第五五話 旅の始まり


 この世界の生活レベルは、元の世界における一九世紀前後といったところだが……

 しかし一部の要素において、ファンタジー特有の歪みというものがある。


 その最たる例は、いま俺が目にしている存在、飛行艇であろう。


 こちらの世界には現状、鉄道などは敷設されていないが、空路については随分と昔から利用されているらしい。


 我々が乗り込む旅客機は元居た世界のそれとはまるで異なる形状をしており、あちらが鳥を連想させるような外見である一方、こちらは豪華客船に羽を付けたような形状となっている。


「アルヴァート様は、初めてでしょうか? 飛行艇をご利用されるのは」


 船を見上げていると、隣からクラリスの問いが飛んで来た。

 今回の修学旅行は全学年を対象としたもので、それゆえに学年違いの彼女もまた、我々に同行している。


「……極めて田舎くさい物言いやもしれませんが。これほど巨大な物体が空を飛ぶなど、信じがたいことですね」


「ふふ。わたくしも初めて見たときは、同じ感想を抱きましたわ」


 雑談などしつつ、飛行艇へと搭乗。

 その後、あてがわれた部屋に荷物を置く。

 以降は現地到着まで、自由に過ごして良いとのこと。


 学術都市・セルエナは大陸の中心部に位置しており、そこへ辿り着くまでには丸一日を要する。

 それまでの無聊を慰めるための娯楽施設が船内には数多存在しており、そういった意味でも、この飛行艇はまさに空飛ぶ豪華客船と呼ぶべき代物であった。


「こういうときの定番といえば……カジノということになるのだろうか?」


 エリーゼの言葉に一堂は小さく頷いて、


「金銭を賭けない形式で遊ぶことも出来るようですし」


「暇を潰すにはもってこいだよね」


 そういうわけでカジノ・ルームへと足を運ぶ。


 極めて広々とした空間には、まだ朝だというのに、大勢の人々でごった返していた。


 そのほとんどは一般客であろう。

 飛行艇は絶対数が少ないため、貴人学園といえども、貸し切りにするといったことは不可能である。


 ゆえに我々は学外の者と混ざりつつ、娯楽に興ずるのだが……


「ねぇ、アルヴァート。あれ、どう、思う?」


 不意にセシリアが指を差した。


 果たしてそこにはレースクイーンじみた格好の給仕が立っており、客人達へ笑顔を振りまいている。


「どう、とは?」


「あれ、着てたら……交尾するとき、もっと興奮、してくれるかな、って」


 現状、俺は幻覚催眠の力によって肉欲の全てがシャットアウトされている。

 ゆえに給仕の姿を目にしても、扇情的な感覚などは微塵もないが、


「……平時であれば、君の言う通りになるだろうな」


 と、そのように返したところ、セシリアは蠱惑的に微笑んで、


「じゃあ……悪い人格、やっつけたら……皆で、あれ着て、ご奉仕してあげる、ね……♥」


 実に魅力的な話ではあるが、やはり今は特別な感慨など微塵も湧いては来なかった。



 ……その後。



 カジノ・ゲームに熱中したからか、時は瞬く間に過ぎ去り、昼食の時間となった。


 我々は船内レストランに赴いて、各々が席に座り、食事を注文。

 料理が運ばれてくるまでの間、我々は談笑に花を咲かせ……


 そのとき、ルミエールが目的地に関する話題を切り出した。


「セルエナってぇ~、学術都市とか言ってますけど、実際は国と同じ扱いになってるんですよねぇ~?」


「うむ。かの地は遙か前の時代から、どの国家にも属することなく、独立を保ち続けてきたと聞く」


 小規模な都市国家というのは、元居た世界にも存在していたが、しかし。


「……セルエナは、宗教的な聖地というわけでは、ないんだよな?」


「えぇ。セルエナは叡智の集積所とも称される通り、学問の聖地であって、宗教色は皆無といってもよろしいかと」


 地政学的に考えると、さまざまな国家から狙われる立場にあったはずだが、それを撥ね除けて独立を保っているあたり、


「……何かがあると見て、間違いない、か」


 単なる名所の一つでしかなかったのなら、ここまで深く考察することもなかった。


 しかしセルエナはクランク・アップ作品の最新作、『ペインフル・メモリーズ』の舞台である。


 その時点で、何か大きな要素が潜んでいることは、確定事項であろう。


 果たしてそれが、いま抱えている問題にどう関わってくるのか。

 原作未プレイの俺には、まったく先読みが出来なかった。


「まさに手探り状態といったところか」


 誰にも聞かれぬよう、小さく呟いた、次の瞬間。


『……旦那様』


 姿を消失させ、沈黙を保ち続けてきたエリーが、ここに至り、念話を送ってくる。


『どうされました?』


 こちらの問いに、エリーは少し間を置いた後、


『……旦那様の言う、悪しき人格というのは、やはり』


 彼女の疑問に対して、俺は即座に受け答えた。


『はい。貴女が主人としていた、本来のアルヴァート・ゼスフィリア。そのような認識で、間違いありません』


『……ずいぶんとアッサリ、認めるのだな』


『えぇ。貴女にはなるべく、隠し事などはしたくありませんから』


『……そうか』


 こちらの判断にどういった感慨を抱いたのか、声音からはまるで読めない。

 顔にも無機質なそれが張り付けられていて、情を察することが困難であった。


 ……果たして彼女は、どちらを選ぶのだろうか。


 そんな疑問を抱えたまま時を過ごし……

 就寝の時間を迎える。


 あてがわれた客室は一人用であるため、室内には俺以外の存在はない。

 抱えた問題も相まってか、誰一人として部屋を訪れることもなく、


「久しぶりだな。一人で眠るというのは」


 学園生活が始まって以降はいつだって、隣に誰かが居た。

 しかし、今は。


「……さっさと寝るか」


 妙な苛立ちを味わいつつ、俺はベッドへ横たわり、瞼を閉じる。


 それからしばらくして。

 意識が、朦朧とし始め――――


 目を覚ますと同時に、柔らかな感触が全身から伝わってくる。


「あっ。に、兄様。おはようござい、ます」


 すぐ横から、ルミエールの声が飛んで来た。


「ご、ごめんなさい。ホントはいけないことだと、わかってはいるんですけどぉ……兄様が隣に居ないと、眠れなくて」


 悪びれたように微笑んで、小さく下を出すルミエール。

 そんな愛らしい姿を目にしてから、すぐ。


“ホント、体だけは最高だよな、このメスガキ”


“あぁ、そうだ”


“肉体を取り戻したら、こいつを真っ先にブッ壊してやるよ”


“お前にその様を、特等席で見せてやる”


“俺に初めてを奪われたら、こいつはどんな顔してくれるんだろうなぁ?”


 不愉快な声が、平時以上に心をざわめかせた。


 孤独を感じながらの就寝。

 それを経た後に見たルミエールの姿は、より一層愛おしく……


 ゆえにこそ、アルヴァートへの怒りが、ことさら強くなっている。


「……奪わせは、しない」


 呟くと同時に、俺は奴に対する宣戦布告の方法を、思い付いた。


「ルミエール。前言を撤回するわけじゃないが……少々、付き合ってくれ」


「ふぇっ?」


 瞬間。

 俺は彼女へと覆い被さり、その柔らかな頬を緩やかに撫で回すと、


「えっ。に、兄さ――――」


 彼女の唇を、躊躇うことなく奪った。


「んむっ……ちゅっ……」


 幻覚催眠によって付与された性欲の減衰とEDにより、蕩けていくルミエールの様相を目にしても、強い欲求など湧いて来ない。


 ただ……

 彼女への愛情と、を目的として。

 俺は、ルミエールへの行為を続行する。


「ぷぁっ…………に、兄様……? こういうことは、しないんじゃ……?」


「あぁ。だが……今は君の艶めいた顔が、見たいんだ」


 言うや否や、俺はルミエールと共に起き上がり……

 彼女の背面から、脇下へと手を入れ込んで。

 小柄な体躯には不釣り合いな爆乳を、思うがままに揉みしだく。


「ふぁっ……♥」


 色気ある嬌声が耳に届くが、やはり肉欲など微塵も感じることはない。

 しかしながら。


「に、兄様ぁ……♥」


 こちらの手によって、幸せそうに快楽を享受する彼女の顔を目にすることで。

 それそのものを、奴への宣戦布告とする。


“ハッ! キザな野郎だ!”


“だがこれで、ますます聞きたくなったぜ!”


“陵辱されるメス共を目にしたとき、お前はどんなことを口にするのかなぁ!?”


 アルヴァートの声に、俺は次の言葉を返した。


「そんなことにはならない。俺は皆を守り……心身共に、幸福へと導いてみせる」


 こちらの呟き声にルミエールが反応を寄越すよりも、前に。

 俺は彼女をさらなる領域へ導かんと、行為をエスカレートさせていく。


 ……その後。

 およそ二〇分ほどの時間を経て。


 ようやく、俺は落ち着きを取り戻した。


「……すまないな、ルミエール。俺の個人的な問題に、付き合わせてしまって」


 ベッドに横たわる彼女は、もはや問答が出来ぬほどの状態になっていた。


 腰を小刻みに震わせながら、緩み切った口元から荒い呼気を吐く。

 そんな彼女を尻目に、俺はベッドから降りて、小さな窓から外部の様子を検める。


 時刻は明朝。

 あと三時間もせぬうちに、目的地へと辿り着くだろう。


「……今回のシナリオは、速やかに終わらせたいものだな」


 無意識のうちに拳を握り締めながら。

 俺は改めて、決意する。



 我が内に宿る不快な存在を、一刻も早く、消し去ってやる、と――

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