友の言葉(5)
どうして、ここにいる? だめだ、無視をしろ。
聞き間違いではない。甘く、懐かしいその声に二人は振り返りそうになった。
振り返って、叫んで、名前を呼びたくなってしまう。
「ねえってば!」
切れそうな程に叫んで名前を呼ぶその声に、セタの前を歩くロゼの肩は震えていた。
頼む、呼ばないでくれ。
海岸に果てなく続く有刺鉄線が、白い子どもと二人を隔てていた。
「僕も、僕も連れてってよ!」
「………」
「ねえ! 二人とも!」
「………」
「………」
子どもの呼ぶ声が消えた。
ロゼは振り返ってしまった。
白い子どもはその小さな体で、棘のあるそのフェンスを乗り越えようと登り始めたのだ。小さくても棘に直接触れれば、指かかる圧力で肉を裂いてしまう。
「やめろ、フィン」
手を、頬を、足を、容赦なく棘は皮を裂いていく。
「痛くないよ、これくらい。二人がずっとがまんしてきたのに比べたら! 僕だって男だもん!」
「——ちっ」
セタはジャケットを脱ぎ、それを鉄線の頂上へと投げた。フィンの後に続けて登り、盛り上がっている鉄線を押して潰し、体を折り曲げた。
「セタ……」
フィンのアメシスト色と、セタの若葉色の目が交差した。痛みに耐えるその目は涙が浮かび、しかししっかりとセタの目の奥を捉えた。
やっぱりだめだ。
俺たちは、この手を離すことができないのだ。
傷だらけのフィンの手を握り、そのまま抱え上げた。宙に投げ出されたセタは背中から砂浜へと落下したが、その腕の中には確かに白い子どもがいる。
「フィン!」
遅れて駆け寄ったロゼはフィンを力いっぱい抱きしめた。ごめん、と何度も謝罪を繰り返してその腕を緩めなかった。
*
夜のとばりが下りる頃、三人は砂浜の廃屋に腰を下ろした。
人生二度目の生臭い海の匂い。
間近に聞く波のさざめき。静寂に満ちた砂浜は、この世界に三人しかいないと錯覚するくらいに淋しく、そして美しい。
廃屋の中で、焼いた海魚を頬張りながらフィンは経緯を意気揚々と語った。
神父の行き先を盗み聞きし、町の人に地図の読み方を教えてもらい、二人の居場所のあたりをつけて、馬車の荷台に紛れ込んだのだという。フィンは全くバレていないと胸を張って語るのだが、当然褒められたことではない。ロゼの小言は避けられなかった。
「セタとロゼならきっとここにいるって思ったんだ」
「いや、会えなかったらどうするつもりだったんだ」
「え? だって僕は二人の場所わかるよ! だって声が聞こえるんだから」
「………そんなに耳がよかったのか? お前」
「うん!」
フィンはがふがふ、と焼魚を骨ごと食いつき、摘みたての果実も次々に頬張った。二日間ほとんど飲まず食わずで二人を追ってきたと言われては、怒りは湧き起らなかった。腹を満たしたフィンは泥のように眠った。
——あなたはやさしい目をしている。
あの神父なら気が付いていたはずだ。
荷物に紛れて子どもが入り込んだことも、途中で転がり落ちたことにも、だ。
幼い子供が危険な道に戻ろうというのに、それを一切止めもしなかったのだ。神父のくせにやることは山賊なみの下衆さだ。
「あの野郎、本当に気に食わないな」
結局、ふりだしに戻ってしまった。
セタは複雑な心境でため息をつき、その傍らでロゼは膝を抱えて鼻をすすってぼそぼそと何か呟いていた。
「何言ってるのか聞こえないぜ」
タバコの吸い殻を足でつぶして拾い上げて、それをロゼに投げつけた。
「私は——」
ロゼはかすれ声でようやくしゃべり始めた。
「フィンが来たと思った時、ほっとしたんだ」
呼吸をしている感覚、生きている感じ。
「私たちが思っているよりもフィンは大人なんだな」
「ああ、そうだな——」
フィンを撫でるように、セタはロゼの頭を撫でてやった。嫌がりもせずに、彼女はされるがままだ。普段見せない可愛げのある反応に、おもしろくてつい吹き出してしまった。
逃亡生活の終わりが足早に近づいていた。
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