嵐の森と負傷兵(3)


 ああ、間違いない。我々の標的の一つ。

 ごう、と風が吹く。ばたばたと子どものポンチョが靡いて音を立てた。

 兵士は絶望した。

自分の命はここまでだ、と。

 目標がザティーレに入ったとの情報があり、同士四人と共に森から侵入した。そこまでは よかった。雨が降り出した時に崖を上ろうとしたのが間違いだったのだ。同士ケヒルの提案により、一度防空壕で待機することになった。

途端、事故が起きた。

同士ケヒルが煙草の火をつけた時、豪の中は爆炎に包まれた。充満していたガスのにおいに気が付かず、豪は崩れ、雨で緩んだ地盤は土砂崩れを起こした。

視界はそこで暗転した。

 幾分か気絶していたのだろう。目が覚めれば視界に広がるのは曇り空とバサバサと生き物のように揺れる木々だ。口の中は泥の味でいっぱいで、雨が滝のように降りかかり呼吸ができなかった。

頭に鈍い痛みを感じで起き上がろうとしたが、それができない。体に力が入らないとかそういうやさしいものではない。左半身が岩に押しつぶされていたのだ。感覚すらない。痛みは多少あったが、今まであったはずの左の感覚が根こそぎ取られたようだった。

 白い子ども。あれは国賊と化した中尉と准尉であるセタンダ・マクリールとロゼ・モリガン育てられた子どもだ。我々の目標の一つ。

「答えないならいいよ、僕がひとりごと言うから勝手に聞いてて」

 白い子どもは兵士の目の前にチョコンと座った。

「二人はここにはいないよ。僕がひとりで来たんだから」

「……もくひょうを、せんめつ」

やっとのことで振り絞った言葉に、フィンは首を傾げた。兵士は空いている右手をズボンのポケットへと伸ばした。そこにはナイフが入っている。

「僕があなたを助けてあげる。けど、お願いがあるんだ。あなたを助けたら、もう二度と僕らを追わない、殺そうとしないって約束して」

風が強く吹いた。子どもの被っていたフードがめくれるほどに。そして暗い森の空に青い閃光が走った。白い子どもの意思を表しているかのようだ。

「もし、それを断ったら………どうなる?」

それを訊いて、子どもはひどく動揺した。目をきょろきょろとさせて落ち着かない。どうやら考えていなかったようだ。

「そ、そんなことしたらあなたは死ぬよ。僕はあなたを見捨てて誰にも言わない。ここで………たったひとりで死ぬんだよ」

「それでも、もう構わん。お前に救われるくらいならここでのたれ死んだ方がいい」

 頭がぼうっとしてきた。血を流しすぎたのだ。

「あなたは嘘をついているよ」

 兵士は驚きで目を見開いた。嘘などではない。ヘミスフィアの軍人は国のために死ぬ。そして相手の情けなど無用だ。幼少期からそう訓練され、国のために尽くしてきた。

 子どもは近づき、アメシスト色の大きな瞳に兵士の顔が鮮明に映る。

「本当は死にたくないんだ。死にたい人間が助けてくれ、なんて言うもんか」

 そう言って子どもはすたこらとどこかへ走って消えてしまった。見捨てるか、もしくは南州の人間を呼んでくるなりするんだろう。兵士は体の力抜いて木々の間から降る雨に打たれ続けた。雨と流血で体が冷え、足早に死へと近づいていることが分かった。

 兵士はまぶたが重くなってきて目を閉じた。激しく降る雨音が妙に強く聞こえ、岩が体に乗っているという感覚さえ失ってきた。思い浮かんだのは故郷ではない。戦車と銃弾と爆弾、戦闘機の音が絶えない中で生きた戦場。

 水たまりを弾く音が不規則に強くなった。誰かが近づいてきたのだとわかったが、これは一人だ。

「ねえ、死んじゃった?」

 その声で沈みかけていた意識が呼び戻された。また見下ろす一人の白い子ども。

「なんで、戻って」

「これを探してたんだ」

彼の手にあるのは自分の背ほどの高さの木の棒だ。大人の足ほどの太さだ。それを使って非力な子どもの力で殴り殺すより、刺殺した方が楽だろう。

 だが子どもは兵士の頭部ではなく、腹と岩の間の方へ棒をぐいっと差し込んだ。

「せえーっの!」

てこの原理で岩をどかすつもりなのだ。だがどんなに小さな子どもが踏ん張っても動くはずがない。どんなに体重をかけても岩は動かない。むなしく棒が削れるだけである。

 いや、それよりもこの子どもは何をしている。理解できない。

 男はひたすらにそのことが疑問だった。この場でこの子どもが一人なら、助けた後はこちらが圧倒的に有利になる。潰れていない手でナイフを握り斬ってしまえば済むこと。この白い子どもにはそのことが分かっていないのか。

「なんでぼーっとしてるのさ! 右手で岩をちょっとでも押してよ! 僕一人でどかせるわけないでしょ!」

 突然怒鳴られた。

「体ずらしてよ、はやく!」

 喘ぎながら子どもは力いっぱい叫んでいる。雨とは別の汗が頬を伝っていた。

「間にコレ入れて! 全部どかさなくてもいいよ。後は僕がどかすから」

 やめろ。敵に助けられるなどこの上ない屈辱だ。

目標を殲滅。十一の時に頭から足のつま先まで神経に響く上官の言葉を響かせるが、もう遅い。

「はやく!」

「————っ」

「ねえってば!」

「どうして、助ける」

「あなたを助ければ、あなたはもうセタとロゼをいじめないでしょ!」

 なんだ、それは。そんな条件はのんでいない。

「僕は、三人で一緒に起きて、ご飯食べて、空を見ながらお昼寝したいんだ」

兵士はナイフに伸びた手を、ぽとりと落とした。

「僕は、ずっと一緒にいたんだ!」

「————っ」

 この衝動はなんだ。

「いい? 僕が押したら右手で押すんだ!」

 兵士の右腕は岩へと動いた。腹の底からこみ上げるこの力の正体はなんだ。

「————………たい」

 いきたい。

 雨ではない。痛みからではない。負傷兵は泣いた。生まれて初めての感情が、体中から溢れ出たのだ。

 生きたい!

 ランディは心で叫んだ。

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