友の言葉(1)

 不気味にフクロウの鳴き声だけが森の闇に響く。もう真夜中だろう。人が踏んで歩いたのか、立派に踏み鳴らされた森の道を明かりもなく歩いていく。夏であるのに、風は冷たく吹いている。せせらぎに森の木々がざわめく音。

 あまりにも静かだった。

 セタの後ろに離れてロゼがついてくる。セタもロゼも夜目がきくのでお互いの心配などせずにペースを落とさずに進んでいく。

 会話はない。する必要がなかった。いつもなら、フィンが二人の間に入ってあれこれ質問しては答えていた。フィンは会話が途絶えるのが嫌いなのか、少し黙ればまた別の質問。どうでもいいような、子どもらしいようなことばかり。

風はどうやってふくのか、雲はどうして浮かんでいるのか。

 二人は答えることができずにいつも悶々として「どうしてだろう」と三人で悩み、意見を出してはまた悩んでいた。当たり前の知識がないことがこうした場面で困るとは思いもよらなかった。シャルルならいとも簡単に答えを出してくれただろう。

 ジーナの家を出て、何時間経っただろうか。別れも告げずに来たことに多少の未練を感じる。もう戻ることはないかもしれない。会うこともないかもしれない。

 幾日も経って、武器の調達に行ったと思い込んでいるフィンはいつまでも帰って来ない二人を信じて待っているだろう。だけど何日、何週間と経つうちに町に慣れて、友達もできる。

 忘れてくれて構わない。子どもの頃の記憶なんて曖昧だ。小さい頃に旅をした二人がいたとうっすら覚えてくれているだけでいい。いや、全て忘れて欲しかった。

 いつか、学校へ通うだろう。フィンならたくさんの友だちができる。町の子どもと触れ合い、はしゃいで過ごすうちに。

 忘れるだろう、いつか。

 道はだんだんと草が茂って歩きづらいものになってきた。出っ張った木の根が分からなくなりペースを落とさなければならなくなった。

 ふと、数メートル後から来るロゼに目をやるとまるで幽霊のように棒立ちしていて気味が悪かった。薄暗くて表情は分からなかったが、明るい顔はしていない。

「おい、しっかりしろ」

 肩を揺さぶれば、ようやく目に力が戻った。

 ロゼは頷いたのだが、その動作にすら元気がない。

「どこかで休憩するか?」

ロゼは首を大きく横に振った。

「歩けないだろ、そんなんじゃ」

これでは酔っ払いの千鳥だ。もしかしたらジーナの家を出てからずっとこうだったのだろうか。ロゼはまた首を横に振る。セタはとうとう仕方がない、と溜息まじりに言った。

「んわっ」

セタはロゼの腰を掴んでひょいと抱え上げて、体を反転させて彼女を背負った。

「下ろせ! 歩ける」

 なんともでかい子どもをおんぶしているようだ。ロゼは抵抗するがやはり力が入っていない。構わずに歩き始めたセタに堪忍したらしい。

 やれやれとセタはまた溜息。ロゼを簡単に担げたのは荷物が少なかったこともあるが、彼女が細見だったことが幸いだった。

 女にしては背の高い方ではあるが、それにしても体重は軽い。ロゼの手荷物のケースを下ろせばもっと軽くなるはずだ。さすがにロゼの銃が詰まっているこのお気に入りを捨てるわけにもいかない。そして何よりこれから先、必要不可欠なものだ。文句は言うまい。

 足元がだんだんとぬかるみ始めた。辺りは葦だらけ。どうやら沼が近くにあるようだ。湿った土のにおいがする。朝にもなればここらは霧に包まれていることだろう。なるほど、こういう土地柄だから地盤もゆるくて事故が起きやすい。人通りも少なくなるわけだ。ぬかるみの少ない所を歩かなければ人ひとり背負っている状態では足を取られてしまう。

ロゼは行き場のない腕をセタの首のあたりで交差させた。力も抜けて、身をセタに預けた。

「何で、私を連れてきたんだ?」

口元がセタの服で埋もれているのかモゴモゴと呟いて聞こえる。それとも照れ隠しか。

「またその話か? いい加減にしろ。その話になるとまたこじれてケンカになるだろ?」

「まあ、お前が私を置いていこうとしたらすぐに頭をぶち抜いてやるけどな」

ロゼは指でセタのこめかみをつついた。

 どうしてロゼを一緒に連れてきたのか。

「多分、さびしかったから」

やっとのことで絞り出した答えがこれだった。「さびしい」なんて初めて使った言葉だ。

「一人でガキ連れて国を出ることも考えた。だが、体が震えた」

 ロゼは返事もせずに、セタのぽつりぽつりと続く話に耳を傾けた。

「今思えばぞっとするよ。あの時お前が見つからなかったら俺はどうしていたか分からない。国を出てもすぐにフィンを捨てて逃げていただろうからな」

 そうならなくてよかった。

「私がいてよかっただろ?」

否定もせずにセタは鼻で笑った。

 ロゼは抱きしめるように腕を強く引き寄せた。眠気を誘う、露に濡れた朝の葉の香りがする。セタの小麦色の髪が頬に当たってくすぐったくて気持ちがよかった。


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