白の神殿(6)
ぴちょん、ぴちょん。
雨のしずくではない水の音。
ひんやりとした空気が肌を包んでいる。
重たい目を開ければぼんやりと曇った灰色に、空色の宝石が散りばめられているように見えた。星空のようだった。
けれどそれは空というにはあまりにも近い場所にあった。そしてそれは、どこかで見たことがある物だった。
ああ、そうだ。これは写真で見た。
シャルルが言っていた場所。
彼が死んで、国を出て、どこかも分からぬ場所をいくつも回った。旅をした。そしていわゆる古本屋という所に立ち寄ったことがあった。本がぎっしり棚に詰まったそこは、叩けばほこりが舞い散るほどのさびれた店。その時に異国の言葉が並んでいる旅行記のような本を手に取った。
鮮やかなブルーに、ぽつんと浮かぶ白亜の神殿の写真。天井は夜空のようにガラスや石が散りばめられていた。
海の神殿だと、すぐに分かった。
シャルルがいつか行きたいと言っていた場所だったのだ。見たことはなくても、彼が死んでから繰り返し思い返した言葉に、いつの間にか色が付き、自分なりに想像していた風景があった。それが写真とわずかに重なったのだ。
「ロゼ?」
さっきまで小さかった白い子どもが今は随分と大きくなったものだ。目にはわずかに涙が溜まっている。とけかけた氷の玉のような二つの目だ。
「大丈夫だよ。バレッドに着いたんだ」
いつも以上に大人しい声だ。無邪気なところは無くなっている。どこか慎重で、そして怯えている。ぼんやりとした視界に映ったのは波の影。
「海?」
ああ、そうか。
「うん。海の近くのバレッドみたい」
フィンは薄い毛布をロゼの胸元まで上げた。一枚限りなのだろう。夜明け前の寒さの中、フィンは何も羽織らずに震えている。
「フィン。唄、歌ってたか?」
口の中は血の味でいっぱい。カラカラに乾いた自分の声はひどく弱く感じて苛立った。
「うん。でも全然覚えてなかった」
疲れたように、フィンは呟いた。
ロゼは左から右へとゆっくりと視線を移した。
友人の羨望の地へとやって来たのだ。夢ではない。
セタはきっと分かっていた。ロゼが行きたがっていたことを。
———シャルルの行きたかった場所で死ねるなら、本望だ。
口に出してはいない。ただどこか安心したような、あまりにも静かな涙がそっと頬を伝って落ちた。
「ロゼ、痛いの?」
思ったことを口に出してしまえば、この子が怖がる。心配そうに、眠気を我慢して目の辺りをこする。ロゼが気を失っている間に何度か泣いたのだろう。目のまわりがこすれて真っ赤だ。
「平気だ」
「本当に?」
うまく持ちあがらぬ腕をそっと上げ、フィンの頬に触れた。フィンはそのロゼの手を強く握った。フィンの手も自分の手もひどく冷たいことにようやく気が付いた。
「ああ、大丈夫だ。フィンが巻いてくれたんだろう? この包帯」
腹部と肩に巻かれた包帯。わずかに緩く巻かれているのは、フィンの力が弱いから。それでも少し動く程度なら支障はない。
「ロゼ」
フィンの声は震えていた。それは寒さだけではない。恐怖と不安に駆られた、五歳の子どもの声だ。
「セタは、戻ってくるよね。ここに、きっと来るよね。三人でまた」
生きられるよね。
しかしフィンは見た。暗闇の神殿の向こう、海から忍び寄る黒い影を———。
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