第二〇話 もし、悪が居るとするならば――


 原作、最後の楽園において、セシリアは悪役と隠しヒロイン、二つの役を務めた。


 ノーマル・ルートにおいては悪役として活動し、魔王の復活と世界の滅亡という目的を果たす。


 隠しルートにおいては、本作における唯一の攻略対象となり――

 ザイルとの絆が芽生えたことで、世界を滅ぼすという目的を捨てた。


 しかし。

 本作、最後の楽園には、上述した二つのルートが存在するわけだが。


 いずれも、最悪な終わり方を見せている。


 ノーマル・ルートはいわずもがな。

 寝取られたヒロイン達は徹底した陵辱によって精神を崩壊させ、最後にはクラウスが、ザイルの目の前で皆殺しにする。


 その帰結として、ザイルの精神もまた狂気へと陥り……

 魔王の復活によって、誰も彼もが死亡する。


 一方で、隠しルートはと言えば。


 まず、ヒロイン達が寝取られるという結末には、何も変わりがない。

 彼女達は快楽の虜となって、ザイルのもとを去った。


 そのうえで。

 ザイルはクラウスへと復讐を果たし……


 真実の愛を誓い合ったセシリアを、その手で殺害する。


 さもなくば、世界が滅んでしまうから。


 そう。

 セシリアは憎むべき悪役であると同時に。

 どう足掻いても必ず命を落とす、悲劇のヒロインとして設計されているのだ。


「わたしの中に、居る、勇者は……魔王の魂によって、抑え、られてた……」


「あぁ。だが、そうは言っても」


「うん。遅かれ、早かれ……わたしの存在を、突き破って……世界に、出てくる」


 そうだ。

 だからこそ、彼女は。


「生まれて、くるべきじゃ、なかった……」


 存在そのものが罪だと、セシリアは己を定義しているのだろう。


 それは否定しようのない真実だ。


 世界を滅ぼそうという意思があろうとなかろうと、結局は、魔王と勇者、二つの魂を世界へと顕現させ、何もかもを滅ぼしてしまう。


 そんな彼女の存在は、まさしく諸悪の根源、であるが。

 しかしそれでも、俺は。


「消えるべき存在があるとしたなら。それは間違いなく……君では、ない」


 原作を終えた後も、俺は同じ結論を出していた。


 邪悪と呼ぶべきはセシリアではなく、勇者である。


 そもそも魔王の復活によって世界が滅びたのも、勇者の魂が干渉したことによるものであって、魔王が復活すること自体は何も問題ではない、

 それはクラウスが魔王の力を制御していたことからして、明らかであろう


 ゆえに俺は、胸を張って断言する。


「消えるべきは、君の中に宿る勇者の魂だ」


 そのように考えていなければ、わざわざ困難な道を選択してなどいない。


 シナリオの全貌を把握した時点で、クラウスとセシリア、両者を排除すれば全てが解決していたのだ。


 それを実行せず、あえて遠回りな道を選んだのは。


「セシリア。君を救う方法が、たった一つだけ存在する。……君自身、思い当たる節があるだろう?」


 さもなければ。


「クラウスが消失した時点で、君は自由の身となっていた。つまり、自分の生き死にも好きに出来るということだ。であるにも関わらず、君は自らの命を絶ってはいない」


 それが、何よりの証拠だ。

 セシリアは、確実に、


「死を望んでなどいない。この世界で、俺達と生き続けたい。……そうだろう? セシリア」


 彼女はピクリと、唇を震わせて。


「……気の迷いは、あるよ。だから、希望を、残そうとした。でも、やっぱり」


 セシリアは言った。

 自分の死こそが、もっとも簡単で、誰も傷付かない結末なのだと。

 それに対して、俺は。


も思ったことだが……なぜ正直に、助けてくれと言えないのだろうな」


 セシルの顔を脳裏に浮かべつつ、俺は言葉を紡いだ。


 らしからぬことだと、思いながらも。

 正直になれない彼女へ。


 俺自身の、正直な感情を、叩き付ける。


「なぁセシリア。俺はな、他人というものを信じ切れない、哀れな男だよ。しかし、それでも……君のことは、信じたいと、そう思ってるんだ。なぜならば」


 本心から、俺を愛していると、そう言ってくれた。

 本心から、俺と家庭を築きたいと、そう言ってくれた。

 そんなセシリアを、俺は。


「君がこちらに向けた情と同程度に……俺もまた、君のことを想っている」


「っ…………!」


 あぁ、本当に、らしからぬことだ。

 実に実に、気恥ずかしい。


 だが、それでセシリアの本音を引き出せるなら。

 いくらでも、恥を掻いてやろう。


「俺は君に、生きていてほしいと願っている。皆と同じように、俺の傍に居てほしいと、心の底から願っている。……君はどうだ? セシリア。ヒロイックな情を優先してまで、俺のもとから消えてなくなりたいと、本心からそう言えるのか?」


 ここで彼女は。


 普段通りの、無機質な顔を、歪ませて。


 純白の美貌に、悲哀を宿しながら。


「わたし、本当は……ダメなこと、かも、しれないけど……」


 頬を伝う、大粒の涙。

 小さく震える、華奢な肩。


 そして――

 次の瞬間、セシリアは自らの本心を叫んだ。



「死にたくないよっ……! アルヴァート……!」



 この言葉に、俺は。


「あぁ。死なせはしない。必ず、救ってみせる」


 力強く頷き、そして。

 飛び込んできたセシリアを、抱き締めた。


「ごめん……ごめん、ね……勝手なこと、言って……」


「前述した通り、悪が居るとするなら、それは勇者だ。君が気にすることは何もない」


 こちらの胸元で泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でる。

 そうしてしばらく、慰めた後。


「君を救うための具体案を、説明してもいいか?」


「……うん」


 きっとその筋道は、セシリアの中にあるプランとさして変わりがないものだろう。

 ゆえに俺は答え合わせを行うような感覚で、口を開いた。


「君の、サキュバスとしての力……、自らの内側へ誘うというそれを、利用する」


 彼女が転入した当初、こちらを誘惑するために用いられた、純白の夢世界。

 あれはセシリアの内側そのものであり、完全な別世界ではない。

 よって、彼女が望んだなら、


「君の世界で……君の内側に宿る勇者の魂と交戦し、これを討つ」


 現時点においては、この方法以外に、セシリアを救済する術はない。


「……危険、だよ? 死ぬかも、しれないん、だよ?」


「セシリア。俺が聞きたいのは、そんな今さら過ぎる言葉じゃない。このプランが実行可能であるか否か。それだけだ」


「…………うん。出来る、と、思う」


 よし。

 では、早速。


「俺を君の内側へと、誘ってくれ」


 彼女はこちらをジッと見つめながら、


「……ぜったいに、帰ってきて、ね?」


 再び涙で潤み始めた瞳。

 それを見つめ返しながら、


「当たり前だ。君も理解しているだろうが……俺は、勝算のない賭けはしない男だよ」


 うっすらと、笑みを浮かべて見せる。

 そんな俺へ、彼女は首肯を返し、


「がんばって、アルヴァート……!」


 セシリアの激励を耳にした、次の瞬間。

 彼女の全身が淡く煌めき――



 目前の光景が激変する。



 以前にも見た、純白の世界。

 だが、そこには一つ、変化があった。


 目前に立つのは、セシリアではない。

 まるで混沌を凝縮したかのような、ドス黒い球形状の何か。

 それはやがて人型を形成し……

 勇者としての姿が、再現されたと同時に。


 俺は、目を見開いた。


「……たまげたな」


 思わず吃驚の情を零したこちらへ、相手方はくつくつと笑い、



「そうだよ。その間抜けヅラが、見たかったんだよ」



 聞き覚えのある声。

 見覚えのある、顔。


 それを前にしながら。

 俺は、胸中に芽生えた感慨を、口にした。


「これは……君がこちらへと刻み込んだ、初めての想定外だ」


 果たして。

 セシリアの内側に在った、勇者とは。



「ド三流という前言は、撤回させてもらうよ――――


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