第五三話 根本的な対処法は、何処に――


 畏怖。恐慌。不安。

 精神を狂わすそれらを必死に抑え込みながら、俺は考察する。


 ……転生を自覚した時点で、が、今まさに仇となって襲い掛かってきた。


 現状をそのように理解しつつ、俺は自らの失敗を反省する。


 もっと早く、自らの思い込みに気付くべきだった。

 そう……

 俺はアルヴァートの人格が、自らのそれによって上書きされたものと、そんなふうに決め付けていたのだ。


 しかし実際は、上書き保存でなく、別名保存――


“ごちゃごちゃうるせぇなぁ!”


“さっさと体を返せッ! この盗人野郎がッ!”


 ――やかましい声を無視して、俺は考察を進めていく。


 こちらに対して干渉出来なかった彼が、なぜ今となってそれが可能となったのか。


 状況証拠から察するに……

 肉欲を解放したことが、原因ではなかろうか。


 少なくとも、現段階においてはこれ以外に有力な説はない。


「え、えっと……兄、様……?」


 ルミエールの一声を皮切りに、皆が次々と疑問を口にした。

 いったいどうしたのか、と。

 それに対し、俺は。


「荒唐無稽な話になるが……どうか、信じてほしい」


 自らの素性を伝える。

 無論、彼女等が受け止めやすい形に改変したうえで。


「むぅ……そう、だったのか……」


「ある日を境に、兄様の性格が変わったのは、それが理由だったんですね……」


「悪しき人格を抑え込むために生まれた、善の人格。それが今の君なんだね、アルヴァート君」


 俺は現代日本からやって来た転生者だと馬鹿正直に述べたところで、すんなりと受け入れることは難しいだろう。


 だからこそ、アルヴァート・ゼスフィリアという邪悪な性根の持ち主に、あるとき、神が別人格をもたらしたのだと。


 そんなふうに改変した内容を口にした結果、皆はアッサリと受け入れてくれた。


「今、俺の中に封じられていた悪しき人格が、こちらを押さえ付けて、表に出ようとしている。先ほど自らの左手を切り落としたのは、そういった理由によるものだ」


 言いつつ、左手を再生したのだが……

 機能障害は発生していないものの、妙な違和感が左手全体を覆い尽くしている。


「……どうやら、支配権を奪われつつあるようだな」


 今はただ、違和感を覚える程度で済んでいるが……進行していったなら、完全にあちら側のものになるのだろう。


 そこからさらに進んでいけば、最終的には。


「……あまりにも最悪な結末になる、か」


 もしも人格が交代し、本物のアルヴァートが肉体を奪還した場合。

 彼を止められる者は、皆無である。


“ハハッ! そうだよなぁ!”


“原作ってやつで俺を殺しやがった女は、今!”


“完全に! 無力化されてるんだよなぁ!”


 ……不愉快なことに、彼とは思考と記憶が共有されているらしい。


 アルヴァートが言った通り、原作にて彼を惨殺したセシルは今、誓約の魔法によって無力化されている。


 こちらへの忠義を生涯貫き、もし再び敵対するようなことがあれば、死を賜る、と。

 そんな誓約を行ったがために、我が最強の切り札は、死神へ戻ることが出来ない状態にあった。


「……いいか、皆。これから話すことは、君達にとって不都合な内容となるだろうが……問答無用で、確定事項とさせてもらう」


 アルヴァートの人格による侵食を防ぐ方法。

 それは現在、一つしか考えられない。


「いま陥っている状況は、肉欲を解放した結果である、と。もしその仮説が正しかった場合……我が半身を機能不全にしたうえ、脳の作用すらも一部停止させたなら、侵食を阻むことが出来るはずだ」


 いわゆるEDの状態を付与し、そこからさらに、性的欲求を微塵も感じないようにする。


 果たして、その方法とは。


「……適応の異能を遮断し、幻覚催眠の効力を我が身に与えれば、あるいは」


 呟くと同時に、それを迷うことなく実行。


 ……どうやら、上手くいったらしいな。

 つい先刻まで極上の女体として認識していた彼女等の姿が、今やカカシのように感じられる。


 無論、扇情的な感覚や性的興奮などは、一切ない。


「別人格への対処が完了するまで……君達との性的な交流は、控えさせてもらう」


 並大抵の女であれば、文句の一つでも言ってきそうなものだが。


「はい。了解しました、兄様」


「うむ。当然の措置だな」


「早急に、対応策を考えませんと……!」


「別人格との戦い、か。なんとも、難しい話だね」


「ぜったい、助けて、みせる……!」


 皆、納得してくれたようだ。

 が……ただ一人。

 エリーだけは、複雑な顔をして。


「悪しき人格というのは、もしや……」


 彼女はただの性欲魔神ではない。

 それが絡まぬ限りは、聡明な女性である。


 ゆえに当然、勘付いているだろう。

 我が肉体の主導権を奪わんとする別人格こそが、真の主人であるということを。


 ……よもやエリーの存在が、ここに至り、大きな不安要素になるとは。


“ハハハハハハハ! メス豚のうち一匹は、俺の味方なんだよなぁ!?”


“せいぜい怯えて過ごせよ! 腹ん中の虫に!”


 不愉快な声を黙殺しつつ、俺は次の言葉を口にした。


「皆、何か知恵はないか?」


 返ってきたのは……沈黙である。

 無理もない。

 特定の対象から別人格を消し去る方法など、知らなくて当然だ。


「…………」


 室内に沈黙の帳が降りる。

 事態は早くも暗礁に乗り上げたのかと、胸中にて呟いた……そのとき。


「あるいは」


 クラリスが口を開き、そして。

 次の瞬間。

 希望をもたらすやもしれぬ存在の名を、紡ぎ出す。



「――リンスレット様であれば、何か名案を授けてくださるやもしれませんわ」

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