嵐の森と負傷兵(4)
「いくよ、せええの!」
岩がごろりと傾いて、それを右手でわずかに押した。するとどうだろう。まるで軽い紙箱が風で吹き飛ばされたかのように、岩はひゅんと傍らに飛んで落ちた。
感心している間もなく、白い子どもは左側に寄ってきた。
左はやはり言った通り、腕であった原型はない。骨は砕けて四方に飛び出している。
「う、ぐ」
「わあ、どうしよ」
痛みに悶える程の気力は残されていなかった。ただ、安堵した自分に恥じるしかない。なんという屈辱。けれど、どうして涙が流れるのだ。
殲滅すべき白い子どもは首を傾げた。
「僕はフィン。シャルルさんにつけてもらったんだ。あなたの名前は?」
「——ランディ。ランディ・ポートマンだ」
「ランディなの? ポートマンなの? 二つも名前があるなんて欲張りだ」
「ランディで、いい」
「いくつ?」
「にじゅう、さんだ」
「じゃあランディ、あの人は?」
子どもはうつ伏せになって血を流していた同士ケヒルを指差した。もう事切れているのは明白だった。
「ケヒルだ」
「ランディとは、仲良かった?」
「——いや、どうだろうな」
「ねえ、ランディ。あなたがいた国はセタとロゼと同じでしょ。どういうとこなの? ここよりもあったかい? 寒い?」
「おそらく寒いだろうな」
「いいところ?」
「……」
ランディが黙った。「いい」の判断は自分にはできなかったのだ。
雨はすっかり止んでいた。白い子どもに支えられ、ランディは木の幹にもたれかけた。
ふと、背後に違和感を感じ取った。
体の痛みではない。首筋に鈍色の長く鋭いものが突きつけられていたのだ。雨で冷えた上に強い殺気を感じて、ひどい悪寒が走る。体は動かない。ゆっくりと視線だけを後ろにやれば、そこには小麦色のセミロングの髪をした影がランディを見下ろしていた。木の葉と同じ、鮮やかな緑色の瞳をした若い男。肉を食う獣の夜の目のようにぎらぎらとしている。
「よう、元同士」
セタンダ・マクリール元中尉。
「セタ、どうしてここがわかったの?」
白い子どもはぴょんとセタにとびついた。
何人この男に斬られ犠牲になった同士がいただろう。先陣を取り仕切っていた少佐の切り殺された遺体を思い出し、ランディは斬られることを覚悟した。目の前で血を吹き出して悲鳴をあげる同士の姿が今でもはっきりと目に浮かぶ。
セタはうつぶせに倒れる男の死体を足で蹴った。生死を確かめているのだ。
「おい、こりゃあどういう状況だ?」
「セタ、この人の腕をちょんぎってよ」
「——は?」
素っ頓狂な声をセタは出してしまった。
「だから、この人の左腕。もうだめなんだ。早く『しけつざい』を飲んで斬らなきゃ『ばいきん』が入るでしょ?」
セタは顔をしかめて敵となった男の左側を凝視した。汗が噴き出て血の気がないのはそのためなのか、と納得。だが分かっても刀を下ろさぬセタにフィンは必死に説明し始めた。
「この人は岩につぶされていて、僕が助けた」
「どうして一人で動いたりした。ロゼがどんなに心配したのか分かっているのか? 下手すればお前はこいつに殺されてた」
「でも……この人けがしてて」
「けどな、助かった後で、ナイフでお前の首を切っちまうことだってできるんだ」
その一言でフィンは叱られた子犬のようになってしまった。
「ロゼに言うなよ。さっきみたいな雷がもう一回落ちるぞ。でも、まあ。無事でよかった。一人にさせて悪かったな」
「変なセタ。僕一人だったことないよ?」
セタは刀の先端をランディに突きつける。ランディは何も言わずにつばを呑んで固まった。慌ててフィンが二人の間に入り込んだ。
「いい機会だ。教えろ、元同士。お前らは一体なんだ? いつから編成された?」
「……」
「直後はハリス少佐殿の部隊がホルダラ地区まで追ってきた。だが俺が少佐を殺したからかその追跡の足は途絶えたはずだ。それがどういうわけか今になって俺たちを追ってくる? 誰がお前たちを率いている?」
ランディはセタンダ・マクリールを知っていた。まだランディが一少年兵として燻っていた頃、敵の基地を単身で殲滅し、帰還した青年兵がいると。剣術は一兵卒のそれではなく、さながら人ならざる救国の戦士だと誰かがそう称した。英雄の名に連なる、彼のような一兵たらんと幼い兵士たちは誰もが憧憬の念を抱き、祖国のため、我が国のため、軍人の誇りを掲げた。
だがこの兵士はその全てを、白くて小さい子どものために捨てた。
「——お前さえ、いなければ」
「なんだと?」
「セタ、この人気を失っちゃうよ?」
セタはライターと皮袋を取り出した。皮袋からは金属音が聞こえる。
「しょうがねえなあ。じゃ、左腕にお別れのキスでもするんだな」
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