第五〇話 獲得した幸福と……その弊害


 セシリアの内にある純白の世界。

 そこから帰還した瞬間。


 巨大な双丘が、視界を埋め尽くした。


 ……どうやら、セシリアに膝枕をされているらしい。

 後頭部に伝わる太股の柔らかさと、体温。

 それを惜しみつつも、俺は上体を起こし……


「アルヴァートっ……!」


 震えた声が耳に入ると同時に、視界が再び、双丘によって埋め尽くされた。


 膝立ちで抱きついてくるセシリア。

 そうされたことによって、彼女の爆乳に顔面を埋める形となる。


 甘やかな香りと、心地良い体温。

 そして……扇情的な感触。


 それらは男の本能を強く刺激するものではあるが、しかし。


「うぅっ……! よか、った……! 本当に、よかった……!」


 この状況で肉欲を優先するほど、俺は性的に飢えてはいない。


「君が抱えた問題は、全て解決した。もはや君は何物にも縛られることなく……これまでの不幸を、払拭することが出来るだろう」


 抱き締められたまま、彼女の背中を優しくさすってやると、


「ふ、ぅ……うわぁあああああああああああんっ!」


 感極まったのか、セシリアが大泣きし始めた。


 ……そろそろ窒息しそうなので、離してはくれまいか。


 そんな本音を決して漏らすことなく。


 俺はセシリアの激情を、受け止め続けたのだった。



   ◇◆◇



 クラウスとセシリア。

 両名を中心に発生したシナリオは、完全なる決着を見せた。


 しかして。

 未だフィナーレを迎えたわけではない。


 そのように断言出来るのは、あるイベントを終えた後だろう。

 即ち――


 延期となった、挙式である。


 諸悪の根源を消し去り、セシリアを救済してから、七日後。

 皆が再び大聖堂へと集い、そして。


 俺は今、真紅のバージンロードを歩いている。


 その周囲には、花嫁姿の美しい少女達が寄り添っていて。


「やっと、ですね。兄様」


「さすがに今回は、中断することもなかろう」


「ふふ。もしトラブルが起きたとしても」


「うん。逆に、障害が発生した方が、燃えてくるってもんだよね」


「なにが起きても、関係、ない。わたし達は……アルヴァートのお嫁さんに、なるんだから」


 誰もが頬を赤らめ、幸せそうに口元を緩ませていた。


 ……まぁ、一人だけ、例外も居るのだが。


「ご主人様っ! 絶対に後で埋め合わせしてくれよっ! 絶対だぞっ!」


 未来からやって来たエリーゼ、通称・エリー。

 彼女には依然として、隠し玉という立場を貫いてもらっている。

 よって挙式の本番においては、見学に徹することとなった。


 ……ちゃんと後で埋め合わせはするので、勘弁していただこう。


 ともあれ。

 俺は皆と共に、神父が待つ祭壇へと向かう。


 その道中、さまざまな感慨が湧き上がってきた。


 ……転生を自覚した当初、俺は凡庸かつ平穏な暮らしを、目標として掲げていたわけだが。


 現状は間違いなく、凡庸というところから大きく逸脱している。


 さりとて。

 俺は、そうした状況を受け入れていた。


 かつてクラウスの中に宿っていた彼が述べたように、平穏であるということと、特別であるということは、両立が可能であると、そのように心変わりを果たしたからだ。


「…………絶大な不幸は論外として。圧倒的な幸福もまた平穏を遠ざけると、以前まではそう考えていたが、しかし」


 ボソリと漏れた声は、周囲から飛び交う祝福の声で以て、掻き消された。


 そのまま俺は、誰に向けてでもなく、滔々と言葉を紡いでいく。


「幸福という概念の捉え方が、元居た世界とこちらとで、大きく異なっている。だからこそ俺は……自らの軸がブレることを、許容した」


 あちらの世界における幸福とは、常に不愉快な要素と隣合わせであった。


 愛を囁く女はいずれも、こちらの肩書きのみを認識し、俺自身のことなど興味の埒外。

 友情を誓い合った男達は、ある局面に立つと、平気でこちらを刺してくる。


 少なくとも。

 あちらの世界において、俺は友情も愛情も得ることは叶わなかった。


 それゆえに……人格的な歪みが、生じたのである。


 不幸だけでなく、幸福すらも拒絶するといった異常性。

 それはひとえに、元居た世界の薄汚さが元凶であった。


 ……無論、こちらにも、そういうところはあるのだろう。


 誰もが真っ直ぐに俺を愛してくれるわけではない。

 誰もが正直に、俺を友と認めてくれるわけでもない。


 だがそれでも。

 俺は今、周囲に立つ彼女等を……


 心の底から信じ、そして、愛したいと思っている。


「――ではこれより、誓約と祝福の御言葉を、主より賜ります」


 祭壇に辿り着いて以降も、前回とは違い、特別な問題など起きることはなかった。


 ゆえに。

 婚約の儀における最終段階。


 皆との口づけへと、至る。


「最初はと~ぜん! ルミですよね! 兄様っ!」


 こちらへ一歩前に出た彼女へ首肯を返すと――


「血の繋がりなど関係なく、君を愛することを誓う」


 ルミエールの唇に、自らのそれを重ねた。


「えへへ……♥ ルミは今、世界で一番幸せです、兄様……♥」


 続いて。

 エリーゼがこちらへと歩み寄り、


「より良い未来を築こう。家庭という小さな社会だけでなく……国という、大きな社会においても」


 かつては方便として口にしていた目標。

 しかし今では、彼女のために努力してもいいと、そう捉えている。


「共に歩んでいきましょう。理想的な道を」


 エリーゼの唇へと、自らのそれを重ねる。


「理想が成就するまで、子は成さないと述べていたが……心変わりすることを祈るぞ、アルヴァート」


 言ってからすぐ、エリーゼは小さく囁いた。


「わたしはいつでも、孕む準備が出来ているからな……♥」


 それから。

 離れていくエリーゼと入れ替わる形で、クラリスがこちらの眼前に立ち、


「し、ししし、心臓が破裂しそう、ですわ……!」


 熟れたリンゴのように顔を紅くする彼女を目にしながら、俺は微笑を浮かべ、


「今の貴女様ほど、愛らしい女性は存在しないでしょうね、クラリス様」


 彼女の肩を掴み、優しく抱き寄せ……

 唇を重ね合う。


「あぁ……夢なら、覚めないでくださいまし……」


 浮ついた足取りで離れていくクラリス。

 それから。


「君はボクの救世主だよ、アルヴァート君。……こんなふうに笑える瞬間がやって来るだなんて、思ってもみなかった」


 かつて我が死神であった少女は今、愛らしい花嫁となって、俺の前に立ち……

 次の瞬間、こちらの唇を奪った。


「……これで、皆との違いが出来たかな」


 花嫁の一人という立場に甘んずるつもりはない、と。

 誰よりもこちらを愛し、そして……誰よりも愛されてやる、と。

 そんな意思を宿した瞳で俺を見つめながら、セシルは言った。


「ボクは無敵の切り札であり……最高のお嫁さん、だろ? アルヴァート君」


 頼もしいを通り越して、ちょっとした恐怖すら感じる。

 が、それもまた彼女の魅力であろう。


「前者については、異論の余地もないよ、セシル君」


「……ふふ。やっぱり攻略のしがいがあるよ、君は」


 不敵な笑みを浮かべ、離れていく。

 そんなセシルの横を通って……


 最後の花嫁が。

 セシリア・ウォルコットが。


 俺の前に、立つ。


「……なにを、言えば、いいか。わから、ない」


 喜びと同時に、当惑をも抱えたような顔。

 そんなセシリアの頭を撫でながら、俺は言った。


「願いを口にしてくれ。どんなものであろうと、叶えてみせる」


 こちらの断言を受けてから、すぐ。

 セシリアは微笑を浮かべ、


「幸せに、なろう、ね。アルヴァート。……皆と、一緒に」


 こちらの頬に両手を添え、唇を重ね合う。

 

 ――かくして。


 拒絶し続けていた、激しい幸福を。

 俺は今、誰よりも強く、噛み締めるのだった――



   ◇◆◇



 式を終えてからすぐ。

 俺は適当な言葉で皆を偽り、大聖堂の外へ出た。


 そうして、人気のない物陰へと移り……



「さぁご主人様。埋め合わせを、してもらおうじゃないか……♥」



 瞳にハートマークを浮かべたエリー。

 その言葉に首肯を返してから、俺は彼女と唇を重ね合い……


 顔を離そうとした、瞬間。


「んちゅっ……♥」


 エリーがこちらの後頭部を掴み、そして。


「んぇろっ……♥ ちゅっ……♥ んむっ……♥」


 こちらの口内を犯すかのように、入れ込んだ舌を乱回転させる。


 ……俺としては、皆のときと同様、軽いキスで終わらせるつもりだったのだが。


 しかし、ここで彼女の要求を突っぱねられるほど、自分勝手にはなれない。

 このエリーもまた、皆と同様に、愛する花嫁の一人なのだから。


 そこに加えて、比較的、冷遇しているという負い目もある。

 ゆえに俺は……

 エリーの想いに、応えることにした。


「んむっ……!?」


 こちらの口内を撫で回していた舌に対し……俺は、自らのそれを絡ませていく。


「んふっ……♥ ぇろっ……♥ ちゅっ……♥ ちゅぶっ……♥」


 嬉しそうに頬を緩ませながら、より一層激しく、唇を貪ってくる。

 そんなエリーに負けじと、こちらも彼女の舌使いに応えた。


「むちゅっ……♥ んぇろっ……♥ ん、ちゅっ……♥」


 淫らな水音を立てながら、舌を絡ませ合う。

 そうしていると、必然的に。


「ぷぁっ♥ ……ふふっ♥ お互いに準備万端といったところだな……♥」


 激しいディープ・キスを経て、俺達は心身共に昂ぶっていた。


「この瞬間を、どれほど待ち焦がれたか……♥」


 エリーの色欲は、他の花嫁達を圧倒するほど強い。

 だからこそ、今まで俺は、幻覚催眠を用いて彼女の行動を制限してきた。


 が……事ここに至ってなお、そうした状況を続行するのは、無粋というものではなかろうか。


 そのように考えたからこそ、今。

 エリーは無制限の状態となりて、こちらを誘惑する。


「お互いに、もう我慢するのはやめにしようではないか……♥」


 耳元で囁いてから。

 彼女はスカートをたくし上げて。

 褐色の太股と――

 準備を万端にさせたを見せ付けながら、蠱惑的に微笑んだ。


「誰よりも先に、わたしを孕ませてくれ……♥ だ・ん・な・さ・ま……♥」


 最後の言葉は、こちらの耳元で。

 艶めいた吐息と、艶やかな声音を混ぜ合わせながら、囁かれた。


 ……俺は自制心が強い男だと、自負している。


 だが、そうであっても。

 このような状況となっては、もう。


「……技巧の拙さに、目を瞑っていただけるなら」


 これを受けて、エリーは艶然と笑い、


「わたしへの気遣いは不要だぞ、旦那様……♥ そちらが気持ち良くなってくれたなら、わたしはそれだけでいい……♥」


 もはや。

 我慢など、出来るわけが、な――――




“……の体を……せ……”




 ――瞬間。


 ゾワリと全身が総毛立ち、熱意の全てが消え失せた。


「ッッ……!」


 目を見開き、後ろ退る。

 そんなこちらに、エリーは水をかけられたかの如く、表情を一変させて、


「む。どうしたのだ?」

「い、いえ……」


 なんでもないと言うには、あまりにも。


 あまりにも、おぞましい感覚が、全身に広がっている。


「今の声は、いったい……?」


 わからない。

 理解がまだ、及ばない。


 そう……



 この時点では、知る由もなかった。



 幸福と不幸は表裏一体。

 それはこの世界であっても、同じ事だと。


 近い将来。

 俺は、自らの運命と向き合うことで、それを自覚し……


 本来であれば。

 を、脳裏に浮かべることとなる。

 

 俺はアルヴァートにして、アルヴァートではない。

 彼の体に宿った、別人である。


 であれば。

 さて。



 ――――は、いったい、どこに居るのだろうか?

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