閑話 エリーの選択(前編)


 主人から旦那へと呼び名を変えた彼が、エレノアのもとへ向かった、その翌日。

 エリーは彼へ宣言した通り、セオドアの屋敷を探る。


 此度の一件における首魁にして、都市の支配者。

 さりとて。

 そのような肩書きには不釣り合いなほど、セオドアの屋敷は小規模なものだった。


 働く使用人も二人しかおらず、ゆえにエリーとしては極めて動きやすい。


 認識阻害が可能であるとはいえ、隠し扉を開く際にはそれなりの音が鳴るだろうし、へたをすれば屋敷全体が揺れ動くという可能性もある。


 そうした大規模な現象が発生したなら、認識阻害だけでは対処しきれないため、当事者達の記憶に干渉する必要も出てくるのだ。


「最悪の事態が起きたとしても、対処すべきは二人の使用人のみ。これはかなり、ありがたい」


 言いつつ、屋敷の只中を歩き……目的地へと到着。

 そこはセオドアの私室であった。

 一見するとなんの変哲もない室内であるが、しかし。


「本棚の中にある、ほんの僅かに突き出た一冊。床の一部には、体重を載せるとヘコむ箇所があり……家具やカーペットなどで巧妙に隠されているが、床面全体には魔法陣が描かれている」


 おそらくは全ての仕掛けを特定の手順で動作させることにより、地下空間への入口が現れるのではないかと、エリーはそのように予想している。


「もっとも……地下ではなく、別空間への転移という線も考えられるが……」


 秘密の地下室というのは便宜上の表現であった。


 セオドアの私室は屋敷の一階に存在するため、隠されているのは地下室である可能性が極めて高いものの……


 ともすれば、予想外な展開が待ち受けているやもしれない。


「……いずれにせよ、すべきことは決まっている」


 エリーは試行錯誤を始めた。

 そうしておよそ、三〇分が経過した頃。


「むっ……!」


 床の一部が音を立てて開いていき、そして。


「どうやら、秘匿されていたのはやはり、地下室だったようだな」


 現れたのは、そこへ繋がっているであろう、梯子であった。

 エリーはそれを介して地下へと赴き……


「ふむ。人工迷宮が広がっているようだが、さて」


 石造りの空間からは、独特な魔力の流れを感じる。

 それはこの場が、人の手によって造られたダンジョンであるということの証であった。


「セオドアの肩書きや経歴からして、自己鍛錬を目的としたものではあるまい」


 であれば、残された可能性は一つ。

 最奥に眠るであろう宝物、即ち、秘匿すべき情報を、守るための措置。

 この人工迷宮はそれを目的としたもので間違いなかろう。


「さて。問題は、わたしの異能が通じるか否か、だが」


 一抹の不安を抱きつつ、人工迷宮の只中を行く。

 その道すがら、魔導仕掛けと思しき、鋼鉄の魔物と遭遇し……


「どうやら、我が異能を無効化するほどの力は宿っていないようだな」


 魔物達はエリーの存在を検知出来なかった。


 ゆえに彼女は守護者として配置されたであろう存在を、一切合切、無視しつつ、迷宮内を探索。


 その果てに、最奥部へと辿り着いた。


 そこは開けた一室となっていて。

 いくつかの作業机と、無数の本棚が置かれていた。


「さて……片っ端から、読み進めていくか」


 本棚に収納されているのは、そのほとんどが日誌であった。


 それらはセオドアだけのものではない。

 彼の一族が、長きに渡り残し続けた、人生の記録。

 まずは初代当主の日誌に目を通し……


 初っぱなから、エリーは重要な情報を得た。


「セオドアの一族は、のか……!」


 かつて邪神は人の身に似た化身を創り、人類との交配を行ったという。

 セオドアの一族は、その末裔であり……


 だからこそ。


 当主たる者は邪神の復活を悲願とし、その成就に人生の全てを捧げるのだと。

 初代の日誌にはそう記されていた。


「……だが、邪神を復活させるための具体的な方法は、見つけられなかったようだな」


 二代目、三代目の日誌も、似たような内容だった。


 何十年にもわたって試行錯誤を繰り返したが、どうやっても邪神復活の兆しすら確認出来なかったと、そのように記されている。


「代わりに……邪神の因子を埋め込むことで、対象を意のままに操るといった副産物が、得られたとのことだが……」


 邪神の因子。

 それを埋め込まれた存在は、ほんの一部とはいえ、邪神の権能を有するという。


 だが扱いとしては眷属であるため、邪神本体、あるいは血族には逆らえず……

 いかに屈強な精神を持つ者であろうとも、命令には逆らえなくなる。


「……少々、思うところはあるが、今はあえて捨て置こう」


 日誌を読み進めていく。


 四代目、五代目、六代目、七代目、八代目、九代目……

 彼等は皆、なんの打開策も得られぬまま、人生を終えたようだが、しかし。


 一〇代目の当主が、それを見出したらしい。


「特定の性質を有する魔力の持ち主とまぐわい、子を成したとき……邪神との繋がりを持つ子供が、生まれる……」


 エリーは情報を噛み砕くように、淡々と内容を読み上げていく。


「彼、あるいは彼女は常に、邪神と接続された状態にあり……マイナスの情念が邪神へと、送り込まれていく。それが一定のレベルに達すると、邪神が僅かに動作するなど、なんらかの反応を示したがために……これを繰り返せば、邪神の復活が成し得る、と。そう考えた結果……」


 そこから先は、実におぞましい内容だった。

 端的に言えば……

 我が子に対して行った拷問の数々と、その反応をまとめたもので。

 生々しい描写もあいまって、さしものエリーも吐き気を催した。


「…………」


 声を出すことなく、黙読を進めていく。


 どうやら一〇代目は、子を成しては拷問して殺すといったことを、繰り返したらしい。


 それ以降の当主達もその手法を受け継いだようだが、一九代目になると、そこに変化が訪れた。


「時代を経て、あらゆる概念が人の目に付きやすくなったがために……これまでの手法を続けていたなら、いずれ一族の秘密が露見する。それを防ぐためには……」


 子を、一人に絞るべきだ、と。

 一九代目当主は、そのような記述したうえで……

 具体策をも、書き記していた。


「人工的な、異能の付与……」


 一九代目の時代においては、学術都市・セルエナに蓄えられた知識も膨大なものとなっており、それゆえに、異能を人の手によって再現するといった技術も確立されたという。


 無論、それは性質上、世間一般は当然のこと、各国の上位者にすら明かしてはいない、セルエナの重要機密の一つである。


「……なるほど。エレノアの身に発生するリセットとは、そういった仕組みによるものか」


 一九代目は邪神との接続性を有する子供に、二つの異能を付与した。

 一つは受容。

 そしてもう一つは……


「必要となるのは、マイナスの情念。それを与えるためには多種多様な苦痛を与えねばならず……ゆえにこれまでは、二〇年と持たなかった。しかして、二つの異能を付与することにより……邪神との接続性を持つ者を、寿命が尽きるまで、苦しめることが出来るようになった」


 まさに邪悪そのものといった内容だが、そこに対する義憤をあえて捨て去り、エリーは情報を読み解いていく。


「受容によって対象の厄災を肩代わりさせ、負の情念を生み出す。そして……時間逆行によるリセット効果により、心身に刻まれたダメージの全てを、なかったことにする」


 その副作用として、記憶や人格も消去される、と。

 まさにエレノアの現状、そのものであった。


「問題なのは……時間逆行が発生する条件、だな……」


 それさえわかれば、逆に、発生させないための方法も導き出せるだろう。

 果たしてその情報は、すぐさま手に入った。


「なるほど……! やはり旦那様は聡明な御方だ……!」


 彼が口にした推論。

 それはどうやら、正解だったらしい。


「エレノアの救済法はわかった。後は出来る限り、情報を――」


 と、そう呟く最中の出来事だった。



『よぉ、エリーゼ。ずいぶんとご機嫌だなぁ?』



 脳内に、声が響く。


 それは聞き馴染みのあるもの、だが。

 彼であって、彼ではない。


 そう。

 エリーが旦那と呼ぶ彼の声でありつつも、しかして、その実態は。



「ご主人、様……!?」

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