嵐の森と負傷兵(5)
清々しいほどの晴天で日の出の時間には森から流れてきたもやが丘の草を湿らせた。昨夜の嵐が嘘のように静かな朝だ。
ジーナはゆっくりと目を開けた。窓からぼんやりと光が差し込んでいる。
額の濡れたタオルに手を伸ばし、ゆっくりと息を吸った。思い出されるのは、嵐の中白い子どもを追いかけたこと。どうやってベッドまで辿り着いたのか記憶にない。
ふと傍らに小さな重みを感じた。ベッドに蹲る白い子ども、フィン。すやすやと気持ちよさそうに眠るフィンは日の光がとても映えていた。真っ白な髪に変な寝癖がついていて、ジーナはそれを指でといた。
「お目覚めですか、ジーナさん」
ドア越しからの若い男の声にジーナは身構えた。老眼でよくは見えない。若く流暢なしゃべりだ。よく知る若い神父ではない。
「嵐の中で倒れていたので、一応ここに寝かしときました。連れが世話になりました」
その若い男に対してジーナはやわらかく微笑んだ。
「そう。あなたがセタさんね」
小麦色の髪、若葉色の瞳。少し困ったように笑う顔。
「起きて大丈夫ですか?」
「ええ」
そりゃよかったと、セタは答えて近くのイスに腰掛けた。
「フィンは昨晩からここを動きませんでしたよ、頑としてね」
「ずっと?」
セタはそれを肯定した。
「不思議な子ね、フィン君は。あなたの子どもでしょう?」
「まさか。そんな歳に見えます?」
「ごめんなさい、そんな意味じゃなくて。あなたがこの子を育てたのでしょう?」
また小さく笑って肯定した。
「私にも息子がいたわ」
窓から見える町へ続く丘の道。ジーナはそれを眺めながらぽつりぽつりと話はじめた。
「一人息子で、そんなに若くない時に授かった子どもだった。荒れ果てている時代だったから、なおのこと大切に思っていたわ。けど、成人する前に軍へ召集されて……。そのまま息子の姿を見ていないの。あの丘の道を下って行って」
セタは黙って話に耳を傾けた。
「私は毎日のように教会にお祈りに行っては息子を助けてくれるように神に祈っていた。でも息子は死んでしまったわ。遺体すら出てこなかった。死んだ日がいつかもわからない。もう八年前。それからずっと一人で暮らして、忘れたくても忘れられなかった」
敵国は戦果の国、ヘミスフィア。
「あなたも戦争に参加していたんでしょう」
やんわりとジーナは笑う。
「……すみません」
「どうして謝るの。あなたたちがヘミスフィアの人間でも私は責めないわ」
やっぱり見抜かれていたのだ。セタは目を伏せた。
「ロゼさんもここにいるの? 彼女も兵士さんね。女の子まで戦場に出すなんてヘミスフィアはどうかしてるわ」
彼女の寝室の小窓からは、鼻歌を歌いながら洗濯に精を出すロゼがいた。
「それは、フィンから?」
「ええ。この子はお二人のこと、たくさん話してくれたわ。国の名前を出さなかったけれど。亡命した人を追いかけるなんて、ヘミスフィアくらいだもの。ふふ、驚いたわ。車窓から何かを投げられたと思ったら、白い小さい子どもだったのだから」
「——すいません」
もう一度謝った。何のためかは自分でもわからない。
「謝らないで」
ジーナはしわくちゃの手でセタの頭を撫でた。フィンを撫でるようにやさしく。
驚いたのはセタだった。どうしていいのか分からずに動揺して、目をそらした。温かい手のぬくもりがあるからだ。
「フィン君と同じでくせっ毛ね」
気恥ずかしさでセタは思わず笑みをこぼした。
しかし同時に胸が痛んだ。いっそ罵ってくれた方がどんなに良かったか。「息子を殺した殺人者共」と。本当は許したいはずはないだろうに——。
「さあさ。朝ごはん作らなきゃね」
そおっととフィンを起こさないようにジーナはベッドから降りて、髪を手際よく束ねた。昨夜倒れていた老婆とは思えないほど元気だ。まだ安静にしておいた方がいいとセタは制したが、ジーナは笑って大丈夫よと答えた。しわくちゃの顔で笑うとおっとりとした笑顔が魅力的に思えた。
フィンはよだれまで垂らしてむにゃむにゃと毛布で気持ちよさそうに寝ている。昨夜から今朝にかけての事件でよほど疲れたのだろう。ゆすっても起きる気配すらない。
「そっとしておいてあげて。朝ごはんができたら起こしてあげましょう」
ジーナは小窓からロゼを呼び、家に入るように言った。セタと同じようにとまどう返事をしたロゼはちょうど洗濯物を終えたようだ。
倒れて寝ていた人とは思えないほどジーナは元気に動いた。野菜をたっぷり使ったスープやお手製のパンと目玉焼きとはちみつで焼いたチキンを一人で作って三人にごちそうした。どれも貴重な食材だろうに、そんなことは構わずにテーブルに並べたのだ。お手製のパンにはレーズンが入っており、できたてのパンから香るレーズンの甘みがいい。何よりこんなにきちんとした食事は久しぶりだったので、ジーナが神に感謝してお祈りをしている間に、三人はそれこそ犬のように食事にかぶりついたのだ。ジーナは笑ってそれを見守ってゆっくりと食事にありついた。
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