白の神殿(11)
ガーリングのこめかみがぴくりと動く。
「俺は、ヘミスフィアの軍人だ。軍規違反であることは分かっています。だがこの裏切りは祖国のために彼らに協力する」
ガーリングは一歩、二歩と近づいてくる。
「この状況を見ろ! 俺たちは、ただ殺し合っているだけだ。人間兵器などと叶いもしない幻想にとらわれている!」
これ以上自分の生まれた国を、祖国を汚したくなかった。こわれた機関車のように暴走を止めず、その動きを止めた時にはきっとボロボロで。灰色の生まれ故郷を、取り返しのつかない事態にしたくなかった。
「この子どもは国を救ってくれる英雄でも神でもない! ただの、家族と生きたいと願っている子どもにすぎないんだ!」
ランディは血にまみれた手を握り、一人で立ち上がった。
今まで何人の同士たちが散っていっただろう。死んでしまった仲間のために、躍起になって追いかけた。上官からの権限による圧力ではく、恐怖から動いていた。死にたくない一心で思考を辞めた。かつての自分がそうだったように。
「言いたいことはそれだけか、ランディ・ポートマン」
ガーリングには、説教じみた戯言か子どもじみた夢物語にしか聞こえないのだろう。いや、彼には書いて字の如く、「五月蠅い」ハエの羽音に聞こえたのだろう。
「では、問うが。ランディ・ポートマン。貴様がしてきたことは何だったのだ。何のために我らが同士は死んだ? 何のために同士はここまで来た? 何のために闘ってきた?」
ガーリングは何のために、と繰り返した。そして叫んだ。
「全ては戦争に勝つためだ! 我が国の繁栄と栄光のために命を捧げる! どんな手段を使ってでも国を救う! それだけだ! それだけが我ら軍人の生きる道だ! さあ、その兵器をこちらに寄こせ!」
————ガシャ
「もう手遅れだ」
潮風になびく小麦色の髪。巻かれた包帯はほどけて血で濡れている。右手には拳銃が握られ、銃口はまっすぐガーリングに向けられている。
一瞬の静寂が支配した。
セタの顔は擦り傷だらけで足取りも悪い。しかし若葉色の目は煌々と光り、ガーリングを捕えて離さない。
「俺たちは国に心を侵された。国を救うために国を苦しめ続け、自分を殺した。あんたも物心つく前からそれを叩きこまれたんだろう。だからあんたも被害者さ。だが、それでも俺たちは過ちに向き合って一生をかけて償わなくちゃいけない!」
二人の娘を持つ父親が彼女たちの母の死を語る時、ジーナが息子の話をする時。
それを回想しては胸に痛みを覚えた。ヘミスフィアから逃げてから、逃げることとその日生きることだけに夢中になり、全く過去を顧みなかった。むしろ闘い続けてきて、闘い続けて来たからこそ、今刀を握れてフィンとロゼを守れる。だから闘ってきて、国の言うとおりに殺してきたのは「正解」の道だったのだと自分自身を思い込ませていた。
今ここで決着をしなければ、それらは「過ち」になる。
ガーリングはゆっくりとセタを見る。刻まれた顔の傷が深くなる。奴は銃を下ろし、フィンに向き直った。
「フィン、という名だったか。もし君が私と共に来て国の為に尽力をしてくれれば、二人と裏切り者の兵士を見逃してやろう。いや、そうでなくても君が生まれた国に戻り、三人で暮らせばいい。もう逃げることをしなくていいのだ」
ここまでしておいて何を今更。
「フィン耳を貸すな! どうせこいつは私たちを殺す気だ」
ロゼは叫ぶ。
「考えてもみたまえ。君を育ててくれた二人の為に、二人と共にヘミスフィアを守ることに生きるのだ。与えられた力を使い、国の為に戦うのは道理だ。ヘミスフィアは君たちを歓迎するだろう」
「………ぼく、は」
「フィン、服薬した彼らの手足はいずれ動かなくなる。祖国に帰ればそれを治す技術がある」
「デタラメ言うな!」
「デタラメとは何だね、セタンダ・マクリール。常軌を超えた力を持つ子どもを作ることに成功したのだから、劇薬から救う技術だって我が国は持っていて当然なのだよ」
歩み寄る。
「今のこの苦しみから逃れることこそが、お前たちの望みだろう」
甘言が並ぶ。
「さあ、手を取りたまえ」
フィンはその手を取る先を考えてしまった。
二人の育った国はどんなところだろう。
三人でずっと一緒に暮らせる日々はどんなだろう。
「さあ、フィン。俺の手を取るのだ」
「僕は———」
望んだことなんてなかった。いつかこうなったらいいな、なんて思ったことはなかった。
ただ、いつもいつも思っていた。朝眼を覚ましたら夜通し見張りをしていたセタが、手をこすりながらコーヒーを作っていて、自分より後に起きたロゼが、寝ぼけながらセタのコーヒーを勝手に飲む。
そんな一日が続けばいいと思った。
だけど、望んでもいいのなら。
震えた声でフィンは言葉を紡ぐ。
「僕はいつかセタとロゼと二人で、二人のふるさとを見に行きたいって思ってる」
ギラギラとしたガーリングの目は、白い子どもの吐露を見逃さない。
「ならば来るがいい。困窮した我が国を救うのならな」
「でも———」
フィンはアメシスト色に光る、しかし真っ直ぐと捉える目を開き、立ち塞がる黒い男を睨みつけた。
怖くはなかった。
「でも、あなたの力は借りない! 僕は僕の力で、二人と見たいものを見て、行きたいところに行く。好きな物を食べて、歌いたい時に歌う。生きたいように生きる!」
「…………」
痛切なフィンの叫びだった。
「だから、あなたとは行かない!」
「………そうか」
ガーリングの目から関心が消失した。
「ならば、もう用はない」
銃口はフィンに。
ガーリングはロゼに短刀を投げつけた。
間に合わない!
セタは直感した。手負いの兵士と劇薬で上手く体を動かせない男では、不意をつかれたこの状況で、届かない。
割れる音がした。
短刀が空中でガラスのように粉々に砕け散ったのだ。
「やめろおおお!」
引き裂ける叫びを上げたのは小さな子ども。
フィンは大男の体に飛びついた。
「————っ、フィン!」
視認で分かる程の斥力が、大男とそして自分自身の体を合わせて弾いたのだ。
浮遊した体は海面に投げ出される。
「このガキっ」
子どもは自分ごと海に、身を投げた。
もしも自分にこんな力がなかったら、こんな結果にはならなかったのかもしれない。
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