第五八話 彼女を苦しめているのは――


 ペインフル・メモリーズの公式ホームページには、当然のことながら、登場人物紹介の項目が存在する。


 そこに表記されている主要キャラの中に……

 目前の人物は、存在していなかった。


 ズタボロとなった道化服を纏う、長身痩躯。

 その素顔は不気味なマスクで覆われていて、容貌も年齢も判然としない。


 ……彼は、人物紹介にあえて表記されていない、重要キャラクターか? それとも、リンスレットのようなオリジナルキャラクター?


 いずれにせよ。

 こちらにとっての悪役であるということには、変わりがなさそうだ。


「おやおやぁ~ん? ……誰だよてめぇ、勝手に入り込んでんじゃねぇよ、ブチ殺すぞ」


 ドスを利かせた声を放つ怪人。

 それに合わせて、彼のマスクが一部、変化を見せる。


 歯茎を剥き出しにして笑う悪魔、といったそれが、怒気に歪んだような形状へ。

 どうやら感情に合わせて形を変えるような仕組みがあるらしいな。


 ……それはともかくとして。


「俺は彼女の客人としてこの場に邪魔させてもらっている。君もどうやら、同じ立場のようではあるが……こちらとは違って、招かれざる客のようだな」


 エレノアの顔を見れば一目瞭然というものだろう。

 ついさっきまで明るい表情を浮かべていたそれが、畏怖と嫌悪に塗れ、ずいぶんと悲痛なものに変わっている。


「ア、アルヴァート、くん……」


 エレノアの視線から、彼女の意思が伝わってきた。


 逃げてくれ、と。

 もうこれ以上は、巻き込めない、と。


 ……平穏なる日常を求めるこちらからすれば、ありがたい申し出ではあるのだが。


 ありとあらゆる事情と心情を加味した結果。

 俺は怪人へと言い放った。


「申し訳ないが、出ていってもらえないかな? 付け加えると……彼女の前に、二度と姿を現さないでもらいたい」


 口にすると同時に、エレノアが猫耳を立てて、驚く。

 その一方で、怪人はといえば、


「はぁぁぁぁぁぁ……稀に居るんだよねぇぇぇぇ……こういう、ヒロイズムに酔ったクソ間抜けが……」


 彼の口から紡がれたのは、侮蔑の言葉、だが。


 気のせいだろうか。

 他にも、


 ……と、思索する最中。



「おいっ! いつまで待たせるつもりだっ!」



 新たな第三者の声が、耳に入ると同時に。

 ドア先に立つ怪人を押しのけて、肥え太った壮年の男性が、部屋へと入ってきた。


「あぁ~、お客様ぁ~、たいへん申し訳ねぇですぅ~。ちょっとトラブってましてねぇ~」


「知ったことかッ! さっさとをやらせろッ! もはや一秒たりとて耐えられんわッ!」


 喚き散らしながら、肥え太った男は自らの顔面を掻きむしった。

 その醜い容貌には奇妙な出来物が無数に存在し……掻き毟る度に、黄色い液体を噴き出している。


「あの娘だろうッ!? 受容の巫女とやらはッ!」


 受容の巫女。

 受容の儀。

 ……その言動から察するに、エレノアは。


「なんらかの行為に及ぶことによって、対象が背負うマイナスの要素を肩代わりする。そんな力が、エレノア、君には宿っているんだな?」


「っ……! は、はい、です……」


 なるほど。

 足が不自由であったり、全身が包帯塗れなのは、そういうことか。


 それらは彼女が負ったものではなく、誰かが背負っていたものを、無理やり押し付けられたもの。


 そして。

 現作が成人向けノベルゲームであるということを考えたなら。


 必要となる行為は、おそらく。


「エレノア。君にとっては不快な問いかけになるが……受容の儀というのは」


 瞬間。

 彼女の代わりに、怪人が答えを口にした。


「そぉぉぉぉだよッ! そいつと肉体関係を結ぶことでぇ~ッ! どんなマイナスもッ! そいつに押し付けられちゃうんでぇぇぇぇぇぇすッ!」


 ……さすがクランク・アップ作品。実に悪趣味だな。


「お客様は気持ち良くなるだけでぇ~~! 最低最悪な厄災を払うことが出来るぅぅぅぅんッ! マジ最高じゃね? ギャハハハハハハハハハハハッ!」


 露悪的かつ狂的な口調に合わせ、悪魔めいたマスクが笑みの形を作る。

 だがそれは一瞬にして怒気へと変わり、


「だからさぁぁぁぁ……邪魔なんだよ、てめぇはよぉおおおおおおおおッッ!」


 踏み込んでくる。


 どうやら荒事の心得があるらしい。

 魔法で身体能力を強化したのか、常人には反応出来ないほどの速度で以て、こちらへと肉迫。


 そして。


「しばらく寝てなッ!」


 拳が繰り出される。

 瞬間、エレノアの口から放たれる、小さな悲鳴。


 だが。

 両者の想像通りの結末には、ならなかった。


 常人からしてみれば反応不可能な速度。

 しかしながら。


「まるで、蠅が止まるかのようだな」


 こちらからしてみれば、致命的なまでに遅い。

 ゆえに相手方の拳はこちらを捉えることなく。

 逆に俺の右ストレートが、マスクに覆われた怪人の顔面に突き刺さった。


「ぶべぇッ!?」


 悲鳴を上げてブッ飛ぶ怪人。

 そんな姿にエレノアは呆然となりながら、


「ア、アルヴァート、くん……!?」


 猫耳がピンと立ち上がっていることから察するに、随分と驚いているらしい。

 そんな彼女へ、俺は一言。


「君の不幸は、今日このときを以て、終わりを迎えるだろう」


 そう述べてからすぐ。

 客と称されし醜い男へ、目を向けて。


「君はその出来物を消し去るためにここへ来た。それは魔法などでは治癒出来ず、ゆえにエレノアに押し付ける形で苦しみから逃れよう、と。そんなところかな?」


「っ……! そ、そうだともッ! だから、邪魔を」


「俺なら、治せるかもしれない」


 言ってからすぐ、俺は自らの左手首を切断する。


「っ……!?」


 吃驚の情を見せるエレノア達。

 何も知らぬ者からすれば、俺の行為は狂気の沙汰以外のなにものでもないため、致し方ないことだろう。


「……解除は一瞬。それならば、問題あるまい」


 現在、俺は適応の異能をあえてオフにしている。

 そうしないと幻覚催眠によるEDと性欲減退の効果が消え去ってしまうからだ。


 それを長時間許したなら。

 今し方切断した左手首だけでなく、全身をアルヴァートに乗っ取られることになる。


 だが先刻述べた通り、一瞬であれば問題はない、はずだ。


「では名も知らぬ客人よ。可能性を試してみようじゃないか」


 と、口にした瞬間には既に、俺は彼の目前へと接近しており……

 瞬きする間も与えることなく、肥え太った腹部を突き破り、手首の切断面を入れ込む。


「ぎぃっ……!」


 すぐ傍から漏れ出た苦悶を無視して、適応の異能をオンの状態にする。


 刹那。

 相手方の顔面を覆っていた気持ちの悪い出来物が、全て消失。


 それを確認すると同時に、再び適応の異能をオフにして、幻覚催眠によるEDを付与。


 ……よし。やはり瞬時の出来事であれば、問題は何もないようだな。


 俺は突き入れた左腕を抜き出すと、相手方の腹と自分の手首を同時に再生し、


「立ち去りたまえ、客人。目的は完全に、果たされたのだから。それとも……彼女を強姦するのが、次の望みだとでも、言うのかな?」


 俺は視線と殺気で以て、相手方に自らの意を表した。

 もしそのつもりなら、ただでは済まさない、と。


「ひぃっ……!」


 小さな悲鳴を上げて去って行く。

 そんな男の姿を見届けた後。


「さて……君もそろそろ、ご退場願おうか」


 寝転がっていた怪人に意識を向けると、その瞬間、彼はやおら立ち上がり、


「……気に入らねぇなぁぁぁぁぁ」


 怒気。

 それも、あまりに特大な。


「あぁぁぁぁぁぁ…………うん、よし。殺そう」


 莫大な殺意が放たれると共に、彼の全身から漆黒のオーラが漏れ出てきた。


 どうやら先刻の一合は、彼の全力ではなかったらしい。


「……エレノア」


「え、あ、はい」


「少々、屋敷を壊すことになるが……終わった後に必ず修復するから、安心してくれ」


 こちらの言葉が終わるや否や。


「んがぁああああああああああああああッッ!」


 怪人の全身から放たれる漆黒のオーラが、爆裂したかのように膨れ上がる。


 それはまさに。



 第二ラウンド開始の合図、そのものであった――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る