらも実に美味なもので、


「君を妻に持ったなら、きっと毎日が幸せだろうな」


「ふぇっ……!?」


 何気ない一言だったが、どうやらエレノアには効いたらしい。

 顔をリンゴのように紅くしながら、もじもじし始める。


 そんな彼女に笑みを向けつつ、俺は思考を巡らせた。


 ……今日を含めて、残り三日、か。

 この期間中、俺は全力でエレノアを幸福な気分で満たし……

 未来への希望と欲求を、抱かせる。


 全ての言動はそのために実行されるものだが、しかし。


「ア、アルくんの、お嫁、さん……!」


 彼女を騙しているわけでは、断じてない。

 多少の打算はある。

 だが、エレノアに対して好意を抱いていることは、紛れもない真実だ。


「食事を終えたら……外出しよう」


「えっ」


 瞬間、エレノアは当惑した顔をする。

 買い出しは既に済ませており、それゆえに外へ出る意味はない、と。

 そう考えているであろう彼女へ、俺は次の言葉を投げた。


「散歩だよ。目的など抱くことなく、ただそこら中を歩くだけの時間。それを君と共に、過ごしたいと思っている」


 エレノアは即応しなかった。


 無理もない。

 街へ繰り出すということは彼女にとって、苦痛を味わうということに等しいのだから。


 しかし、それでも。

 エレノアはこちらの顔をジッと見つめながら。


「アルくんが、隣に居てくれれば……何も、怖くない、です」


 彼女の期待と信頼に、応えてやろうと、心の底からそう思った。

 そして実際。


「なぁ~に堂々と出歩いて――おげぇ!?」


 絡んできた者を叩きのめし、


「せっかくの贈り物だが、返品させていただく」


「げぎゃっ!?」


 彼女へ投げ放たれた石つぶてを掌で受け止めてからすぐ、相手方の顔面へと投擲。


「さっさと死――ぶべぇッ!?」


「言葉の暴力には、肉体的な暴力で以て対応させてもらう」


 陰口を叩く者の鳩尾に拳をねじ込み、強制的に黙らせる。


 そんな調子で。

 エレノアに向けられる悪意の全てを、真正面から叩き潰しながら、都市の只中を行く。


 そうしていると、


「……お散歩、楽しいですね、アルくん」


 最初は怯えた様子のエレノアだったが、あどけない美貌に笑顔が宿るようになった。


 俺は彼女の様子に満足感と幸福感を抱きつつ……

 都市に対する違和感について、思索する。


 ……やはりセルエナは、真っ当な土地ではないな。


 住まう者全てが、エレノアに対して異様なまでの悪意を向けている。

 これは確実に人為的な現象であろう。

 彼女を苦しめるために、セオドアがなんらかの手段で都民達を操っているに違いない。


 ……まったく以て、反吐が出るような思いだ。


 かの老爺には最終的に、痛い目を見てもらおう。


 ただ、それは。

 俺の役割では、ないかもしれない。


「なんだか……懐かしい感じが、します……」


 エレノアの言葉は、彼女が背負う宿命と矛盾した内容だった。

 七日に一度、リセットが発生し、全てを忘れてしまう。

 そんな彼女が、何かを懐かしむことなど出来るはずがない。


 だが……

 きっと彼女の中には、魂に刻み込まれているほどの、強い情念があるのだろう。


「君は過去に、同じ経験をしたのだろうな」


「えっ?」


「俺ではない誰かが、君を守ろうとした。……存在は忘れても、そこに対する情は、僅かながらも残っているのだろう」


 エレノアは困惑した様子で、口を噤んだ。


 ……彼女の日誌には、数カ所程度ではあるが、誰かと食事を楽しんだかのような記述がある。


 きっとそれは。

 を、書き記したものだろう。


 ……やはり彼は既に、エレノアと接触していたのだ。


 しかして今、アルトの姿はどこにもない。

 邪魔者として、セオドアに消されたのか。

 あるいは。


 ……もし、いま浮かび上がってきた可能性が真実であったなら。


 此度の一件における首魁、セオドア・オーガスを打ちのめすべきは、俺ではなく……であろう。


 もっとも。

 現段階においては、ただの推測でしかない、


 俺は首を横へ振って、思索した内容を片隅へ追いやると――


「過去に誰が君と共に在ったかは、問題ではない」


 エレノアの手を掴み、指同士を絡ませるように、繋ぐ。


「これからは、俺が君のことを守る。そして……誰よりも、幸せにしてみせよう」


「っ…………」


 エレノアは、こちらを見上げながら、


「……もう、十分に幸せ、ですよ。アルくんが隣に、居てくれるから」


 頬を朱色に染めて。

 華やぐような笑みを、美貌に宿す。


 ――かくして。

 同棲生活の初日は、穏やかに過ぎ去っていくのだった――

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