第三〇話 淫魔な彼女の目的は
この世界には亜人種という概念が存在する。
とはいえ、彼等は少数民族であるため、そこら中に居るわけではない。
事実、リングヴェイド王国には亜人種がほとんど在住しておらず、見かけることなど稀も稀である。
だが、その反面。
ハルゲニア共和国は、亜人種の人口割合が極端に高い。
かの国において亜人種は奴隷も同然に扱われており……
それゆえに、人類種への憎悪は根深いものとなっている。
セシリア・ウォルコットとて、例外ではない。
「…………♥」
艶然と微笑みながら、ゆっくりと歩み寄ってくる彼女の姿を、俺は注視した。
たなびく白銀の美髪。
大人びた純白の美貌。
妖しげな真紅の瞳。
その顔立ちはまさに絶世の美少女と評すべきもの。
さらには。
「この、体で……いっぱい、気持ちよくしてあげる、ね……♥」
すぐ目前に立つ、極上の女体。
それはまさに、扇情性という概念を極め尽くした、究極の完成形。
……無論、ここで屈する俺ではない。
色仕掛けを目的とする女に気を許すなど、愚の骨頂である。
だからこそ。
今、セシリアの乳房へと向かう、この手は。
あちら側の意思によって、我が身が操作されていることの証であった。
この純白の世界は、サキュバスの能力によって形成されたもの。
ここはまさにセシリアの領域であり、彼女はこの場における神に等しい。
それゆえに。
「抗っても、無駄、だよ……♥」
首輪から伸びる、闇色の薄い布地。
それに覆われたセシリアの爆乳へと、こちらの右手が近付いていく。
……なるほど。魔法の行使は不可能、か。
自己意思による抵抗も、セシリアの言葉通り、不可能。
であれば。
指先が乳房の先端に触れる、その直前。
俺は自らの内側に宿る、二つの異能が一、適応を発動する。
「…………っ」
どうやらこれは、通用するらしいな。
操られていた右手が停止し、それから。
純白の世界が、崩壊した。
――次の瞬間。
俺は、現実世界にて覚醒する。
薄暗闇の中、まずは両隣を確認。
ルミエールとエリーは普段通り、こちらに全身を絡ませながら、安らかな眠りに就いていた。
その姿を認めた後……視線をベッドの横へ移す。
果たして、そこには。
「……すごい、ね。アルヴァート」
目を丸くして、驚いた様子を見せる、セシリアの姿があった。
「夢の、世界。壊されたの、初めて」
彼女は色欲だけの愚者ではない。
自らの能力を打ち破った原因を、正確に特定したはずだ。
そのように推測したからこそ。
俺は自らの手札をあえて、知らしめた。
「我が身には適応の異能が宿っている。自身に対して生じたあらゆる不都合を無効化する力だ。よって君の能力は、いかなる内容であろうとも通じはしない」
さて、この文言に対し、セシリアはどう出るか。
こちらの予想としては、別の手札を探るような発言を――
「…………交尾、しよ?」
――完全な想定外に、今度はこっちが目を見開くことになった。
「何を言ってるんだ、君は」
「わたし、と……一つに、なろ……?」
言い方を変えただけ、とも思えるが。
脳裏に別の可能性がよぎる。
「……適応のルールに、拡張性が認められるか否か。それを確かめたいということか?」
深読みかもしれないが、可能性はゼロじゃない。
適応の異能は、自らに対する有害な概念を消し去るというもの。
この「自ら」というルールには、拡張性が認められるかもしれない。
「比喩表現でしかないが……性交渉はよく、相手と繋がるとか、一つになるとか、そのように表現される。それが異能のルールに適用されるのであれば」
俺と一つになったセシリアも、適応の範囲内となる。
つまりは。
セシリアに掛けられた、有害な概念を消し去ることが、可能になるということだ。
「……君は誰かに、操られているのか?」
この問いかけに対し、セシリアは何も答えなかった。
口をパクパクと動かして、何かを伝えようとしているのだが……
解読も理解も不能である。
「まぁ、操られているのであれば、それを他者に伝えられない状態になっているのが当たり前ではある、か」
さりとて。
彼女が真に、操作されているのかどうかについては、現状、なんの証拠もない。
よってセシリアの言葉を信じ込み、性交渉に及ぶといった選択は、論外である。
「現時点において、君の発言は罠としか思えない。なぜなら……俺は君の全てを、知り尽くしているからだ」
「……えっ」
再び目を丸くしたセシリアへ、俺は自らが知り得る情報を叩き付けた。
彼女の生い立ち。
その苦境が生み出した、世界への憎悪。
これを解消することが、セシリアの目的であると断言し――
俺は、その手段さえも指摘してみせた。
「魔王の半身。それを利用することで、君は世界を破壊しようと目論んでいる」
かの共和国には、かつて魔王と称されし者が存在した。
彼はフィクションにおける宿命を辿る形で、勇者の手によって討伐され……
しかし、その魂は滅ぶことなく、世界に留まり続けた。
それから、長い年月を経て。
「魔王の魂は二つに分かたれ、そして、君達の肉体に宿った」
原作主人公とセシリアが抱えた秘密とは、まさにそれである。
「君も知っての通り、俺の内側には魔王の半身など存在しない。よっていかなる方法でその復活を目論んでいるかは知らないが……いずれにせよ、現段階において、俺は君のことを敵対者の一人として見ている」
ハッキリとした意思表明。
これに対し、セシリアはなぜか、嬉しそうに微笑んで。
「…………やっぱり、わたしは、間違って、なかった」
意図が読めない発言。
それから。
「わたし、は……アルヴァートに、一目惚れ、したの……」
こちらが信用しないと理解したうえでの、告白。
ますます、意味がわからない。
「俺を動揺させたいのであれば、無駄な行いであると断言しておこう」
「……今は、その解釈でも、いい」
そう述べてから、セシリアはこちらへ背中を向けると、
「けど、ね……時間は、ない、よ……」
意味深なことを呟いて、去って行く。
その姿を見届けた後。
俺はエリーへと目を向けた。
「ミス・エリー。起きておられるのでしょう?」
「……うむ。ルミエールの方は、奴の力で眠らされているようだが、な」
エリーの肉体には様々な能力に対する抵抗力がある。
ゆえにセシリアの力も効果を発揮しなかったのだろう。
「で……どうするのだ? ご主人様」
「監視を行いつつ泳がせる、というのが得策かと」
「ふむ。幻覚催眠によって、口を割らせるというのは?」
「リスクが高いと見ております。特定のワードを口にした瞬間、なんらかの大問題が発生する。そんな仕掛けが施されている可能性も、否定は出来ない」
それはセシリアだけでなく、クラウスにも言えることだ。
「わたしからすると……両者はいずれも、怪しすぎるように映るな」
「えぇ。同感です。そのため……」
「両者共に操られていて、真の黒幕が別に居るということも、十分に考えられる、か」
やはりエリーは、ただの色情魔ではないな。
聡明な頭脳が、こちらとまったく同じ考えを導き出したらしい。
「……今は様々なシナリオを想定し、対策を整えていく段階かと」
「うむ。同感だ」
「そこで一つ、ミス・エリーにお願いがあるのですが」
ここで俺は、あるシナリオを口にして。
「もしそのような形となった場合」
「う~む……下手をすると、全滅ということになる、か………」
「えぇ。ですから」
俺はエリーが有しているであろう、ある魔道具について問うた。
「……なるほど。確かに、そうしたなら、相手がどのような存在であろうと関係はないな」
彼女の同意を得て、まず、最悪なシナリオへの対応が決定する。
そして――
俺は一つの結論へと、辿りついた。
今回の事件、どのような展開に至るにせよ、間違いなく。
「――――鍵を握るのは、元・死神、だな」
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