閑話 エリーの選択(後編)


 愕然となるエリーの脳内に、くつくつと笑い声が響く。


『あぁ、そうだ。俺は今、から、お前に声を送っている』


 彼は。

 アルヴァート・ゼスフィリアは。

 滔々と、語り続けた。


『正直に白状するとな、俺は追い込まれていたんだよ』


『認めたくはねぇが……実際、あいつは優秀だ。メンタルの方は特にな』


『色んな誘導方法を考え、試してみたが……』


『奴は自分に対する幻覚催眠を決して、解こうとはしなかった』


『普通はありえないんだよな.お前等みたいなエロいメス豚を、いつでも抱ける環境だってのに。それをあえて拒絶し……』


『状況によっちゃあ生涯童貞を貫く、と。あいつはマジで覚悟してやがった』


 アルヴァートは言う。

 自分が肉体を取り戻すには、偽物である彼が、欲望を暴走させる必要がある、と。

 だが、それをしなかった場合。


『こっちにはもう、手立てがないんだよ』


『声を飛ばすか、あるいは、夢を操作するか。それしか手段はないわけだが』


『……奴にはどっちも通じなかった』


『挑発はそこそこ効果的だったが、こっちが望むほどの成果は挙げられず』


『淫夢を見せて欲望を刺激するって方法も、幻覚催眠の効果のせいで無意味』


『こっちはマジで、打つ手がない』


『逆に、あっち側は着々と、俺を消し去る手段を見つけつつある』


『現時点においては、決定打こそ見つかってない感じだが……』


『いずれ、そこに辿り着く可能性が高い』


『そう考えた結果……俺は、賭けに出たのさ』


 アルヴァートの声音には、まるで勝ち誇っているかのような喜悦が宿っていた。


『まず第一に、俺は自分が消されない方法を考えた結果……』


『エレノアってメスガキに、乗り移ることにした』


『リセットが発生すりゃあ、消えちまうわけだが……そこにはなんの不安もなかったよ』


『さっきも言った通り、奴は優秀だからな』


『きっとなんとかするだろうという、確信があった』


『しかし一方で……俺がエレノアに乗り移れるかどうかは、怪しいところだった』


『当人が厄災と認識していれば、どのようなものでも押し付けることが出来る』


『だったら、自分のことを厄災として認識すれば、乗り移れるんじゃねぇか、と』


『そのように考えたわけだが……その段階において、俺は実体を持ってなかった』


『一つの肉体に宿る第二人格が、エレノアの異能の対象となるかどうか』


『そこがな、第一の賭けだったのさ』


 まずはそこを突破した後。

 アルヴァートは、第二の賭けに打って出たのだと、そのように前置いて。


『エレノアに乗り移ったとしても、それは問題の先延ばしでしかない』


『いつかは消されちまうだろう』


『それをなんとかするためには……エレノアを介して、別の体に移るしかない』


『そう』


へ、移ることが出来れば』


『俺は無敵になれるんじゃねぇかと、そう考えたのさ』


 アルヴァートは語る。

 得意げな調子で。

 胸を張る幼子のように。


『エレノアの現状と邪神の存在。それらを知った時点で、真相を掴むことは十分に出来た』


『あいつも似たような結論を無意識のうちに出してたから、そこも相まって……俺は、確信したよ』


『エレノアの中には邪神に繋がる経路があり、そこから邪神へと、贄になりうる何かが流れ込んでいる』


『となれば……その経路を見つけ出し、入り込むことが出来たなら』


『邪神の肉体に移ることは、可能じゃねぇかと、俺はそう考えたのさ』


 ここでアルヴァートは一度、言葉を切って。


『管理者が味方してんじゃねぇかってぐらいに、全てが好都合だった』


『実際のところ、リスクは桁外れに高かったんだよ』


『よしんば邪神の体へ移れたとしても』


『そこで吸収分解されて消えちまうって可能性も十分にあったからな』


 しかし、そのようにはならず。

 邪神はアルヴァートを受け入れるかのような状態となり……


『今や俺は! 邪神そのものになったってわけだ!』


 高笑いが脳内に響く。

 かつてのエリーであれば、そんなアルヴァートを心の底から褒め称えていただろう。

 だが、今は。



(不思議だな)


(主人の言動全てが、幼稚に感じてしまう)



 込み上げる熱意など、微塵もなかった。

 そんな彼女の心情などおかまいなしに、アルヴァートは話を進めていく。


『あと数日もすりゃあ、俺は完全に覚醒する』


『そうなれば……奴等を血祭りに上げることも、余裕で可能だろう』


『だが、俺は慎重な男だからな』


『万が一に備えて、万全を期しておきたい』


 自分は優秀だろ、と。

 そう言わんばかりの声音を、エリーは冷めた調子で聞き届けていた。


『邪神の肉体を得た俺が、奴等に負けることは絶対にない』


『だが、もしそうなった場合、あいつは――』


 次にアルヴァートが語ったのは、偽物である彼が最終手段として捉えている、一つの策略であった。


 それを得意満面な調子で話すアルヴァート、だが。

 エリーはやはり、称賛する気になどなれなかった。


 むしろ秒刻みで気持ちが冷え込んでいく。


(……確かに、わたしの知る主人、そのものだ)


(自分がもっとも優れていて、常に他者を出し抜いていると、そんなふうに確信している)


(こちらのことなどは性奴隷のメス豚としか捉えておらず)


(そこには知性も人間性も、見出してはいない)


(都合のいい肉人形。性処理用の肉便器)


(……そのような扱いが、かつては心地良く感じていたものだが)


 それは彼による徹底的な調教と、幻覚催眠による効果もあろうが、しかし。


 そのこと以上に。

 彼と比較出来る対象がどこにも居なかったことが、極めて大きかったのだと。

 エリーは今になって、気が付いた。


 しかし今は、旦那と呼ぶ彼が傍に居て。


 だからこそ。

 旦那と主人を比べた結果――


(旦那様は、わたしに最終策のことを話してはいない)


(それは、わたしのことを信頼しているからだ)


(自分と同じ情報を得たなら、まったく同じ結論に至るだろう、と)


(ゆえにこそ……語る必要もないのだと、そう考えておられる)


(だが、主人は)


 エリーのことを侮っている。

 エリーのことを遙か下に見ている。


(それも当然のことだろう。彼にとってのわたしは、人間ですらないのだから)


(そのように心の底から認識しているからこそ)


(得意絶頂に、自らの考えを一から一〇まで、聞かせてくるのだ)


(お前ごときではここまで辿り着かなかっただろう、と。そういわんばかりに)


 エリーは思う。

 なぜこんな男を主人と慕い、愛していたのだろうか。


 しかして。

 そのような心情など、アルヴァートは微塵も感じ取ることはなく。


『奴の最終手段においては、お前が重要な立ち位置を占めている』


『お前がこっちに付きさえすりゃあ、勝ち確ってわけだ』


 どうやら彼は信じ込んでいるらしい。

 エリーが自分の側に付くということを。


『あいつを消したら、周りを固めてるメス豚全員、俺のモンだ』


『けど……まずは真っ先に、お前のことを可愛がってやるよ、エリーゼ』


 自分は魅力的な主人だろう? といわんばかりの声音。

 そこにエリーは侮蔑と嫌悪を抱きながらも。

 あえて、次の言葉を送る。



「ありがたく存じます、ご主人様」



 心にもない発言であるが、しかし、これが最適解であるとエリーは確信している。


「やはりわたしの真なる主は……ご主人様、貴方だ」


 裏切ったふりをして。

 元・主人の要求を、飲み続ける。


 だが、最後を迎える瞬間にて……本懐を、遂げるのだ。


 そうすることこそが、旦那と呼ぶ彼のためになるのだと、エリーはそう考えつつ。


『当然のことをいちいち抜かしてんじゃねぇよ』


『ほんっとに頭が悪いメス豚だな、お前は』


 アルヴァートの言動を、表向き、全肯定しながら。



(この手土産を持っていけば、きっと)


(旦那様は、喜んでくれるだろう)



 エリーは内心にて、ほくそ笑むのだった――

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