閑話 戦争勃発の危機に対し、何も知らされぬまま、責任を負うことになった


 リングヴェイド王国において、侯爵は貴族位の実質的な最高峰である。


 そこよりさらに上の公爵位に関しては、王族か、それに類する家柄にのみ与えられるものであり、これを賜るようなことは、ほとんどない。


 そうした権力構造の只中に在って、アルヴァートの生家たるゼスフィリアは、特殊な立ち位置となっていた。


 侯爵でありつつも、公爵に等しい存在。


 かつては間違いなく、そのように扱われていたわけだが、ここ数十年は斜陽に陥っていることもあってか、ゼスフィリアは軽視されがちであった。


 しかし現在。

 アルヴァートの誕生によって、ゼスフィリアは全盛期の威光を取り戻しつつある。



 今、彼の父たるリチャード・ゼスフィリアが、国家間会議の末席に就いているのは、それが主たる原因であった。



 リングヴェイド王国とハルゲニア共和国。

 両者の首脳陣が一堂に会する、この重大事は、常に公爵以上の存在にしか参席を許されてはいなかった。


 かつてのゼスフィリアは候にして公であったがゆえに、常々、席を用意されていたものだが……今回の参席は、実に四〇年ぶりとなる。


 さりとて。


 リチャードの内心には復権に対する喜びなど微塵もない。


 王国の宮殿内にて行われている会議の様相が、あまりにも剣呑なものだったからだ。


「ところで……女王陛下は、チェスを嗜んでおられるとか」


 共和国の主、ゴルテア・ボートウェルが、顎髭を撫でながら言葉を紡ぐ。


「私もそれなりの腕前と自負しているのですが……いずれ一局、手合わせを御願いしたい」


 為政者達の言葉というのは、例外なく裏があるものだ。


 リチャードを含む、王国の首脳陣は皆、それを十全に把握している。


 無論、今代の女王、レミエル・リングヴェイドとて例外ではない。


「……わたくしの力量では、ゴルテア様のお相手など務まりませんわ」


 この言葉に対し、共和国の主は次のように述べた。


「対局の際、私は常々、敵に戦略を明かすようにしておりましてな。それぐらいのハンデがないと、つまらないのですよ」


 相手の意図など無視して、一方的に話す。


 それは、まさに。


 確定事項を淡々と突きつける、侵略者の態度であった。


「さて。コロコロと話を変えてしまい、たいへん恐縮ではありますが……ここ最近、我が国において薬物が蔓延しておりましてなぁ」


「……それは、お気の毒に」


「えぇ、えぇ。まったく以てその通りです。麻薬のせいで、我が国は今や薬物中毒者だらけとなっている」


 ここでどのような言葉を返すか。


 それで全てが決まるだろう。


 王国側は誰もが緊迫した様子で、女王の言葉を待った。


 彼女はしばし、考え込んだ末に。


「……我が国は今、人材に恵まれておりますわ」


「えぇ。存じておりますとも」


「……リンスレット・フレアナインの存在も、ご存じで?」


「えぇ。しかしながら……こちらには、が居る」


 互いに最強のカードを見せ合う形。


 それでもなお、抑止は不可能と女王は判断した。


 さりとて、まだ、諦観を抱くには早い。


「近いうちに、学生達の交流戦が行われますわね。わたくしは観覧する予定ですが……ゴルテア様も、いかがですか?」


 この誘いに対し、共和国の主は、


「是非、そうさせていただきましょう。貴国の若者達がいかなる可能性を見せてくれるのか、実に楽しみだ」


 これにて会議は終了。


 退席する共和国の面々。


 しかし王国側は誰一人として席を立つことなく。


 相手方が全員、退室したところで。


「…………血迷ったか、ゴルテア」


 公爵の一人にして、エリーゼの父。


 ガイアス・ルシフォルが、厳めしい貌を顰めさせながら、溜息を吐いた。


「彼奴の発言は……宣戦を布告するものとみて間違いなかろう」


 誰もが沈痛な顔を見せながら、首肯を返す。


 解釈違いなどありえない。


 それほどまでに、共和国側の言葉は明瞭な内容だった。


 ……とはいえ。


「共和国との一戦。まだ確定したとは言えますまい」


 リチャードが口を開き、言葉を重ねていく。


「幸か不幸か、相手方は我等と事を構えるにあたって、その判断材料を提示してきた。即ち――」


「学園同士の交流戦、ですわね」


 女王・レミエルの言葉にリチャードは首肯を返す。


「左様にございます、陛下。件の交流戦にて、彼奴めは品定めを行うつもりなのでしょう。その結果いかんによっては」


「戦を回避することが可能である、と」


 王国の正規軍が有する戦力。

 これに関しては、相手方も十全に把握しているのだろう。


 だが学生達については未だ、不確定要素として映っている。

 それゆえに。


「交換留学という形で二名、を潜り込ませてきたことからして、相手方が貴人学園の生徒達を警戒していることは間違いない」


 クラウスとセシリア。


 二名の留学生に対し、リチャードはそのように解釈していた。


 そんな彼の推測は強い説得力を帯びていたため、全員が得心した顔で頷く。


「此度の一件、全ては学生達の活躍次第かと」


 共和国側にとって、尋常ならざる想定外が見受けられたなら。

 きっと彼等は矛を収めてくるだろう。


 そして、その可能性は十分にあると、リチャードは見ている。


 ゆえにこそ。

 彼はこの会議を、交渉の場として、利用することにした。


「畏れながら、陛下。我が息子、アルヴァートについては、ご存じでしょうか」


「えぇ。もちろん存じ上げておりますわ」


 レミエルはうっすらと微笑みながら、次の言葉を投げる。


「クラリスだけでなく……シエラもまた、彼にはお世話になっているようですからねぇ」


 女王は全てを把握している。


 貴人学園にて発生した事件。

 その帰結として、アルヴァートがシエラにいかなる対応を行ったのか。


 それらの情報は、何一つとして取りこぼすことなく、女王のもとに届いていた。


「アルヴァートの所業、ご不快に思われたでしょうか?」


「いいえ? むしろ、貴方の御子息には感謝しておりますわ」


 レミエルはニッコリと微笑みながら、言葉を紡いでいく。


「貴方の御子息のおかげで、シエラは完璧な器へと矯正された。この場を借りて、お礼を申し上げておきましょう」


 今やシエラは、邪悪な第一王女ではない。

 優れた能力はそのままに、清貧を尊ぶ聖女へと変化を遂げている。


「貴方の御子息には、クラリスもたいへん、熱を入れているようですわね」


 水を向けられ、リチャードは内心にて、ほくそ笑んだ。


 女王はこちらの言わんとすることを理解している。


 そのうえで、遠回しな拒否ではなく、発言の許可を行ったということは。


 十中八九、この交渉は成功するに違いないと、リチャードはそのように考えた。


「……此度の一件、我が息子、アルヴァートにお任せください」


「ほう。彼がなんとかしてくれる、と?」


「左様にございます、陛下」


「ふむ。もし出来なければ?」


「その際には……我等、ゼスフィリア一同、自らの首にナイフを突き立てましょう」


 望ましい結果を出さなかったなら、一族郎党、皆殺し。

 そんなありえない約束を取り付けたリチャードに、皆が目を見開いた。


 けれども、ただ一人。

 女王・レミエルだけは笑みを深めて、


「よろしい。であれば……貴方の要求を、聞かせていただきましょうか」


 結果を出したときの褒賞。


 これについて、いかなるものを望むのか。


 リチャードの答えは。



「我が息子、アルヴァートと……クラリス様の婚約を、認めていただきたい」



 瞬間、場が騒然となる。


「あ、ありえんッ!」


「クラリス様には既に、婚約者がおられるのだぞッ!?」


「分を弁えよ、ゼスフィリアッ!」


 非難囂々であったが、しかし、女王は笑みを浮かべたまま、


「よろしい。結果を出した暁には、貴方の要求を呑みましょう」


 それはまさに、鶴の一声。


 女王に反論出来る者など、この場には居ない。


「クラリスにはより強壮な種を付けたいと考えておりましたので、むしろ此度の一件は好都合。もしアルヴァート・ゼスフィリアが見事に状況を解決したのであれば……これ以上の種は、望むべくもないでしょう」


 そのように断言してから。

 レミエルはガイアス・ルシフォルへと水を向けた。


「ガイアス様。貴方は、どういたしますか?」


「どう、とは……?」


「貴方の御息女も、彼には随分と熱を入れているというではありませんか」


「……はは。やはり、ご存じでしたか」


 文通にて、ガイアスはエリーゼの心境を把握している。


 だからこそ、彼は頭を悩ませていた。


「軽率な考えは捨てよと、そう窘めてもまるで言うことを聞かぬ。そんな娘には、ほとほと手を焼いておりましてなぁ」


 父がなんと言おうが婚約すると、そんな我が侭を貫かんとする娘に、ガイアスは呆れていたものだが……


 事ここに至って、考えが変わった。


「リチャード殿。貴殿の覚悟に、私は敬意を表する。そうだからこそ……貴殿の子息に、私も興味が湧いた」


 ガイアスは口元を笑ませながら、次の言葉を放った。


「もし、貴殿の子息が状況を解決へと導いたのであれば……我が娘を、そちらに嫁がせよう」


 またもや、場が騒然となる。


「い、いくらなんでも、それはッ……!」


「だ、第二王女と、公爵家の娘を、同時に娶るなど……!」


 彼等が口にしているのは、多重婚という倫理違反に対する非難、ではない。


 ゼスフィリアという、ある種の厄介者が、強大な権威を持つことを畏れての発言であった。


 もしクラリスとエリーゼ、両者をゼスフィリアが取り込んだ場合。

 その権勢は、全盛期のそれを上回るやもしれない。


 だがそうであったとしても。

 レミエルは自らの判断を、正しいものとして認識している。


「これからの時代には絶対的な強者が必要不可欠。わたくしはそのように断じておりますの。ゆえに、リチャード様。貴方の御子息には、期待しておりますわよ」


 かくして。


 当人には、何も知らされぬまま。



 とんでもない事態が、進行していくのだった――

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