嵐の森と負傷兵(8)
ロゼもその言葉には否定しなかった。
「正確には引き取ってもらいたい。この家に住まわせて、この町で暮らして、この町の学校に通わせてほしいんです」
フィンをおとりにして難を逃れるのではない。ジーナもその言葉の意味を理解したのか、目に涙をためて首を横に振った。
「三人ともこの家に住めばいいわ。遠慮なんていいのよ、私はすっかりあなたたちが気に入ったのだもの。あなたたち二人だけで、犠牲に———」
ジーナは言葉を詰まらせて、目を伏せた。テーブルクロスにぽたぽたと水滴がにじむ。
この地を離れたくない。故郷という言葉にあまりに無縁な生活を送っていたからだろうか。
「ジーナさん。私たちは———」
ジーナに寄り添っていたロゼは優しく声をかけた。夏の夜の虫がジージーと庭で鳴き声を奏でている。ロゼの若葉色の目は窓の外へと移る。
「所詮私たちは戦うことでしか生きられない人間です。戦場に行けば血が騒ぎ、生きている感覚が蘇る。結局は理由なき殺人者と変わらない。だからこそ、その生きる力は友人から託された子どものために使いたい」
強い意志のこもった言葉に、ジーナは涙をぬぐいながら首を横に振る。ロゼはジーナに寄り添い、今度はロゼが泣きそうな顔で訴えた。
「分かってください。これが最後のチャンスなんです」
理解し受け入れようとしてくれた人に出会えたこの奇跡は、二度と来ない。
それでもジーナは首を横に振る。
「分かってないわ」
何を、と尋ねる前に語調を強めて彼女は言った。
「何も分かってないじゃないの。私から見たら、あなたたちだって十分子どもよ! それに、そのことをフィン君が聞いたらきっと一生の心の傷になる。あなたたちが犠牲になってあの子が生き延びても嬉しいとは思わないわ」
「分かっています。ですから、今夜中にこの家を離れて奴らを追います。もちろんフィンには何も言わないでください。武器の調達とでも言えば気休め程度の時間稼ぎにはなる」
あまりにもあっさりと返したセタにジーナどころかロゼも驚いた。何日もかけて考えては練り直していたに違いない。
「でも、もし…………」
言わずとも分かる。もし生きて帰って来なかったら、どう言い訳をすればいいのか。
「死ぬと決まったわけじゃない」
ロゼはジーナに笑いかけた。はたから見れば優しい微笑みだが、幾年も一緒にいたセタにとって彼女の心情を読み取るのはたやすい。不安で仕方がない。湧き上がる感情を抑えているのだ。
「与えられることは与えた方がいい。だけど、それはフィン君にとっては安心して生活できる場所だけとは限らないわ」
そう言って、ジーナはフィンが眠る寝室に足を運んだ。彼女はフィンを起こさないし、計画も話すはずはない。彼女にとってもフィンが生き残る術はこれぐらいしかないと分かっているのだから。
飲みかけの紅茶はすっかり冷めてしまった。
寝室のドアを少しだけ開ける。
真っ暗になった部屋からは、小さい寝息と虫の声。
ドアの外から差し込む光をフィンの顔に当てない程度まで開く。
この子の顔を見ると安心するし、不安にもなる。
本当は、すぐ近くで抱き寄せたかった。でも、今なすべきことは彼に気づかれずに、起こさずにここを去ること。
ロゼの長い前髪から覗く若葉色の瞳は、自身でも怖いくらいゆらゆらと揺らいでいた
どれくらい見ていただろう。一瞬にも感じたし、随分と長く感じた。
ロゼは一度目を伏せ、窓の外を見る。
ドアを静かに閉める。セタは急かさずに荷物をまとめて待っていた。
「もう、いいのか」
「———ああ。セタはいいのか」
「俺はいいよ。寝顔なら、毎日見ていた」
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