白の神殿(8)

「ランディ! 早くしろ!」

「俺に命令するな!」

 落雷のような目が眩む光が放たれ、煙幕が立ち込める。

催涙弾と閃光弾を投げたのだ。

閃光弾のせいでよく辺りが見えない。

すると、混乱する兵士たちの横から現れた腕に抱えられた。その腕の主は息を切らしながら遠く、遠くへと走っていく。

兵士たちのわめき声が聞こえないまでの距離で、ロゼは眩んだ目をようやく開けた。まだぼんやりとしていて本調子ではない。

 広場から離れた神殿のどこか。ここは本当に広いのだろう。さっきまでの騒ぎが嘘だったかのように思えるほど静かだ。

「取りあえずここで態勢を立て直そうか」

流暢で、呑気で、笑い声でもこぼれそうな男の声。その声がする方へロゼは目を向けた。

 暗がりだが、月の光がわずかにその男を照らした。

「よう、数時間ぶり」

 しゃがむロゼに合わせて、その男も同じ目線の高さまでに屈んでいる。擦り傷、切り傷だらけになり、血の臭いを強く漂わせたその男、セタ。間違いなく、五年以上も逃亡生活を共にした男だ。ロゼはその男へ渾身の力で平手をくらわせた。

 景気の良い音に、辺りを確認していたランディは思わず銃を構え直した。発砲の音と類似していた気がしたからだ。

「い、いきなりぶつ奴があるかよ!」

 真っ赤に腫れた左の頬をセタは涙目で抑えた。

「おい、静かにしろ!」

 ここで声を上げればすぐに居場所がばれてしまうのだ。極力物音でさえも控えなければいけない危機的状況で、この大人二人は一体何をしているのだ。

「この、馬鹿が!」

今度は右の頬。容赦のないロゼの平手に、ランディも思わず身をすくめた。

「何だよ、あれ。全部演技だったのか? このサンディとか言う男を使ってか? 私が普段銃を隠している場所も教えて!」

 敵をだますにはまず味方から。とはよく言ったものだ。だが敵からよりもひどい仕打ちを受けたのでは意味がないではないか。

「分かった、俺が悪かった。でもあの状況であの男とお前の両方に近づくには、そうするほかなかったのもまた事実だろ」

「私が言いたいのはそこじゃない!」

 怒りと恥。騙されていたとはいえ、狂ったように泣き叫ぶ姿を見られたのだ。

「ああ、お前すごい泣いてたもんな。何? やっぱり俺が死んだら悲しかっ———」

「黙れ! 私をだましたくせに! この! そこに直れ! 本当に頭ぶち抜いてやる!」

 顔を真っ赤にさせてロゼはランディから銃を奪いセタの頭に突き付けた。

「お前らいい加減にしろよ!」

「そうだよ、大きい声出しちゃだめだよ」

「うるさい! お前も後で覚えておけ、サンディ」

「俺はランディだ!」

 大の大人三人の口げんかの中に口を出し、ぽつんと現れた小さい白。

「フィン! お前も怒れ! こいつ死んだふりをしてたんだ」

 ロゼのあまりの興奮ぶりに、フィンも少し慌てて言う。

「うん、聞こえてたから」

 あっけらかん、とフィンは答える。非常に聴覚が優れている彼にはセタの呼吸音が聞こえていたのだという。目元はこすりすぎたのか、目元が真っ赤だ。

「セタ、よかった。無事?」

「さっきまで無事だったのに、誰かのせいで無事じゃない。頬が腫れた」

 叩いたと思われる張本人は、体をわなわなと震わせている。まだ怒っているのかと呆れたセタは、そうではないと分かるとぎょっとしてしまった。

 ロゼは泣いていたのだ。

 それもセタは睨みながら、声を抑えて、ポタポタと涙を垂らしている。

「「泣かせた」」

 フィンそしてランディまでもが非難の目をセタに向ける。

「俺のせいかよ!」

ランディまでもが「そうだろう」と非難するのだ。

「そもそも死んだふりをすると言い出したのはあんただ」

 朝を告げる風が吹き込む前に、全てを終わらせなければと駆り立てられた。



 兵の数は本当に残りわずかとなっていた。しかし相手にとどめを刺すのには十分だ。しかも相手は手負い。動きは当然鈍いであろうし、装備も少ないだろう。

 足を忍ばせ、通路を確認する。二人を見つけしだい包囲しなければならない。攻撃するのは容易だが、彼らに当てることが難しいのだ。

 何人の同士が死んだだろう。

 墓も作ってやれない。名も知らない奴だっている。

 けれど名を知って少しでも心を許すようなことがあれば、殺された時に辛くなる。

 国に帰りたい。

 灰色で空気は汚れ、生き物が住めない、木が一本も生えていない国だったとしても。

 あのランディという男がどうしてあちら側についたのか、分かった気がする。

 あちらは自由だ。縛られない生活だ。

 白い子どもを連れ去ること。それが国の復興・発展へとつながる。国のためにその任務を果たすことが使命なのだ。

 こんな上官の理想を何度聞かされただろう。

 疲れ切っているのだ。同士たちは皆そうだろう。満たす料理もなく、体を休めることさえできない。朝、目が覚めた時の絶望は計り知れない。

 死にゆく同士たちを見て、当初は「敵をとる」という覚悟まであった。けれど時が経ち、数年の月日が流れた頃、同士の屍を見て感じたのは「羨望」であった。

 死んでいった仲間の元へ、戦争で死んだ父母の元へ行けるのだから。そちらはきっと楽なのだろうと。今いるこちらが地獄なのだ。

 しかしその地獄の中で奴らは生き延びた。

 そして今、奴らは逃げも隠れもせずに目前に立っている。しかし目に映ったのは、暗がりならもわかる金髪と黒髪の二人のみ。

「撃て!」

 怒号に近い狙撃命令に、引き金を引く。

 完璧な包囲網を超え、至近距離であるにも関わらず、奴らは四方から放つ銃弾をかわす。その動きは手傷を負った者とは思えない機敏な動き。

 一人、二人と倒れていく同士。目にもとまらぬ動きで奴ら近づいてきた。

「悪いな」

耳元で声が聞こえた時には、下腹に痛みが走った。めり、と内臓がつぶされる音までも聞こえた。刃ではなく、血に塗れた拳だった。

 力が抜けていく体で、最後に目に映ったのは鮮やかな緑色の目だった。

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