白の神殿(7)
白い石柱が並ぶ広場。
海の色が映し出されて、そこは青白くなっている。注ぎ込む光は幻想的。
バレッドなのに「神殿」と呼ばれるのは頷ける。
血の色や火薬の臭いは似合わぬ、何とも無機質な場所だ。
わずかな靴音だけでも響く広場の中にぽつり、二つの影。
ターゲットを確認し次第、兵士たちはそれを取り囲み、銃口を向ける。
しかしおかしなことにその二つは動かない。
「無駄だ。それは奴らではない」
がっちりとした軍服に、いかつい顔に刻まれた傷。太い眉がぐっと狭まる。
ガーリングは、兵士から銃を奪うと二つの影目がけて数発放つ。
人であれば出るはずのない砂煙。二つの影の正体は積み上げられた砂袋だ。
「奴らはまだここにいるはずだ。くまなく探せ。おそらくそこの砂袋の下にいる」
兵士たちは上官の言葉に頷き、ぱっと散った。
砂袋にはマントらしきものが着せられ、人に似せてある。
広場の石畳は安易な作りをしており、簡単に外せるようになっている。バレッドであれば隠れる場所はいくらでもあるのだ。
覆面をした兵士数人がずしりと重い石畳一枚をどかせる。すばやく残りの兵士が身をかがめ銃をその下に向ける。何も起こらない。しかし軒下のように狭い中には何かがいた。
女だ。黒髪に砂を頭から浴び、息も絶え絶えの死にかけた女。
ロゼ・モリガン。元准尉である。
「発見しました」
「引きずり出せ」
兵士たちはロゼの腕を掴み、乱暴に引き摺りだし、石畳に仰向けの状態で叩きつけた。
痛みからか、わずかに呻き、ロゼは目を閉じたまま死にかけの虫のように息だけをしていた。
「囮などと無駄なことを」
白い子供は一緒ではない。中を再度確認させたがいない。
しらみつぶしに兵士たちに探させてもいいが、それよりも手っ取り早い方法がある。
ガーリングはひげをなぞりながら、靴の音を立て、仰向けのロゼの横に立つ。
そして、彼は数年共に行動してきた兵士たちでも瞠目するような行動に出た。
ガッと石が砕けたような音。
悲痛な女の叫び声。
ガーリングはロゼの左腕を足で叩きつぶしたのだ。
動きを止め、茫然と立ち尽くす兵士たちは、上司の底知れぬ残酷さにわずかに怯えた。
「出てこい、ガキ。この女の腕がもう一つ折れてもいいのか? 耳のいいお前のことだ。この女の声も、俺の声も聞こえているのだろう」
痛みに顔を歪めてはいるが、怒りと憎悪に満ちた目で睨み付けている。その眼は異様な光を放っていた。
「ふん」
今度は腹部。
痛みに耐え、のどの奥からこぼれそうな声をロゼは懸命に抑えた。体中の感覚が痛みだけに覆われてしまう。噴き出た汗と流れ出る血。その生温かさに一層苦しめられた。
ガーリングにとって、ロゼの我慢は面白いものではない。泣きわめき、叫び声を上げ、生にしがみつこうとする醜い女を期待していたのだから。
「我が身を犠牲にしてあのガキを守っているつもりか。驕るのも大概にしろ。所詮情が移っただけのガキ風情に何をそんなに意地になる。あれは我が国のために作られた兵器の一部にすぎん」
ガーリングの声がわずかに遠のく。
ロゼは耳に入った言葉に、変な感情が湧きあがる。怒りではない。優越感だ。
この状況で、この体勢でどちらが優位に立っているかは明白なことなのに、どうしてだろう。
血の味のする口、乾いた力のない声で、ロゼは見下ろす大男を嘲笑った。
「分からないんだろう。どうして、私たちが必死になって、フィンを守るのか、が。数年前なら、私も、こんなことはしなかった。けれどな、あんたらが野放しにしてくれたおかげで、知ることができたよ。皮肉だな」
さぞ彼らにとっては訳の分からないことに聞こえただろう。だが言うだけ言えばすっきりした。本当は怒鳴ってやりたかった。けれどもう力が入らないのだ。
「口数の減らん女だ」
止めを刺すのだろうか。銃口が額に向けられている。ぼんやりと二重、三重に見えるそれに、ロゼはわずかに自嘲した。
こんなにも呆気なく終わってしまう。
奴が引き金を引けば、それで終わり。
ただこんな奴にやられるのは癪だ。
目をつむり、死を覚悟した、その時だった。
辺りを取り巻く兵士たちのざわつく声がした。
兵士をかき分け、上官の前に現れたのは隻腕の男だった。
ブラウンと白の混じった髪の毛に、隻腕。セタやロゼよりも少し若く、暗いながらも強い光を放つ灰色の瞳。
ロゼは一目で分かった。フィンが話していた岩につぶされていたヘミスフィアの兵士だということに。
彼はずるずると片手で細長い布袋を引き摺りながら、上官の前に止まると、袋を下ろし、足をそろえて右手で敬礼をした。
「ランディ・ポートマン。ただいま報告に上がりました」
死んでいたはずのランディの存在。兵士たちはわずかにざわめくが、そして彼の規律正しい声は、あまりにも場にそぐわなかった。
ガーリングはほう、と感嘆の声を上げる。
「生きていたとは驚いた。てっきり死んだと思っていたがね」
ガーリングにとっても気分のいいものではない。お楽しみがこれからだというのに、使えない片腕の兵士にそれを阻まれたのだから。
「それで、何を報告しようと言うのだね。その袋は何だ?」
決して重いものではなさそうなその袋。金属のように硬い物体ではなく、柔らかい、そう。人一人の死体のようなものでも入っていそうな………。
「なぜここの場所が分かった?」
「その袋の中にいる男に聞いたのです」
上官の威圧感にも決して屈しないランディ。しかしガーリングにとっては物怖じしない部下の態度を気に入るはずもない。
ロゼは首を横にもたげて、ただその袋を見た。
ガーリングが布袋を手で裂いて、中身を確かめる。
「ほう、これは」
わずかなガーリングの感嘆の声。
「君が殺したのかね?」
「はい」
「なるほど」
彼は楽しそうでも、ロゼはその逆だった。
裂かれた布袋から覗くのは、ジーナからもらった上着の背中と———。
血がべったりとついた、小麦色の髪だった。
嘘だ。
ロゼは腹の奥底で何かが弾けるような、熱くなるような気がした。それが怒りだと気付いたのは、ナイフを手にして走り出した時だった。
嘘だ、嘘だ、嘘だ!
「ぅわあああああ!」
獣のように狂った叫び声を上げて、生気のなかった目からは、涙が流れた。
しかし兵士たちにより呆気なく取り押さえられ、ナイフも弾かれた。
「お前! セタに助けられたくせに! あいつがいなきゃ、死んでたくせに! 許さない! 殺してやる!」
血を流し、髪を振り乱し、叫び狂う女。
彼女の目には怒りと悲哀に満ちている。
「許さない、許さない!」
こんなことが来ると、いつかは思っていた。死ぬ時は、誰かに殺される時。どちらかが先に死んで、そしてもう一人も死ぬ。三人一緒でいつまでも、なんてことは無理だと分かっていたのに。こんな形で終わるなんて。
「何で死んだ! ふざけるな!」
一人でかっこつけて死んでいった。
「私を置いて逝くな!」
フィンとロゼを守るために。
「ちくしょお!」
半狂乱に泣き叫ぶロゼに、兵士は銃口を向けたまま。ランディはロゼの真横に立ち、彼女のブーツへと視線を向けた。
「銃を寄越せ。そこに隠しているんだろう?」
はっとしたロゼを、兵士たちが床へと叩きつけるようにして押さえつけた。
「くそっ。くそっ」
抵抗する間もなく、ブーツの中にあるピストルを奪い取られた。蹴りでも食らわせて、ズタズタに引き裂いてやりたい。
それなのに、体も思うように動かせない。悲しくて悔しくて涙が止まらない。
ランディはピストルを奪い取ると中の弾を確認した。
そして、撃った。
銃声が二発。銃声は、ぐわんぐわんと神殿に反響する。
違う。
撃たれた相手は、ロゼではない。もっと上。
彼が躊躇なく撃ったのは、兵士として共に働いてきた同士の足だった。
「貴様っ」
事を察したガーリングがランディに銃を向ける。
しかし、その銃がすらり、と真っ二つに斬り裂かれ、ガーリングの腕からは血しぶきが飛ぶ。
かまいたちのような速さで彼の不意を突き、刃を滑らせたのは、暗い暗い神殿の中で、いっそう輝きを見せるあの色だった。
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