白の神殿(5)

 ロゼが目を覚まさない。

 暗くてよく分からないけれどきっと真っ青だ。顔も腕も汗でびっしょりになっている。

 横穴は途中からコンクリートのようになっていた。明らかに人工的なものだ。バレッドに近づいている、と思えてくる。

 背負うことはできないので、フィンはロゼを引きずるようにして、這いつくばりながら進んだ。引きずっては懐中電灯でロゼを照らして血が出ていないか確かめた。

 穴の中は思っていたより狭くて空気の通りが悪かった。水で濡れたみたいに汗は出るし、息がどんどんし辛くなる。

時々石が転がる音がしては振り返って、その度に光を消した。

二人はいつもそうしていた。追手かもしれない、という不安に駆られて、しばらく動けなくなる。

心臓の音がバクバク響いて、ごくりとつばを呑む。そして何も起こらないと分かると、大きく安堵の息を漏らした。そしてフィンはまたロゼを引きずりながら進む。

喉が痛い。カラカラに乾いている。それでも蒸した穴の中は容赦なく体中の水分を奪っていく。

ぼんやりと白く照らす電灯は、まだまだ先があるということを照らしていた。

荒い息遣いと、引きずる音。天井から垂れる水。

辺りにはそれしかない。それだけが感覚を支配した。

先の見えないゴールに、時々怖くなった。

でもそれはいつもと一緒だ。

セタとロゼはフィンを守るということのためだけに、逃げ続けた。置いて行ってしまうのは容易なのに、二人はそうしなかった。

逃げ続ける生活なんて、後ろを気にしてばかりで、前が見えない。それはとても不安で、言い様もない恐怖に襲われる。

誰かに「逃げ続けることが一番いい」と言われたかった。壁にぶつかって逃げることが出来なくなった時や、前がなくなった時が来るのが怖かった。

それでも二人はもっと怖かったんだ。

自分の故郷の人に命を狙われている、なんて口では簡単に言えるけれど、帰る場所が無くなるってことは後ろもないんだ。

前も分からない。後ろもない。

ロゼはどこかできっと泣いていたんだと思う。

セタは僕たち二人を心配させたくないから、弱いところは見せないようにしていたんだと思う。

ずっと一緒だったから、それくらいは分かる。たった五年だけど、五年も一緒だったんだ。

 砂利のような転がり、幾分進みにくい。口元に懐中電灯を置き、ずりずりと前に進む。

 するとガツ、と手元に硬いものが当たる。しかしそれは軽い物でカラカラと擦れる音がする。今まで触ってきた岩肌ではないのだ。邪魔ではないが、気になり光を当てた。白くてつるりと妙に滑らかだ。

「ひっ」

それが何か分かると叫ぶことができない声で驚き、懐中電灯を落とした。

 ガイコツだ。まだ懐中電灯はそれを照らしている。転がる頭蓋骨は黒く空いた二つの穴はこちらをじいっと見つめているようだ。

 叫んではいけない。声を殺してただ耐えた。自分の震えと呼吸音しか聞こえない。

 ガイコツがあるという事実。ここで誰かが昔息絶えたということだ。驚いた拍子に落ちた懐中電灯は、狭い穴の中を照らし、ボロボロの布きれをわずかに見せた。

 死んだのだ。とある誰かが出口が見つけられずに、ここで死んだ。

 狭くどこまで続くかも分からぬ密閉の穴。

 蒸し暑く、湿気と熱気で息すらままならない暗く閉じ込められたこの場所で、気がおかしくならない方が変だというもの。

 きっと苦しんで死ぬのだ。

 すると、ひゅ、と風が吹いたように感じた。フィンでなくても察知できる程の風だ。

 出口が近いのだ。

 フィンは目の前のガイコツを一睨みして、ロゼに当たらぬよう後ろに放り投げた。

 カコン、と景気のいい音が響き、それを合図にフィンはもそもそと前進を再開した。

 きっと今、セタは一人で闘っている。ガイコツ相手に何をビビっているのだ。ロゼのベルトを掴み、力強く引っ張った。

 どれくらい進んだだろうか。目の前に白い粉のような物が弾け始めた。それを掴もうとしても取れない。

「あ」

頼みの懐中電灯がちかちかと点滅し、ぷつん、と消えてしまった。

 そして辺りは一気に暗闇に包まれる。

「ちょっと!」

こんな時に、どうして消えるのだ。手で叩いても少しも光らない。予備がない以上、これしか照らすものがないのに。

 真っ暗であるはず。それなのに、どうしてかここは明るい。

「ん、これ?」

 光の元をたどれば、それは蛍光色に光る天井。うっすらと青白い光を放つそれは見たことのない文字でつづられていて、その真ん中に大きな矢印が描かれていた。矢印の先にはまた同じように矢印がある。

 文字の意味は分からない。けれどまるで誰かが蛍光塗料を指でなすりつけたかのようだ。

 フィンはロゼを一旦置いて、仰向けになってその矢印を辿っていった。

 一つ、二つ、三つと矢印の先にはまた矢印がある。しつこいくらいに丁寧なそれらを、フィンは急いて辿った。

「きっとこの先に」

そう願い、フィンは腹這いの状態で前へ前へと進んだ。

「いたっ」

ごんっと景気よく額を何かにぶつけた。矢印はそこで無くなっている。

 ここで行き止まり。シェルターのように分厚い金属でふたをされているようだ。

「そんな」

 またも目の前に現れた絶望に、フィンは嘆かなかった。むしろここまでやって来たことに対するこの仕打ちに、腹の底からの怒りがこみ上げ、その怒りを目の前のふたにぶちまけた。

 体を反転させ、両足でふたに目がけて蹴り出した。

 ごいん、と鈍い音が跳ね返り、ふたはびくともしない。足にビリビリと痺れが走る。

「この」

今度は大げさにのけ反って足を落とすように打ち付けた。

「くそっ、開けよ! ぼろい、ふたの、くせして!」

 フィンは数回足を打ち付けて、最後に精一杯の力を振り絞る。

 がこん、と間の抜けた音と同時にフィンの体がふわりと浮いた。

「うえ!」

 ふたと一緒に一メートル程下に落ちたようだ。腰と後頭部を打ち付けたため、フィンはしばし痛みに悶えた。

 金属のふたには、ちゃんとドアノブがついていたのだ。

 久しぶりの光。

 それはぼんやりとした月の光。しかしそれは辺りを照らすのには十分すぎる。

 長い間這いつくばっていた体を立たせ、月光が映すその光景に、フィンは息を呑んだ。

「ここが」

セタの言っていたバレッドなのだろうか。白い石柱がいくつも並び、珊瑚の化石のような乳白色の石畳が広がっている。海の底にある広い舞台のよう。

 そしてそれを鮮やかに照らすのは、海の網目模様。淡い海の色がどこからともなく注ぎ込み、潮風がゆったりと流れ込む。

 今まで流してきた汗を拭い去るような爽やかな風だ。

 遠くからは波の音が聞こえる。バレッドにしてはキレイすぎる。人が入ってはいけないような場所である気がするのだ。

はっと我に返ったフィンは、急いで穴の中へと戻った。ロゼを早く治療しなければならないのだ。

 ロゼの治療をして、バレッドにある水と食料を少しずつ食べて、セタが来るのを待つ。

 夜が明けたらまた三人でいられる。

 そう、頭の中で繰り返していた。


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