白の神殿(3)


 息が苦しい。

 ほとんど密閉状態の洞窟だ。風通しも悪いし、何より湿気がひどい。きっとここは海の底なのだ。洞窟はなめらかに下へ下へと続いている。

 誰がどのくらいの時間をかけて作ったのだろう。そんな疑問はこの息苦しい状態においては吹っ飛んでしまう。

 厚手のブーツが汗で湿ってむず痒い。つま先がぐっしょりとしていて、ちょっと足の指を折り曲げれば、一層不快感が増した。

 天井な壁から伝う水は、ぽたぽたと肩や頬に垂れてくる。生ぬるい海水だ。せめて冷たければよかったのに。

「ロゼ、ここぐらぐらしてるからね」

「———ああ」

ごつごつとした岩肌の道はしだいにもろい石ころに変わってきた。ロゼはさっきより一層と汗を流して、黒髪はべったりと頬にくっついていた。フィンは負担を減らすためにロゼの銃のケースからライフル以外の軽量の銃を三つ取り出した。ケースは置いてきたのだ。荷物はできるだけ減らし、フィンは水とわずかな缶詰をポーチに入れた。懐中電灯だけは欠かせないものだから、手から離さずにおいた。

 ロゼのそばで時々肩を貸しながら、ゆっくりと前に進んだ。

 何度意識を飛ばしそうになっただろうか。一瞬にして目の前が白くなったり、平衡感覚が無くなったり、気づけばしゃがみこんだりしていた。

 外傷は大したことはないのに血を流し過ぎたのだ。それでも耐えるしかない。痛みで顔をしかめて喘ぐたびに、フィンが心配そうにのぞきこんでくるのだ。涙をこらえて、声を震わせながら「大丈夫?」と背中をさすってくれる。

 肩と腹に穴が空いたくらいでなんだ。戦時中なんて文字通り腐るほど体に穴を空けられたではないか。

 けれど傷跡は対して残らなかった。

 女の体がツギハギだらけではかわいそうだ、と。シャルルは包帯を巻いた後も、何日もかけて丁寧に治療してくれた。しつこいとロゼがいくら拒んでも彼は突っかかってきた。

「ロゼ?」

「ああ、何でもない」

 笑みがこぼれていたのだろう。数歩先で止まったフィンは、ロゼを支えてゆっくりと座らせた。

「シャルルさんのこと?」

「ああ」

「僕もシャルルさんに会ってみたかったなあ」

 フィンは隣にちょこんと座り、ポーチから水の入ったボトルを一口飲んで、ロゼに手渡した。もう残り少ない。

「会ったことはあるだろ? 生まれてすぐに」

「あ、そっか」

覚えているはずがない。その上写真すらも持っていないから、ロゼとセタが繰り返し説明するしかなかった。

「———っ、くそっ」

「痛い?」

 ほんの少し足に力を入れただけでこの痛み。刃が体に突き刺さったままのような、じくじくとした激痛だ。フィンは服の裾でロゼの汗を丁寧に拭うが、くすぐったい。

「ああ、でも大丈夫。痛み止めが———」

胸元のポケットからプラスチックのケースを手に取って、ふと違和感を覚えた。

 ケースの中には錠剤が一つ。白くて平べったい、なんの変哲もない薬。

「どうしたの? 飲まないの?」

「あ、いや」

おかしい。薬は二つあったはず。それを肌身離さずずっと数え間違えるはずはない。それもセタやフィンには知られないように隠し持っていたのだ。

 そして一つの不安が押し寄せた。この暗い洞窟は一層それを増長させた。

 目をつむり、ケースをまた戻した。ブーツに隠した二丁の銃を確認して、非常用の銃弾だってある。

「行こう」

「いいの? 飲まなくて」

アメシスト色の大きな目が不安の色でいっぱいになる。

 今は使うべきではない。膝にぐっと力を入れて立ち上がる。

 ところが体が本当に裂ける痛みが走る。いっそ倒れてしまえたらと思う甘える自分を叱咤しても、痛みの波はしだいに大きくなる。

「ロゼ!」

「大丈夫だ!」

「大丈夫じゃないよ!」

フィンが叫ぶ声が洞窟の中にうわん、と響く。

 ロゼはよたよたと壁にもたれてまた気絶しかけた。

 その時、フィンは反響した自分の声に、何か違和感を聞き取った。

 常人では分からないようなことだ。

「フィン?」

 懐中電灯で辺りをあちこちと照らす。ただの岩肌ばかりだが、長く続く洞窟のその先には、ぽっかりと空いた分かれ道がある。

 自分の叫び声が二重にも三重にも聞こえたのはそのせいだったのだ。

「あ、あった!」

 セタが言っていた四つの通り道だ。フィンは飛び上がってぱっと顔を明るくさせてコギツネの如く跳ね始めた。

「あった! あった!」

元気があるのはよろしいのだが、何せ足場は石ころだらけだ。案の定、フィンは盛大に転んだ。

「おい、大丈夫か?」

「う、うん」

顔面からもろにうちつけてしまい、鼻をさすりながら立ち上がった。

 おかげで、というべきかロゼの意識はこれで覚醒した。

「四つの道と………これかな」

「どうした?」

「うん、セタがね、『よこあな』に行けって」

フィンの懐中電灯が映したのは幅一メートルにも満たないいびつな穴。足元のあたりにぽっかりと空いている。なるほど、これではすぐに気が付かない。しかも明らかに立って進めるような高さではない。

「『ほふくぜんしん』だね」

 痛みとはまた別の不安が募る。

 ところで、どうしてセタはフィンにこの道のことを教えたのだろうか。言ったら絶対に叩かれそうだが、セタにしては計画性がありすぎる気がするのだ。気絶していたから言う資格はないだろうが、迷いもなく、焦りもなくここまで来たような気がする。

 わずかな懐中電灯の光が、ふっと消えたように思った。けれどそれは、意識が無くなったのだと、ロゼは痛みの中でそう思った。

 わずかに届いたのはフィンの声。

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