白の神殿(4)
———君は失敗した、セタンダ・マクリール。防衛線で功績のために無理な突破を強要したあの上官を君が殺していれば、こんな事態にはならなかった。上官を殺せたのは、君だけだったのに。だが君は保身に走って看過した。怠惰と言ってもいい。戦っても自分は生き残れるから別にいいと。あの上官は昇進したそうだ。今回の手柄でね。
———今回も、同じ過ちを繰り返すのかい?
血が染みついた無数の遺体の袋の前に、友人と何度目かの言葉を交わし、セタは再び戦場へと戻っていった。
*
目の前の相手に集中しなくても、体が勝手に動いた。刀を振るう感覚も、背後から銃弾が飛んでくる音も、自然に分かる。
皮肉にも戦場で生き抜いた力が、今を生かしている。
人を切った感覚が手に残る。それを繰り返す度に、よく分からない恐怖に襲われる。けれどその恐怖におびえていては自分が殺されるのだ。
眼前には自分の刀と破壊された銃。騒ぐ暇さえ与えず、兵士の首元に刃を滑らせた。
気が付けば砂浜の一面は花でも咲いたかのように真っ赤な染みが広がっていた。
火照った体の荒い呼吸が自分の物だと分かり、口内に広がった鉄の味をつばと一緒に吐き捨てた。両手がしびれるほどに握り、振るった刀は血やら銃弾の火薬やらを受けて汚れきっていた。
夜の冷たい潮風を、男は胸いっぱいに吸い込んだ。夢想の中にいたような感覚からようやく冷めたように感じる。
血しぶきを浴びた上着は、洗っても落ちないほどぐっしょりと濡れていた。ジーナから貰った皮製のものだ。
しかし浴びたその血は、自分と兵士のどちらのものかわからない程に染めていく。刀以上に銃弾を浴びた体は、異常なまでに動き続ける。
「くそっ!」
兵士は死という恐怖をその日初めて思い知った。
奴の周りには弧を描くようにして死体と化した物が転がっている。半刻も経たぬうちに一人、また一人とぱたぱたと倒れていった。
そして今。銃弾と悲鳴に近い叫び声が飛び交っていたはずの砂浜は、波の音ばかりが聞こえる。
そして、もう一人。潮風に金髪をなびかせ、頬についた返り血をぺろりとなめている男がいる。
緑色の双眸がこちらを睨んでいた。
ゆらゆらと奴は近づいてくる。
「何だ、あと五人はいるかと思ったら。あんたで最後か」
残りのお菓子が少ないことを知った子どものように、奴は言う。
白い子どもだけではない。この男の力も惜しむべきそれだ。
引き金を引けば奴の体のどこかには確実に当たる距離。だが、指の先から全身まで震えが止まらない。どうしてだ。当たったとしても、奴が死ぬとは思えない。
無理だ。
ここで俺は殺される!
ずるずると刀を引きずり、砂浜に線を描きながら奴は近づいてきた。砂を押して歩く音と、音の全てがゆっくりに聞こえる。
男はぴたりと止まり、刀の切っ先を目の前に突き出した。
「ひっ」
思考が止まり、手に持っていた銃はぼとりと落ちる。
体が動かない。だがどちらにせよ殺されるのだ。覚悟を決めて、目をつむる。
バクバクと心臓が速くなる。
いっそ早く殺してくれ。
「どうしてここにいる?」
恐る恐る目を開ければ、男の視線は自分に向けられたものではないと分かった。
自分の背後。
「お前、生きていたんだな。正直驚いた」
「ああ」
息を荒くして答えるその声は、ヘミスフィアのもの。
「確か、サンディだったか?」
「ランディだ」
片腕を無くしたヘミスフィアの兵士。東州の偵察の際、死んだものだと思われた男だ。
「お、おい。何している。はは、早くこの男を殺せ!」
おびえる兵士に、ランディの視線が注がれる。
白とブラウンの混じった髪。だらりとした前髪から覗く目は微塵も焦りがない。
「目が覚めたら医者に礼を言え」
「え?」
そして、その兵士はばたりと砂浜に顔を打ち付けるようにして倒れた。
ひゅう、とセタは口笛を景気よく吹いた。
「やるねえ。まさか麻酔銃とは」
「うるさい」
にやにやと笑みを絶やさないセタに、ランディは悪態をついた。
「んで、わざわざ味方を倒して、しかも医者まで呼んであるとは。もしかしてお前、置いて行かれたのか?」
「うるさいと言っている。どうせ殺してないんだろう?」
「おもしろくねえ冗談だな。そんな曲芸できるなら、お尋ね者なんかやめて大道芸人にでもなっているさ」
鞘がどこかにないか、と探し、波に打たれているのを見つけてようやく刀を収めた。
ふ、と溜息をついた瞬間。激痛が体中に駆け巡った。
「————っ、がはっ」
腹部。両足。腕にまで痛みが走った。ぐちゃぐちゃに引き裂かれる感覚。
痛み止めの副作用だ。長時間、感覚神経を麻痺させる上、最終的には運動神経を鈍らせて神経を壊死させる。
何がキャンディだ、『絶えぬ加護を(アナスタシス)』だ、ふざけやがって!
異変に気が付いたランディが近づいてきた。
「おい、どうした?」
「いや、ちょっとな」
しゃべれば吐き気もする。口の周りをぬぐえば血だってついている。痛みと熱が襲い、汗がどっと噴き出た。
冗談じゃない。想像していた副作用とは段違いだ。指先の感覚がない。こんなものをロゼは持ち歩いていたのか? こんなことならケースごと取り上げれば良かったのだ。
胃がねじれるような感覚に襲われ、セタはつっぷして吐いた。血も混じっている。
「おい!」
ランディは用意していたのか、包帯をポケットから出し、口先と片手で器用にセタの腕を止血した。その行為セタはしばし目を見張ると、ランディは目を合わせず、ぼそりと答えた。
「腕の借りだ」
「悪いな」
どうやら自分の味方と見てもいいらしい。だが吐くところを男に見られるのはたまったものではない。
「あんた薬でも飲んだのか?」
「ま、あな」
「そこまでして、あの子どもを守る価値があるのか?」
「あんたも。子どもがいれば、わかるさ。この気持ちが」
弱々しくなっていくセタの声。しかし閉じかけていた目が徐々に開かれ、焦燥が目に浮かび始めた。呼吸が不規則で荒くなっていく。そこにはまだ闘志があり、体をわずかに痙攣させながらも立ち上がろうとする。何かを伝えんとしているのだ。
「あのガーリングとか言う男は、どこだ! まだ俺は奴を殺してない!」
嗚咽と喘ぎの中で、セタは大声で叫ぶ。
ランディに飛びかかる勢いだ。しかしランディも今しがた着いたばかりなのだ。行方不明扱いされていたランディにとってガーリングがどこに行ったかなど知る由もないのだ。
死にかけた男の目が、ギラギラと獣のように光る。以前見たことがあるものだ。
森の中で刃を向け、自分を殺そうとした時のものだ。
「白い子どもをどこに隠した?」
「何?」
「白い子どもだ。その子がいるところに奴は向かうだろう。俺の言葉は信じられないかもしれないが、大佐はこの場所を知っている。正確には作戦の一部のここでお前たちを追い詰める予定があった。この町は何より人の目がない」
目の前の小麦色の髪の男は、がくりと心身共に項垂れた。そして「くそっ」と頭をがしがしと乱暴に掻く。
「俺なら追いつく足を用意できる」
ランディは男の返事を待った。
ランディはセタに協力するつもりだった。彼の足を動かしたのは知識欲。どうして自分を助けたのか? どうして命を懸けてまで、子どもを助けようとするのか? それを知れば何かが分かるはずだ、と。
セタは口を開いた。
彼が告げた場所を聞き、ランディは頷いた。
夜がもうすぐ明けてしまう。明らむ地平線を前に、波止場へと走った。
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