第六四話 必ずや、守り抜く


 こちらの言葉を受けた瞬間、エレノアは目を見開いた。


「――えっ」


 意味がわからない。

 そんな顔をする彼女へ、俺は問い尋ねる。


「受け入れているのか? 君は、自分が消えてしまうという現実を」


「そ、それ、は」


「少なくとも、俺はごめんこうむる。俺が共に菓子を作り、茶を飲んで、語り合いたいと思っているのは……今の君であって、次の君ではない」


「ア、アル、くん……でも、あたしは……」


 曇ったエレノアの顔から、俺は彼女の真意を読み取った。

 そうだからこそ、力強く断言する。


「大丈夫だ、エレナ。君が消えることはない」


「えっ……?」


「俺が君を守る。悪漢達の魔の手から、だけではなく……消失という運命からも、な」


 目を見開いてこちらを見つめるエレノア。

 そんな彼女へ俺は、次の問いを投げた。


「君の気持ちを、聞かせてくれないか? もし俺がしようとしていることが君にとって、余計な世話だったのなら……そのときは、君のもとを去ろう」


 これに対して、エレノアは一筋の涙を流しながら、


「……たぶん、ですけど。リセットが起こる瞬間は、今までのあたしにとって、救いだったと、思うんです」


 ぽつぽつと喋り出すエレノアの声を、俺は静かに聞き届けた。


「この世界は、あたしに痛みしか、与えてはくれないから。何もしてないのに、石を投げられて。嫌な言葉をたくさん、ぶつけられて。……体も心も、穢されて」


 この小さな体に、いったいどれほどの苦しみを、蓄えてきたのだろう。

 それを思うと、加害者達に真っ黒な情が湧くと同時に……


 彼女を救いたいという想いが、強くなった。


 しかし、俺はそのことをあえて口にせず。

 ただただ、エレノアの感情を、目と耳と、心で以て、受け止める。


「今のあたしも、すぐに消えたいって、そう願いながら、時間を過ごしてきました。でも……アルくん、あなたに、会ってからは」


 ぽたぽたと、零れ落ちた涙が床に当たって、音を立てる。

 そして、エレノアは。

 震える唇から、己が本心を、紡ぎ出した。


「一秒一秒が、温かくて、幸せで……だから、あたし……」


 感極まった様子を見せてからすぐ。

 エレノアは、こちらの胸へと、飛び込んできた。



「消えたくない……! 消えたくないよ、アルくんっ……!」



 強く強く強く。

 こちらを抱き締めながら。

 エレノアは、その想いを口にした。


「あたしは……あたし、は…………あなたの傍に、居たいよ、アルくん……」


 震える彼女の華奢な体を、抱き返して。

 感情が赴くままに、口を開く。


「あぁ。俺も同じ気持ちだ」


 我が胸元で、涙を流しているであろう彼女の背中を、軽くさすってやりながら。

 俺は、次の言葉を放つ。


「共に生きよう、エレナ」


 胸の中で、小さな小さな肯定の意を、何度も繰り返すエレノア。

 そんな姿を前にして、俺は思う。


 もはや自分のことなどは、どうだっていい。

 最悪、アルヴァートに体を奪われる前に、自害すれば済む話だ。


 そんなことよりも今は。

 エレノアが抱えた問題を、解消してやりたい。


 ――そう、心の底から思った、次の瞬間。


“大丈夫、大丈夫”


“お前はもう、なぁ~んにも悩むことはねぇよ”


“なぜなら――”



 アルヴァートの声が脳裏に響いてから、すぐ。

 奇妙な喪失感が全身を駆け抜けて。

 麻痺していた、左手の状態が、元に戻った。


「っ…………!?」


 抱き合うエレノアへの感慨が、別の情念によって、塗り潰されていく。


 今、何が起きているのか。

 これから、何が起きるのか。


 先読みが出来ぬ展開を前にしながらも、しかし、俺は。


「……望むところだ」


 再び、エレノアへと意識を向けて。

 目に見えぬ敵方へ、宣言する。


 この都市で出会った彼女を。

 ここに至るまでに結ばれた、彼女達を。


 そして、俺自身を。



「――必ずや、守り抜いてみせる」

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