第五九話 彼はただの悪役か、あるいは


 名も知らぬ怪人。


 ズタボロの道化服を纏い、気味の悪いマスクで素顔を隠す。


 そんな彼が放つ漆黒のオーラは、魔力の波動……ではない。


 アレがどのような所以による現象であるかは判然としないが、いずれにせよ。


「この場で争うわけにはいかないな」


 下手をするとエレノアに被害が及ぶやもしれない。

 ゆえに俺は相手方が打って出るよりも前に、風の魔法を発動する。


「ウインド・ブラスト」


 あえて現象規模を大きくしたことで、それは不可避の一撃となる。

 遠隔発動したそれは怪人を横合いから殴りつけ、その長身痩躯を大きく吹き飛ばし……


 屋敷の壁面を突き破って、外へ。


 こちらも怪人を追う形で、中庭へ出る。

 ここならばエレノアに被害が及ぶことはなかろう。


「思惑通りとかぁぁぁぁ、思ってんじゃねぇだろうなぁぁぁぁぁ?」


「いいや。先刻の一撃は、あえて受けたのだろう? エレノアに危害が及ぶのは、君にとっても大きな損失になるはずだ」


 相手方の素性は不明だが、エレノアを利用してなんらかの目的を果たそうとしていることは間違いない。


 問題なのは、この怪人が木っ端なのか、それとも首謀者なのかというところだが、問うたところで答えはしないだろう。


 となると、彼から情報を引き出す手段は――


「余裕ぶっこいて考えごとしてんじゃねぇぞ、ゴルゥアアアアアアアアアアッッ!」


 怒声を放つと同時に踏み込んでくる怪人。


 既に力量差を見せつけた肉弾戦を、あえて再び選んだのは、飛び道具となるような魔法が使えないからか?


 もしくは……大規模な魔法戦を実行した結果、屋敷の中に居るエレノアに被害が及ぶといったリスクを、避けている?


 いずれにせよ。


「望むところだ」


 肉迫する怪人。

 先刻よりも遙かに速く、鋭く、そして。


「死ねぇええええええぁあああああああああああああッッ!」


 打撃の所作と威力にも変化があった。


 ついさっきの一合においては、格闘術の心得を感じさせる動作であったが、今の彼はまるで喧嘩する子供のようだ。


 されど漆黒のオーラが影響を与えているのか、繰り出す五体に宿りし威力は、桁外れに強くなっている。


「オラオラオラオラオラオラオラァアアアアアアアアアアアッッ!」


 荒々しい打撃の数々。

 俺はその全てを紙一重で躱し続け、


「フッ……!」


 カウンターの右ストレートを、再び、相手方の顔面に叩き込む。


「おべぇッ!?」


 悲鳴を上げながら吹っ飛ぶ怪人。


 適応の異能が活きていたなら、完全なる決着となっていただろう。

 風の魔法を受けた時点で、彼へ加えた攻撃は二回。

 ゆえに怪人は全ての魔法と異能を発動出来なくなっており、三撃目は無防備な状態で受けることになる。


 しかしながら現在、適応の異能はオフの状態となっており、それゆえに……


「やるじゃ、ねぇかぁぁぁぁ……! けどッ! これならどうよぉッッ!」


 起き上がってからすぐ、漆黒のオーラをさらに強めて、再び向かってくる怪人。

 そして先刻の一合と同様に、五体を繰り出してくる。


「きぃえぇええええええええええええええいッッ!」


 まさしくグルグルパンチ。

 幼子の喧嘩じみた動作だが、威力はさっきよりも上がっているな。


 捌くのは容易だが、適応の異能を器用にオン・オフしながら戦うのは、少々困難に感じられる。


 ……もっとも。


 この程度の相手であれば、異能など発動する必要はない。


「シッ……!」


 向かい来る怪人を、殴っては飛ばし、殴っては飛ばし、殴っては飛ばし……

 それを計一〇回繰り返した。

 ここまで一方的にやられたなら、常人であれば心が折れるところだが、しかし。


「お、ご、ぼぼ……! つ、強ぇじゃん、マジで……!」


 どうやらこの怪人は、痛みや畏怖に屈するタイプではないらしい。

 ……いや、あるいは。


「死ぬまで、止まらないとでも?」


 こちらの問いかけを受けた瞬間。

 怪人のマスクが、笑みを形作った。


「洞察力が高いんだねぇぇぇぇぇぇぇ」


 くつくつと喉を鳴らして、怪人は言葉を紡ぐ。


「そうだよぉ! その通りぃぃぃぃぃぃんッ! 俺ぁ、死ぬまで止まんねぇぇぇぇぇぇッ! んで! お前は! そんな俺を殺せるぐれぇに強ぉおおおおおおおおおおおいッッ! だったらさぁぁぁあああああッ! …………早く、殺してくれよ」


 最後は小さく、ボソリと呟くように吐いてから。

 また、再び、踏み込んでくる。 


 その結果はやはり、これまでと同じものだった。


「ぼべぇッ!?」


 俺が拳を打ち込み、怪人が吹っ飛ぶ。

 しかし、次の瞬間には。


れんだろッ!? れんだろぉおおおおおおおおんッ!?」


 叫びながら向かってくる。


 この男、粋がっているわけじゃない。

 はったりというわけでもない。


 彼は心の底から、死を望んでいるのだ。


「ぐべぇあッ!? …………まだ死んでねぇじゃねぇかッ! ふざんけんな、てめぇえええええええええええええッッ!」


 理解が出来ない。


 こちらを叩きのめそうという感情よりも、殺されたいという情念の方が、秒を刻むごとに強まっている。


 ……その精神性がいかなる所以によるものかは、あえて捨て置こう。


 いま重要なのは、彼から情報を引き出す方法が、どにも存在しないという問題だ。


 いかなる拷問を行おうとも、きっとこの怪人はゲラゲラと笑うだけだろう。


 となれば我が異能、幻覚催眠の出番……と言いたいところだが。


 


 だが、怪人にはまったく通じていなかった。


「異能を弾く特性か。あるいは……」


 向かい来る相手方を再び殴り飛ばしながら、呟く。


「一定レベルの狂気を有する者には、効果が適用されないのか」


 わからない。

 何もかもが、判然とはしない。

 ただ一つ断言出来るのは。


「おばばばばばばばばばばばばッ!」


 本人が述べた通り、この怪人は、死ぬまで止まらないのだろう。


 ……必要なら、そうしたっていい。


 だが現状、彼がどのような素性を持ち、どういった立場でシナリオに関わっているのか、不明な状態にある。


 となれば、いたずらに命を奪うことは出来ない。

 そうした結果、最悪な結末に到達するということも、十分に考えられる。


 ゆえに、ここは。


「ウインド・ブラスト」


 現象規模を最大化させ、威力を最小に設定。

 刹那。

 一陣の突風が怪人を襲い……


「うぉあああああああああああああああああッ!?」


 まるで昭和アニメの一幕の如く。

 怪人は遙か彼方へと、吹っ飛んでいった。


「……原作の知識がないというのは、予想以上に面倒だな」


 相手方の素性がある程度わかるまでは、今回のように対応するしかない。

 俺は肩を竦めた後、屋敷の中へと戻り、破壊された部分を魔法で修復。

 それから客間へと向かい、


「彼は去った。……もっとも、一時的ではあるが」


「っ……!」


 俺はエレノアへと、改めて断言する。


「君の悲劇は今日このときを以て終わりを迎えた。忌々しい仕事などは、もう二度とする必要はない。俺が、そのようにさせはしない」


 この言葉にエレノアは、


「アル、ヴァート、くん……!」


 大きな瞳に涙を湛えて。

 全身を、震わせながら。


「あ、あたし、を……助けてくれるん、ですか……!?」


「あぁ。きっと俺は、そのためにここへ来ることになったのだろう」


 アルヴァートを消し去ることと、彼女を救うことは、繋がっているのではないかと思う。


 だがもし……

 そうでなかったとしても、俺は彼女の救済を優先するだろう。


 哀れな少女を前にしてなお、自己中心的に振る舞うような真似はしたくないし……そんな人間が、何人もの妻を幸福に導けるはずもない。


 だからこそ俺は、エレノアへ次の言葉を紡ぐ。


「色々と、話を聞かせてくれないか? 君を守り、そして……囚われた悲劇から、救い出すために」


 ――かくして。



 新たなヒロインとの関係が今、本格的な始まりを迎えたのだった――

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